第六十話 始動
童庵の食堂では、湯気の立つ粥の鍋を囲み、子供たちがにぎやかに朝食を取っていた。
「おかわり、いいか!」
「ちゃんと並べ、順番だって言っただろ!」
秦人の孤児たちに交じり、最近では遊牧民の少年たちも加わるようになった。
服装も言葉も異なる彼らだが、腹を空かせた子供たちにとって、そんな違いは些細なことだった。
食事の後、皆は決められた作業に散った。
武芸場では、簡素な木剣を手にした子供たちが打ち合い、作業場では年長の者たちが靴や手綱を黙々と作っている。
言葉が通じず、最初は喧嘩も絶えなかったが、次第に無言の協力が生まれていった。
その中で、ひときわ目を引く少年がいた。
鋭い黒い瞳、日に焼けた褐色の肌。
年の頃は十三、四ほどだろうか。
器用に刃物を操り、馬具の革を正確に切り出していく。
「……あいつ、うまいな」
呂明は、童庵の回廊からその様子を見下ろしながら呟いた。
「ナイガルと言います」
隣に控えていた白玲が答える。
「元は南匈奴の部族の出で、戦乱で親を失い、安定に流れ着いたとか」
「南匈奴か……」
呂明は小さくうなずいた。
匈奴といえば、いずれ秦が本格的に向き合う相手。
この少年が、いずれ何かの鍵を握るかもしれない――そんな直感が胸をかすめた。
「腕だけじゃない。目がいい」
「ええ。観察力も反応も、他の子供たちとは段違いです」
白玲も頷く。
ナイガルは、隣の少年が手間取っているのを見ると、無言で手本を示してやっていた。
教え方も荒々しいが、筋は通っている。
「……拾って育てよう」
呂明は静かに言った。
「ただの労働力にしない。あいつは――将来、橋になる」
白玲が目を丸くしたが、すぐに小さく笑った。
「では、ナイガルには特別な教育を施します」
「頼む」
呂明は、賑やかな童庵の光景を見渡した。
秦人も、遊牧民も、孤児も、皆が一緒に汗を流し、食べ、笑い、そして生きている。
ここから、新しい力が生まれる。
それが、いずれ秦の西域への道を開く――そんな確信が湧き上がっていた。
(急がず、だが確実に)
呂明は心に誓い、静かに踵を返した。
童庵は、まだ芽吹いたばかりの若木だ。
だが、いつか必ず、大地に深く根を張る巨木となるだろう。
そしてその幹には、ナイガルのような未来が――確かに宿っている。




