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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第三章 離乱興商編
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第五十話 楚南交易会

 闇を裂いて、松明の火が揺れていた。楚南の古びた水倉――かつて密輸組織の拠点だったその倉庫に、呂明、彭越、厳勝、そして蔡文が顔を揃えていた。


 静まり返った空気の中、最初に声を発したのは、彭越だった。


「官吏に抱かれりゃ、自由は腐る。だが、蔡家の水路が加わるなら話は別だ。あんた、本当に蔡家の代表か?」


 その鋭い眼差しに、蔡文は涼やかな声で応じた。


「蔡家当主ではないが、水運は私が取り仕切っている。楚の物資の七割は、私の許可がなければ川を下れぬ。それで不足か?」


 彭越は鼻を鳴らしたが、挑発には乗らなかった。


「なるほど。道を握る男か。あとは、荷を誰が運ぶか、か」


「そして帳簿と人材を私が預かる」


 呂明が穏やかに口を挟んだ。


「官には顔を利かせる。密輸組織の再編も手を貸す。蔡家の水路は取引を支え、李園派は秩序の保証を――。利が回る仕組みを、我々で作る。名をつけるなら、『楚南交易会』とでもしておこう」


「名ばかりの会ならすぐ腐る」


 彭越の警告めいた言葉に、呂明はわずかに口元を緩めた。


「だからこそ、あなたの力が要る。秩序のためには、剣も必要だ。蔡家は水を支配する。私は人を動かす。そしてあなたは……不穏を抑える影になってもらいたい」


 しばしの沈黙。だが、やがて彭越は小さく笑った。


「面白ぇ……呂明、あんた、底が知れねぇな。まあ、しばらくは泳がせてやる。だが、裏切れば、容赦はしねぇ」


「その時は、潔く沈みましょう」


 呂明の目は、真っ直ぐに彭越を見据えていた。


 そのやり取りを静かに見ていた厳勝が、ひとつ咳払いをした。


「この件、李園様には私が報告しよう。彼は秩序を重んじる。利益の道筋が通れば、文句は言わぬだろう」


 そう言いながらも、彼の眼にはわずかな憂いがあった。李園の政権がいつまで続くか――その不安が、言葉の端に滲んでいた。


 呂明は懐から一通の書簡を取り出した。

「楚南交易会の実務については、すでに適任の者を任命しております」


「適任?」と蔡文が眉をひそめる。


 扉の向こうから、若い男が一歩進み出た。引き締まった体に鋭い目を宿し、軍人とも商人ともつかぬ雰囲気を纏っている。


「項季。我が商会の一員にして、楚南の地に最も通じた者です」


「項……季?」

 彭越の眼が細くなる。どこかでその姓に聞き覚えがあるのかもしれない。


 呂明は続けた。


「彼を交易会の実務責任者とし、現地の調整・連絡・監督を一任します。私が別の地に移る日が来ても、交易会は揺るぎません」


 項季は一礼し、簡潔に口を開く。


「ここに集う方々の力を結集し、交易会の礎を築いてみせます」


 彭越は腕を組み、英布が無言のままじっと項季を観察していた。


(楚の“血”を引く者同士――だが、交わるのはまだ先のことだ)



 夜が明けきる頃、英布と彭越は人のいない河辺に立っていた。


「お前、どう思う。あの商人、呂明」


 彭越が訊いた。英布はしばらく考え、ぽつりと呟いた。


「生き延びる術を知っている。……だが、それだけの男ではない」


「ふん、そうだな。欲が透けて見えねぇのが気味悪い。だが嫌いじゃねぇ」




 一方、呂明と蔡文も二人、舟着き場の脇に立っていた。


「綺麗にしたな、川も道も」


 蔡文が言った。


「濁った水も、流れが整えば澄んで見えるものです」


 呂明が応じる。


「逆もある。澄んだ水でも、底に泥が溜まれば濁る。――だから、私は見続けます。水の流れと、人の欲を」


 蔡文は笑みを浮かべた。


「やはり、お前は商人というより船頭だな。流れを読むことに長けている。いずれは、もっと大きな川へ出るつもりだろう?」


 呂明は答えず、静かに水面を見つめた。




 その日の昼過ぎ、小舟がいくつも川面に浮かび、次々と荷を運び出していた。呂明たちが再編した「楚南交易会」の始まりだった。


 物資が川を渡り、人々が活気を取り戻す。


 彭越が、密輸組織の顔として秩序を睨み、英布が、その背に沈黙を纏う。

 更に蔡文――後に『白燕』と呼ばれる男が、水の道を整えた。


 そして天秤を掲げる呂明が、人と時代の重さを測っていた。


 


 出発の舟が岸を離れる。呂明は甲板に立ち、背後の楚南を振り返った。


 空はすでに高く、日が真上に差し始めていた。


「さて――次はどこへ、風を吹かせようか」


 呟いた声は、川風に乗って静かに消えていった。



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