第四十四話 水運の壁
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数字が力になります。
——交易の要は、ただの売り買いではない。利益が循環する仕組みを作ることだ。
燭の明かりがゆらめく商館の広間。楚の豪商たちが円卓を囲み、呂明を見つめていた。
「つまり、お前の言い分はこうだな」
商館の主・季成が、ゆっくりと扇を閉じる。
「漢中を拠点に、秦と楚の交易を拡大する。しかし、ただ商品をやり取りするだけでなく、物資の流れを最適化し、長期的に利益を生む仕組みを作る——と」
「ええ。そのために、交易品の選定が重要になります」
呂明は微笑し、商人たちの反応を窺った。
襄陽や陳、寿春といった楚の各地から集まった商人たちは、それぞれに計算を巡らせながらも、慎重な態度を崩していない。
だが、関心は確実に引きつけている。
「では、具体的にどのような品をやり取りするつもりだ?」
季成が問いかけると、呂明は静かに指を折った。
「まず、楚から秦への輸出品として——」
「絹、香木、塩漬けの魚、南方の果実、そして椰子」
「ほう……」
商人たちがざわめく。
絹や香木は定番の交易品だ。楚の特産品として、秦の市場でも高値で売れる。
だが、椰子や魚の干物といった品目が加わったことに、彼らは驚きを隠せないようだった。
「椰子だと? 楚の南方で採れる果実だが……それを秦に売るのか?」
「ええ。椰子は食用としても優れているし、秦では珍しいため高値で取引できる」
呂明は微笑んだが、それ以上の説明はしなかった。
——本当の狙いは、石鹸の生産拡大だ。椰子の油を原料にすれば、漢中での製造量を飛躍的に増やせる。さらに、搾りかすは飼料となり、豚の畜産にも活かせる。だが、それを今ここで言う必要はない。
彼はただ、杯を傾けるだけだった。
「なるほどな……。では、他には?」
「畜産を拡大するため、飼料の輸入も考えている」
「飼料?」
「豚の畜産を促進する。豚は成長が早く、食料としての価値が高い。さらに、油脂を採れる。冬場の燃料や保存食にも活用できる」
「食糧問題の解決策か……なかなか興味深い」
呂明がまとめると、豪商たちは満足げに頷いた。だが、呂明の視線はすでに交易そのものではなく、その先に向いていた。
(これで、より安定した供給ができる)
「一方、秦から楚へは——」
「鉄器・農具・塩」
「なるほどな……鉄器はやはり外せんか」
季成が目を細める。
秦の鉄器は楚のものよりも精巧であり、農民や職人にとって魅力的な品だ。
「だが、軍需物資にあたる武器は制限が必要だな」
「もちろんです。私が取引を管理し、必要以上に流出しないよう制御します」
呂明の言葉に、商人たちは納得したように頷く。
「それに、楚への輸出品には塩も含まれます」
「塩……」
「ええ。秦の塩は質が良く、楚の市場でも高く売れるでしょう」
塩は、人々の生活に不可欠な品だ。楚の各地に運べば、安定した需要が見込める。
さらに、呂明は最後の札を切った。
「そしてもう一つ——馬の飼料です」
「馬の……飼料?」
「ええ。楚は軍馬を多く抱えていますが、良質な飼料の供給には苦労していると聞いています。秦から飼料を輸出すれば、楚の騎馬部隊の維持に貢献できます」
商人たちの表情が変わる。
「つまり、馬そのものを売るのではなく、間接的に利益を得るということか……」
「お前、なかなかの策士だな」
季成が微笑を浮かべた。
交易の内容は固まった。だが——
「しかし、問題が一つある」
季成が扇を閉じ、呂明を見つめる。
「この交易を実現するには、大量の物資を運ぶ手段が必要だ。しかし、漢中から楚への水運を掌握しているのは、ある勢力だ」
「……」
呂明は静かに杯を置いた。
「襄陽の水運を牛耳る『黄家』か」
「察しがいいな」
季成が頷く。
「黄家は、楚の王族に多大な献金を行い、その庇護のもとで漢水の水運を独占してきた。彼らの影響力は、襄陽の商人たちも無視できない。彼らの許可なく、大規模な交易を行うのは難しい」
「彼らは交易に協力的なのですか?」
「ふん、どうかな……」
季成は含み笑いを漏らす。
「彼らは利益になれば動くが、敵対すれば容赦なく妨害する。お前の取引が彼らにとって脅威になると判断されれば、手を回してくるだろうな」
呂明は静かに考えた。
交易路の確保——それが、次なる課題だ。
漢水を利用できれば、大量の物資を運ぶことができる。しかし、黄家の影響力を無視することはできない。
「なるほど……」
呂明は小さく笑った。
「ならば、彼らと話をつける必要がありますね」
「交渉するつもりか?」
「ええ。楚の王族と繋がる有力豪族、そして長年この地の水上交易を支配してきた海商たちです。彼らの許可なく、大規模な輸送は不可能でしょう」
「奴らは武力すら使って利権を守る。これまで何度か、他所の商人が水路に手を出そうとしては潰されている」
別の商人が不快そうに吐き捨てる。
「……そうなると、彼らと交渉する必要があるな」
呂明は静かに言い放った。
「だが、容易ではないぞ。お前に何か策があるのか?」
「ええ、もちろん」
呂明は微笑んだ。
(この手の交渉は初めてじゃない。利権を守ろうとする者には、必ず交渉の余地がある。彼らもまた、完全に孤立しているわけじゃないのだから……)
彼は既に、水運を支配する勢力の中に、自分が利用できる人物がいることを把握していた。それを切り札に、交渉を進めるつもりだった。
「まずは、接触してみましょう」
呂明は静かに言った。こうして、新たな戦いが幕を開けた。




