第二十六話 交渉の天秤
夜の帳が降りる中、青龍幇の本拠地はなおも賑わいを見せていた。暗がりに揺れる灯火が、石畳に不規則な影を落としている。
ここは呂明にとって安全な場所ではない。それは彼自身が最もよく理解していた。
華叔が座したまま、鋭い視線を呂明に向ける。
「……お前さん、本当に清の客人なのか?」
その声音には明確な警戒が滲んでいた。呂明は静かに彼の視線を受け止め、無駄な反論はせず、ただ目の前の茶に口をつけた。
「疑われるのも無理はないでしょうね」
呂明は淡々とした口調で言った。
「それでも、私はここで役立てるはずです」
「役立つ、ね……」
華叔は一瞬、目を細めた。
「商人というのは、得てして信用できんものだ。以前、我々はある商人に裏切られ、仲間を何人も失った」
呂明は表情を変えずにその言葉を聞いた。なるほど、これが彼が警戒される理由か。
清が小さく笑い、
「華叔、そんなに睨まなくてもいいじゃないか」
と言葉を挟んだ。
「呂明には利用価値があるかもしれない。面白いと思わないかい?」
呂明は内心で考えた。面白いのは、この状況をどう利用するかだ。
「確かに、面白いかもしれませんね」
呂明はわずかに微笑みながら答えた。
「ただし、私が試されているのと同じように、私もまた試しているのですが」
清は目を輝かせた。
「いいね、その意気だよ。じゃあ、君の価値を見せてもらおうか」
「北の交易路が封鎖されつつあります」
呂明は静かに言った。
「この情報は、私が咸陽で築いた独自の情報網から得たものです。官吏の動き、流通商人たちの噂、そして密かに行われる買い占めの動向を見れば、間違いありません」
華叔の目が細まり、腕を組み直した。
「……なるほどな。で、お前さんはどうしたい?」
「青龍幇の力を借りたいのです」
呂明は率直に告げた。
「力とは腕力だけではありません。情報、交渉、そして流通を掌握することこそが真の力になる。青龍幇がその一翼を担うことができるのでは?」
華叔は少し身を乗り出した。
「具体的に言え」
「私は、高騰する前に塩を確保するための手配を始めます。青龍幇には、その護衛と流通の確保をお願いすることになるでしょう」
清が口元をほころばせた。
「いいね、交渉成立だ。まずは、その情報を裏付けるために動こうか。華叔、手配を」
華叔はまだ警戒を解いていない様子だったが、呂明の情報に一定の価値を見出したのか、静かにうなずいた。
「いいだろう。ただし、本当にお前の情報が正しいか、俺たちも確認させてもらうぜ」
「もちろん」
呂明は穏やかに答えた。
こうして、呂明と青龍幇の最初の協力関係が形を成し始めたのだった。




