第百二十六話 重なる影
港の夜は、祭りの余韻を抱えたまま輝きを放っていた。
灯会祭を境に、港町は昼だけでなく夜も賑わいを見せ、提灯の列が川沿いを照らす。
旅人が足を止め、小商人が笑い声を響かせ、子どもたちが夜更けまで走り回る。
「光は、人を集める」
蔡邑が呂明の隣でそうつぶやいた。
呂明は歩を緩めず、視線を遠くに向ける。
「……集まるのは、人ばかりじゃない」
同じ頃、甘家本邸。
甘延は幹部を前に、港の収支帳簿を叩きつけた。
「港外で夜市を開いたせいで、港湾税の取りこぼしが出ている」
声は低く、しかし刃のように鋭かった。
茶頭が続ける。
「港湾労働者の一部も夜市に流れ、昼間の作業が遅れています。荷の積み下ろしが滞れば、船主たちも不満を…」
甘延は眉をひそめた。
「金は血脈だ。流れが変われば、体は死ぬ」
表では協力の笑顔を見せる男が、裏では密かに命じる。
「夜市の規模、出入りする者、商いの金の流れ──すべて調べろ。港の外で港を作らせるな」
厳勝のもとに、部下が駆け込んだ。
「港の周りで、妙な連中を見ました。荷を覗き込んだり、帳簿を盗み見ようとしたり…」
報告を聞き終えると、厳勝は呂明に伝えた。
「灯の明かりは遠くからも目立つ。余計な者も寄ってくる」
呂明は淡々と返す。
「影が形を持つのは、時間の問題だ」
夜市の裏手、港湾労働者たちの酒盛りの中で不満の声が上がっていた。
「夜市に客を取られたせいで、賃金が下がる」
「港は俺たちの場所だ。よそ者に荒らされてたまるか」
その輪の外で、行商人の一人が小さくつぶやく。
「港を仕切るのは甘家だけでいい。余計な勢力が出てきたら、困るのは俺たちだ」
呂明は遠くからその様子を眺めながら、蔡邑に言った。
「影は一つじゃない。重なれば、濃くなる」
やがて、小さな事件が起きた。
夜市の一角で、提灯がいくつも切り裂かれているのが見つかったのだ。
赤い紙の破片が、夜風に揺れていた。
厳勝が呟く。
「甘家の仕業か?」
呂明は首を横に振った。
「影は必ずしも、一つの主を持たぬ」
港外れの薄暗い倉庫。
数人の影が集まり、声を潜めて密談している。
「動くのは今だ、祭りの熱が冷める前に…」
低い声と笑いが闇に溶け、外の川面に、切り裂かれた提灯の破片が流れていった。




