第六十一話 選び取る者
童庵の訓練場には、朝から若い声が響いていた。
「もっと腰を落とせ!」
「そっちの隊列、遅れてるぞ!」
秦人、遊牧民、様々な出自の子供たちが、小隊単位で武芸や隊列訓練を繰り返している。
素早く駆け、盾を構え、声をそろえて突撃する。
動きはまだ粗いが、日々、着実に鍛えられていた。
呂明は、演習場の端からその様子を見守っていた。
隣には、記録用の札を持った白玲が控えている。
「動きは悪くない。だが……」
呂明は目を細める。
「やはり、指揮を取れる者が足りません」
白玲が頷く。
隊を動かすには、ただ力が強いだけでは足りない。
周囲を見渡し、仲間に声をかけ、状況を読み取る才覚が必要だった。
そのとき――
「下がれ! そっちは危ない!」
甲高い怒鳴り声が響いた。
見ると、一隊の中心で、ナイガルが大きく手を振り、仲間たちに指示を飛ばしている。
遅れた少年たちの位置を調整し、全体を押し出すように前進させる。
その動きは、驚くほど自然だった。
「……やるな」
呂明は、思わず声を漏らした。
単なる個人技ではない。
隊の”形”を整え、流れを作る――そんな力が、ナイガルには備わりつつあった。
訓練終了後、呂明はナイガルを呼び出した。
「お前、名は?」
「ナイガル……です」
少年は警戒心を隠そうともせず、鋭い目で呂明を見上げる。
だが、その背筋はしっかりと伸びていた。
「よくやった。隊を動かせる者は、滅多にいない」
呂明は率直に称賛した。
ナイガルの眉が、わずかに動く。
「……誉められても、俺は媚びません」
「それでいい」
呂明は微笑んだ。
「だが、選べ。ただの使われる者で終わるか、指揮を執る者になるか」
ナイガルの喉が小さく鳴った。
わずかに、揺れた。
指揮する者――
それは、虐げられ、親を失った彼が、かつて一度も与えられたことのない立場だった。
(俺に……できるのか?)
心の奥底で、そんな囁きが生まれる。
だが同時に、燃えさしのような渇望もあった。
奪われるばかりだった自分を、選び取る者になりたい――そんな、言葉にもならない願いが。
ナイガルは、強く拳を握った。
「俺は……やる。指揮する側に、なる!」
呂明は深く頷いた。
「ならば、力を貸そう。お前には、それだけの能力がある」
そして静かに付け加えた。
「だが、忘れるな。選び取る者には、選び取られる者の痛みも、知らねばならない」
ナイガルは、思わず拳を握りしめた。
胸の奥で、小さな熱がじわりと広がる。
これまで自分が抱えてきた痛みも、悔しさも、無駄ではなかったのだと、どこかで信じたかった。
「……はい」
少年の瞳には、これまでとは違う光が宿っていた。
それを見た呂明は、静かに頷いた。
(選び取れ。己の未来を)
童庵には、また新たな芽がひとつ、育ち始めていた。