第六話 交渉の本質――価値を見極める目
市場での「芳香織物」体験販売が成功した翌日、呂明は父・呂不韋の呼びかけで書斎へと呼ばれた。
薄暗い書斎に差し込む窓光の中、呂不韋は、先日の市場での体験を振り返りながら、呂明に向かって静かに語りかけた。
「お前の発想は素晴らしかった。しかし、商いは単なる売買ではなく、交渉の中で価値を引き出す駆け引きが必要だ」
と、呂不韋は、手元にあった精巧に彫られた玉飾りに視線を落としながら続けた。
「この玉は、ただ美しいだけではなく、売る相手次第でその評価が大きく変わる。貴族に売るなら、その工芸の細やかさや希少性を、一般人に売るなら、その実用性を訴えねばならぬ。商人としては、相手のニーズを見極め、最適な提案をすることが肝要だ」
呂明は、父の言葉をかみしめながら、昨日の交渉の記憶を反芻した。露店で、自らの提案で布と香油を組み合わせた体験販売を試みたとき、売り手の顔に浮かんだ微妙な変化が忘れられなかったのだ。
市場の露店で、呂明が提案したとき、売り手は一瞬驚いた後、目がわずかに細くなり、そしてゆっくりと開いた。
その瞬間、彼の瞳には、今までの慣習にとらわれた自分では味わえなかった、新しい風が吹き込んだかのように、明るい光が宿ったのを覚えている。
その場で、売り手は一度深く考えた後、条件を提示した。
「香油は私が用意しよう。ただし、私の細工の価値を理解できる者にしか売りたくない。そこで、お前さんが客を選んで、適切に提案するという条件でどうだ?」
その一言に、現場の空気が一層引き締まった。客は、布に染み込んだ香油の変化を実際に感じ、好評の声を上げる。ある女性は、
「こんな風に、自分好みに仕上がる布は初めてです」
と語り、別の女性は
「香りが心地よく、まるで自分だけの特別な品を手にしているような気分になる」と話した。
呂不韋は、呂明に向かって再び低い声で語った。
「よくやった。お前の提案は、単なる理論にとどまらず、実際に市場の鼓動を感じ取り、その場で価値を創り出すものだ。商いは、客の心と感覚を揺さぶる交渉の中にこそ真価がある。お前は、この現場で得た経験を、己の感覚として磨いていくのだ」
呂明は、父の評価を胸に、昨日の交渉の駆け引きと、客たちの具体的な反応を思い返した。
彼は、ただ理論をこなすだけでなく、現実の空気と人々の反応に耳を傾けることの大切さを、身をもって学んだのだ。
帰り道、夕陽が市場の喧騒を柔らかな黄金色に染め上げる中、呂明は父の後ろ姿を見送りながら、静かに誓った。
「俺は、ただの計算だけでなく、この現場の生の感覚から、価値を創り出す力を身につける。客が実際に体験し、感じることで商品に新たな命が吹き込まれる。これからも、真の商人として歩むんだ」
その決意は、風に乗って市場のざわめきと共鳴し、呂明の未来への大きな一歩として、彼の心に深く刻まれた。
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