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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第四章 興軍開商編
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第五十五話 童庵(どうあん)の光

  春の風が山々を渡り、漢中の谷に芽吹きの息吹を運ぶ。呂明は青龍館の中庭に立ち、地図と計画書を前に幹部たちを集めていた。


「まず、備蓄体制を再整備する。倉は三か所に分散し、兵糧・薬草・鉄材をそれぞれ管理。非常時にも稼働できるよう、井戸と水路の補強も忘れるな」


「次に楚との交易だが、楚の絹や香木は質が良く、咸陽に持っていけばよく売れるだろう。嬴政と李斯への献上も忘れるな。行きはこちらの塩や鉄器と運べば、双方に利が出る。余裕が出始めれば、塩漬けの魚、南方の果実、そして椰子なども買って戻れ。杜青、青龍幇を通じて交易路を開け。」


 「はっ」


 応える杜青の顔は、すでに次の商談を頭の中で組み立てているかのように引き締まっている。


 「次に――廉頗将軍だが、彼には軍事顧問として、しばらく漢中に残ってもらう。任務は守備隊の組成と練兵。その後西涼にて、騎馬隊を編成してもらう。漢中の兵では騎馬戦に不慣れだ。異民族の技術を取り入れ、新たな戦力を編成する」


 廉頗は短く「任された」とだけ応え、再び静かに身を引いた。


 一瞬、場が静まり返る。


 「騎馬……ですか?」


 陳咸が目を見開いた。


 「西涼は平地と草原が多い。秦において騎馬を主力とする兵団はまだ少ないが、中央での戦が進めば、必ず騎馬隊が切り札となる。いまのうちに、人と馬を慣らしておくべきだ。彼ならできる」


 白玲が静かに頷いた。


 「ならば、補給路も整備しないと……。馬の飼料だけでも莫大な量になります」


 「それもあって、今ここで、備える必要がある。――漢中を、未来の要とするために」


 呂明は、卓の上に一枚の紙を広げた。そこには、精緻に描かれた設計図があった。


 「これは……?」


 「新たな施設を建てる。“童庵”と名づける。孤児や身寄りのない子供たちを受け入れ、育て、教育し、いずれは登用する。漢中の人口は、戦で減っている。人を育てなければ、国は持たん」


 杜青が感嘆の声を漏らす。


 「ただの孤児院ではないのですね……」


 「そう。彼らにも誇りを持って働いてもらう。年長者には、簡牘(木簡・竹簡)や筆、墨などの製作、石鹸や香油といった日用の品を製造してもらう。年少者には、香油の原料となる草花の世話を任せる。蓮、蘭、桂花、野薔薇――これらは香りも良く、薬にも食にも使える。毎朝、草花の世話をした子どもたちが小瓶に香を詰めるのもよいだろう。」


 「香油……それは売れる」


 白玲が即座に反応する。


 「そうだ。香油は都の貴人や医者にも需要がある。石鹸と組み合わせれば、『清潔と香り』を届ける贈り物にもなる。漢中発の商品として、“童庵印”で売り出すつもりだ」


 「童庵……子供たちの香り、というわけですね」


 「うむ。『清らかな香りは、清らかな心から』――この理念を前面に出す。育てた子が、いずれ将として立てば、それが何よりの証になる」


「また、食料の増産を目的に豚を育てよ。香油の搾り滓や、飯屋や茶屋から出る残飯、野菜屑、穀物を加工した残り滓などなんでも良い。とにかく豚はなんでも食うから、ゴミになるくらいなら豚に食わせるのだ。」


「今の漢中に無駄に出来るものなど、ありませんからなぁ」


 家宰の張も頷いている。


「更に、廉頗将軍が組成した守備隊は、田畑を耕してもらう」


 「兵が田畑を……ですか?」


 杜青が眉をひそめた。


 「うむ。彼ら守備隊が、自らの兵糧を賄えるよう、土地を与え、耕作させる。これは軍費の軽減だけではない。漢中の地を安定させるには、まず“食える兵”が必要だ。廉頗将軍が西涼に移動後は警邏だけではなく、訓練と労働を兼ねて定着させる。これを――“屯田制”と名づけよう」


 「……地を耕す兵ですか。民は……どう思うでしょう」


 白玲が呟くと、呂明はわずかに笑った。


 「廉頗将軍は、兵を育てることにかけては並ぶ者がいない。荒野を耕す経験が、いずれこの地の“守る力”になると信じている。彼らが耕せば、民も後に続く」


 陳咸が頷いた。


 「見本となるわけですね」


 「そうだ。騎馬隊を切り札に、田畑を拓き、香を届ける――“剣と花と飯”で、この地を護る。これが我らの軍だ」


 沈黙のあと、陳咸がぽつりと呟いた。


 「呂様の目は……先の先を見ておられる」


 呂明は微笑んだ。


 「見ようとすることが、我らの役目だろう。嬴政は、趙を討ち、六国を滅ぼす。それを支える裏方が必要だ。――だからこそ、漢中は裏方として最も優れた地にならねばならない」


 呂明は皆を見渡し、はっきりと言った。


 「西涼攻略は、ただの商いではない。これは、我らの未来を賭けた第一歩だ。漢中を、築け」


 一同は深く頷き、それぞれの持ち場へと散っていった。


 残された呂明は、まだ乾ききらぬ香油の香りが漂う空の瓶を手に取り、静かに嗅いだ。


 ――清らかな香り。未来の匂いだ。



数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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