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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第一章 孤影、商道を往く
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第十七話 己の正しさを証明する力

 静寂に包まれた書斎。燭台の炎が揺らめき、長い影が壁際の古びた書物や玉飾りに淡く刻まれている。そこに、秦の丞相である呂不韋が、厳かな表情で机に向かって座っていた。その対面には、膝を正して座る若き息子、呂明がいた。


 重い空気の中、呂不韋は静かに口を開いた。


「強さとは何か」


 呂不韋の問いは、燭台の炎がはぜるかすかな音とともに、部屋全体に響いた。呂明は、その言葉を胸に刻みながら、父が何を求め、何を問おうとしているのかを思案した。その問いは、単なる権勢争いの話に留まらず、もっと根源的な、己の正しさとそれを証明する力についてのものだった。


 しばらくの沈黙の後、呂不韋は語り始めた。


「我が若い頃、私は一介の小商人であった。かつて、懐にあったたった一粒の玉をもとに、地元の市場で小さな取引を始めた。玉の輝きを見極め、どんな品物に需要があるかを丹念に読み取り、交易路を開拓していった。その過程で、金銭はもちろん、民の欲望や情愛、そして信頼というものが、商いにおける真の力であることを学んだ。金はあくまで手段に過ぎぬ。情もまた、利用すれば崩れゆく。しかし、正しさ――己が信ずる道を貫くための意志と知恵こそが、真の強さなのだ」


 呂不韋は、懐から小さな玉を取り出し、机の上にそっと置いた。その玉は、かつての小さな出発点の象徴であり、今の彼の重い現実を映し出すかのように、淡い光を放っていた。


「だが、時は流れ、我は次第に秦の権力の座についた。王宮の奥で、皇后との情愛を利用し、私の策は国の運命を動かす力となった。しかし、今や皇后は私情に流され、かつて私が頼りにしていた忠実な盟友たちが連座の恐れから次々と手を引き、勢力は内側から崩れ始めている。そして、若き嬴政は、その隙を突き、情報を集め、私の権勢を削ぎ取ろうと画策している。これが、嫪毐事件を通じて明らかになった現実である」


 呂不韋の声は、過去の栄光とともに、今の苦悩と不安をも内包していた。彼は、かつての自分が如何にして金銭と策略、情愛を駆使し、秦の権力の頂点に上り詰めたかを思い出しながら、苦々しく続けた。


「だが、力とは、他者から与えられるものではない。金も情も、あくまで手段にすぎぬ。真の強さとは、己の正しさを証明する力、すなわち、我が信じる『正義』を貫くための意志と知恵である。もしそれが失われれば、我々が築いてきた全ては、あっという間に崩れ去る。今、嬴政は、各地に配下を派遣し、市場の情報を集め、我が弱点を露わにしようとしている。これは、私に対する明確な挑戦だ」


 呂明は、父の言葉を胸に、深く息をつきながら問うた。


「父上……では、私に課せられた『強さ』とは、一体何なのでしょうか。金や愛を使うことは、ただの手段でしかないのなら、どうすれば自らの正しさを証明できるのでしょうか」


 呂不韋は、しばらく呂明の瞳を見つめた後、低く、しかし力強く答えた。


「明、強さとは、己が信ずる正しさを、誰にも揺るがせぬものにする力だ。商いにおいて、金銭や情愛はあくまで材料にすぎぬ。だが、その材料を用いて、民の心を動かし、国の未来を左右する力を発揮すること――これこそが、真の強さである。お前には、この先、民の声を集め、取引の現場で得た知見をもって、正しき秩序を築く力を養ってほしい。そして、いつの日か、たとえ全てを失ったとしても、再び立ち上がる不屈の意志を持つ者となるのだ」


 呂明は、父の重い言葉に胸が締め付けられるのを感じた。過去の自らが、小さな玉ひとつから始め、困難を乗り越えて秦の権力の中枢にまで上り詰めたその軌跡が、今、父の言葉の中に鮮明に蘇る。そして、彼は深い思索の末、ついに決意を込めて口を開いた。


「父上……俺は、ただ流されるだけの者ではありません。金や情愛に頼るのではなく、自らの正しさを証明する力――つまり、民の声と取引の知恵を一つにまとめ、正しい秩序を築く力を、必ず身につけてみせます。そうすれば、父上が築いた秩序も、嬴政の野望にも、屈しない真の強さとなるはずです」


 呂不韋は、呂明のその答えを受け、静かに微笑んだ。しかしその微笑みは、過去の苦悩と未来への重い責任感が交錯する、深い余韻を伴っていた。


「よかろう、明。お前がこの先、己の道を切り拓き、正しさを証明する力を養うことが、私の望みであり、この国の未来を守るための礎となる。強さとは、外から与えられるものではなく、己の内から湧き上がる意志と知恵である。その力を、必ず手に入れよ」


 呂不韋は静かに立ち上がり、呂明の肩に手を置いた。その手には、かつて数々の商談をまとめ、権力を手繰り寄せた者の重みがあった。


「私は間もなく失脚する。だが、敗者が全てを失うとは限らない。これからはお前が自らの道を探せ」


 呂明はその手の温もりを感じながら、己が何を信じ、何を貫くべきかを考え始めていた。


 燭台の火が揺れ、静かな夜が続いていた。

数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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