第十二話 陰謀の影――政治の裏側に潜む真実
市場は朝から、活気ある掛け声と商人たちの熱い議論に包まれていた。
露店の奥で、商人たちと一人の役人がひそやかに集まっていた。官僚は、低く計算された声で語り始めた。
「我々が安全を保証するには、貴殿ら商人に、特定の交易路の独占および、重要商品の優先的な買い付けを確約していただく必要がある。そして、これに対する御礼金として、皆様のご厚情を頂戴することを条件とする」
その瞬間、周囲の空気はひんやりと冷たく、露店の布や陶器の匂いの合間に、どこか重苦しい緊張感が漂った。
商人たちの顔には、血の気が引くような青ざめた表情が一瞬走り、手元にある小判や銭貨の金色が、普段の温もりを失ったかのように、硬く冷たく映った。
薄明かりの中、老商人の額に浮かぶシワが、内心の不安と長年慣れぬこのような要求への戸惑いを物語っていた。
役人の言葉は、まるで市場のざわめきの中に、不意に刺さる鋭い刃のようで、商人たちは静かに、しかし確かにその意味を噛み締めた。
誰もが、これまでの常識に反する新たな取り決めに対して、心の奥で抵抗感と共に、何とか対応せねばならぬと感じていた。
――その光景を遠目から見守る中、呂明は心の中で激しく葛藤した。前世で学んだ論理だけでは計り知れぬ、権力と商いが絡むこの世界の厳しさに、胸中に不安と責任の重さが押し寄せる。
その夜、呂明は父・呂不韋の書斎に呼ばれた。燭台の火が静かに揺れる中、呂不韋は呂明に向かって、低い声で話し始めた。
「昨日、市場で見た商人たちの表情を、君は覚えているか? 彼らの目には、これまでのやり方に対する疑問と、これからの変革を恐れる気持ちが混じっておった。官僚が『御礼金』という形で、見えぬ要求を突きつけたとき、商人たちは、慣れ親しんだ日常が一瞬、音を立てて崩れるのを感じたのだ」
呂明は、父の言葉を噛み締めながら答えた。
「はい。彼らは、いつもなら自然に流れる取引の流れが、一変するのを目の当たりにして、心の奥底で冷ややかな恐怖と戸惑いを感じていたように見えました。あの場面では、空気が一層引き締まり、まるで市場全体が静寂に包まれるかのようでした」
呂不韋は、呂明の瞳を見つめ、さらに続けた。
「商いの正道とは、客の心を正しく読み取り、その嗜好に応じた価値を自然に生み出すことだ。しかし、ここに見せたような裏の駆け引きは、我々が信ずべき正道ではなく、いわば邪道に近いものだ。たとえ一時の利益をもたらしたとしても、民の信頼を損ね、国全体の秩序を乱す危険がある」
呂明は、父の厳しい言葉に胸を痛めた。同時に、これまで自分が学んできた商売の極意と、今目の前にある権力の暗躍との間に、深い葛藤を感じた。
「父上……俺は、ただ市場の風を読むだけでなく、自ら新たな風を起こし、この国の未来をも動かす力を身につけたいと願っています。しかし、その道は決して容易なものではなく、正道を守ると同時に、邪道に流されぬ覚悟が必要だと、今、痛感しております」
呂不韋は静かに頷き、深い溜息をついた。
「その通りだ、呂明。お前がこれから選ぶべきは、正道を堅持しながらも、変わりゆく時代に柔軟に対応する術である。民の信頼は、正しい道を歩む者にのみ与えられる。だが、時には、己の理想を貫くために、困難な選択を強いられることもあるだろう。お前には、その重さをしっかりと胸に刻み、歩む覚悟が必要だ」
窓から差し込む月明かりが、呂明の顔を淡く照らす。彼の瞳は、決意と同時に、深い不安も宿っていた。市場でのあの衝撃的な情景と、官僚たちの裏の要求が、今や彼の心に重くのしかかっていたのだ。
「俺は、ただ流されるのではなく、正道を守りながらも、己の力で新たな風を起こす者となる。民の信頼を得るため、そして国の未来を正しく導くために……」
呂明は小さく、しかし確固たる声で誓った。
その言葉は、夜風に乗って書斎の静寂に溶け込み、呂明の内面に新たな決意として刻まれた。市場で見た、民の声と権力の駆け引き――すべてが、これからの彼の歩むべき道を示す羅針盤となることを、彼は確信した。




