第百二十話 灯をともす
斉の臨淄、連衡商会の屋敷の一室に、淡い灯がともっていた。呂明の前に座すのは、連衡商会筆頭の東門周である。大柄な体躯に、かすれた声。その目は夜でもよく見えているかのように、呂明の動きをじっと観察していた。
「貴公の取引、見事だった。だが、うちの若いのが出し抜かれたままでは、示しがつかん」
東門周が目線で合図すると、背後の戸が開き、陳平が現れる。少年とも青年ともつかぬ年頃だが、その目に浮かぶのは挑発的な光だった。
「一勝一敗。最後は私と一局、どうです?」
呂明は小さく息を吐いた。東門周は、陳平を通じて呂明の器を見極めようとしている。そして、ここで勝っても負けても、何かが動く。
「望むところです。ただし——」
呂明は懐から小さな紙包みを取り出す。それをそっと卓上に置き、開いた。
中には、和紙に包まれた蝋の塊があった。
「蝋燭か?」
「いえ、これは夜を照らす道具の試作です。提灯に使える新しい燃料を仕入れました。これを用いれば、風に強く、火持ちもよくなる。今の斉には、こういうものこそが必要では?」
提灯——。
その言葉に、陳平の表情が変わった。夜道を行く人々、兵の警邏、商人の深夜の出入り。どれも光が不可欠だ。だが、油は高く、風に弱い。蝋を用いた提灯など見たことがない。
「なるほど、それをどう売るつもりです?」
「売る前に、夜市で使ってもらいます。街の灯がひとつ、またひとつ増えれば、人の足は自然とそこに向く。人が集まれば商いが生まれ、商いがあれば安全も求められる。これは、商いで町をつくる第一歩です」
東門周が低く笑った。
「面白い……連衡の名を使ってもいい。だが、そのかわり——この若造を納得させてみろ。お前の灯が、ただの蜃気楼か、真の商機か」
「承知しました」
陳平と呂明の視線が、卓上で交錯した。
その夜、臨淄の裏通りに、小さな夜市が立った。呂明と連衡商会が試みに点した提灯は、風にも消えず、静かに夜を照らした。
その光の下で、子どもが飴をねだり、女たちが布を撫で、兵が腰を下ろして酒を飲んでいた。人が灯に集まってくる。まるでそこに、希望という名の焔がともされたかのようだった。
陳平は、少しだけ目を細めた。
「……負け、ですね。こんな商売、初めて見ました」
「これからも、もっと見せますよ」
呂明は小さく笑った。その目の奥には、斉を出る準備と、次なる地への旅路が映っていた。




