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第二十三話 巴蜀への布石

 咸陽の夜、呂明は指定された高級茶屋の一室に静かに足を踏み入れた。


 燭台の灯りが揺れ、奥の座に座る嬴政の姿を浮かび上がらせる。国王と民という関係を超え、まるで密約を交わす同志のような雰囲気が漂っていた。


「遅かったな、呂明」


 嬴政は茶を一口含みながら言った。その声には僅かな期待と試すような響きが混ざっていた。


「恐れながら、準備に時間を要しました。まさか、大王様が私の取るに足らない動きまでご存知とは、驚きを禁じ得ません」


 呂明は静かに膝を折り、嬴政の視線を受け止めた。心臓が僅かに早鐘を打つ。嬴政の目は、全てを見透かしているようだった。


「お前が巴蜀へ行くと耳にした」


呂明は内心で息を呑んだ。情報網の広さと深さに改めて戦慄を覚える。


「一介の商人の動向を大王様が気にかけて頂いているとは恐縮です」


 嬴政は懐から巻物を取り出し、呂明の前に置いた。


「巴蜀は未開の地だ。賊や侠客が跋扈し、中央の影響力はほとんど及んでいない。だが、そこを掌握すれば、秦の財源はさらに強化される」


呂明は勅書を慎重に手に取り、封を確認する。確かに、これは王命だった。胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。父を超え、秦の中心に再び関わる機会を得たのだ。


「大王様の信頼に感謝いたします。しかし、私一人の力では到底……」


嬴政は薄く笑い、茶杯を置いた。


「お前ならやれる。むしろ、お前以外に適任はいない。巴蜀を制圧し、税を取れるようになれば、お前にその地の統治を任せる。これは、その勅書だ」


 呂明の胸中には、誇りと重責が交錯した。嬴政自らがこれほどの権限を与えるということは、それだけの成果を求められているということでもある。だが、この機会を逃せば、二度と秦の中心に戻る道は開かれない。


 その言葉には、呂明の才覚を見込む嬴政の本心が滲んでいた。呂明は深く一礼し、静かに言った。


「巴蜀を手に入れ、必ず秦の力となりましょう。……実は、出発前に父上から手紙を受け取っておりまして」


 呂明は懐から手紙を取り出し、嬴政に差し出した。


 呂不韋は既に咸陽を追われ、河南の封地にて蟄居していた。しかし、その手紙からは、未だ衰えぬ洞察力と、息子への深い想いが感じられた。


 手紙には、巴蜀の現状、侠客たちの勢力図、そして塩の利権を巡る腐敗した豪族の実態が詳しく記されていた。


『成都の李家は賊と手を組み、税を逃れつつ勢力を拡大している。江陽の張家は軍閥を抱え、中央の介入を拒んでいる。巴蜀は単なる未開の地ではなく、利益に群がる勢力が交錯する戦場だ。お前がここを制するなら、ただの商才では足りぬ』


 呂不韋がこれを知らせた意図は明白だった。


『巴蜀を手に入れれば、お前の道は開かれる。だが、私の失敗を繰り返すな』


 手紙の最後には、そう記されていた。


 嬴政は微笑を浮かべ、呂明を見つめる。


「お前は、呂不韋の道を歩むつもりか?」


 呂明は静かに首を横に振った。


「私は私の道を歩みます。ただ……この勅書と、父の言葉を胸に、巴蜀を制する覚悟は決まりました」


 嬴政は満足そうに頷き、最後の茶を飲み干した。


「よかろう。好きにやれ、呂明」


こうして、呂明の巴蜀行きは決定した。手にした勅書と、呂不韋の言葉を胸に、彼は秦の未来を賭けた戦いへと歩を進めることとなる。


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