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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第三章 離乱興商編
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第四十二話 李斯の迷い

 李斯は机の上に置かれた書状を静かに見下ろしていた。

 それは、呂明が李斯に宛てて送った報告——楚との交易拡大計画についての詳細が記されたものだった。


「……なるほど」


 書状の内容は簡潔かつ明瞭だった。襄陽の商人との交渉、物流の整備、楚国内での販路確保の手筈——

 どれをとっても理に適っており、抜け目がない。加えて、呂明は自身の立場を慎重に守りつつ、漢中が秦にもたらす利益を強調していた。


 だが、李斯の表情は晴れなかった。


「……やはり、あの男はただの商人ではない」


 呂明の策は秦に利益をもたらす。だが、同時に漢中を独立した経済圏へと成長させる可能性も秘めている。


 かつて、呂不韋もそうだった。


 呂不韋は才覚によって国政を掌握し、莫大な富と権勢を築き上げた。だが、最終的に彼は国の枠を超えようとし、嬴政によって排除された。


「……呂明も、いずれはそうなるのか」


 李斯は一度、書状から目を離し、天井を仰いだ。


 呂明は呂不韋とは異なる。国政への野心を見せず、あくまで商いに徹している。しかし——


「商業の力は、時に政治すらも動かす」


 李斯の中で、報告するべきか否かの迷いが生じる。呂明の才覚は秦の利益となる。しかし、もしこのまま力を伸ばせば、いずれ秦の秩序を乱す存在となるかもしれない。


 机の上の書状を見つめ、彼は一つ息を吐いた。


「……報告するしかあるまい」


「法とは、秩序を保つためにある」


 李斯は秦の法律を司る者。秦に利益をもたらす者であれど、国家にとっての脅威となる可能性を持つならば、早めに王に報告し、監視の目を向けねばならない。


 彼は決意を固め、書状を手に取り、宮廷へと向かった。



 嬴政は李斯から受け取った書状に目を通していた。


「……ふむ」


 書状の内容を読み終えた嬴政は、ゆっくりと机に置き、李斯を見やる。


「呂明の『先』を、どう見る?」


 その問いに、李斯は少しの間、言葉を選んだ。


「……現時点では、漢中を発展させるという点において、有益な存在です。しかし——」


「いずれ牙を剥く可能性がある、ということか」


「その可能性は、否定できません」


 嬴政は静かに頷くと、窓の外へと目を向けた。


「呂明は面白い」


「……大王?」


「才覚を持つ者は多い。だが、それを活かせる者は少ない」


 嬴政の声には、わずかに興味を含んでいた。


「奴は商人に過ぎぬ。だが、ただの商人ではない。己の才覚を存分に活かし、漢中を動かしている」


「大王は……呂明をどのようにお考えなのでしょうか?」


 李斯の問いに、嬴政はふっと笑った。


「利用価値があるうちは、泳がせておけばよい」


「しかし——」


「李斯、お前も知っているだろう。才覚ある者をすぐに潰すのは、最善策ではない」


 嬴政の眼が鋭く光る。


「呂明の『先』を見定めるのは、まだ早い。だが、警戒は怠るな」


 李斯は深く頷いた。


「心得ました」


 嬴政は再び書状に目を落とすと、呟くように言った。


「……呂不韋の子か」


 その声には、かすかな興味と警戒が入り混じっていた。



漢中・呂明の屋敷


 呂明は襄陽との交易準備を進める一方で、新たな展開を模索していた。


「西涼か……」


 呂明は地図を広げ、西涼の地を見つめる。


「楚との交易は確かに利益をもたらすが、それだけでは不十分だ」


 漢中を真に商業の要衝とするならば、南の楚だけでなく、北の西涼との交易路を確保する必要がある。


南と北を繋ぎ、独自の経済圏を築く——それこそが、漢中の自立への道となる。


「……問題は、西涼の商人をどう取り込むか、か」


 呂明は指で地図をなぞる。


「いずれにせよ、まずは接触する必要があるな」


 新たな商機を求め、呂明は次なる一手を打つ決意を固めた。


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