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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第八章 黎明渡世編
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第百十二話 北風、裂けし都より

 代の地──乾いた風が石畳を鳴らし、地平の彼方に雪混じりの雲が垂れ込めていた。


 呂明は、童庵の新たな屋敷を見下ろす丘の上に立っていた。冬を前にして尚、交易路には荷車が並び、鍛冶の音と叫び声が、代に活気を与えていた。


「……ここを“風の根”とする。ここから、東へ風を送る」


 呟くように言い、呂明はふと背後に視線を向ける。


「荷の積み込み、完了しました」


 趙嘉が、粗末な従者服に身を包み、少し照れたように言った。かつて玉座に連なる者の面影は、すっかり町人に紛れている。


「王の血筋が、荷車を押す日が来るとはな」


 呂明が苦笑し、趙嘉もようやく笑う。


「道を知るには、まず歩かねばなりませんから」


 言葉の奥に、強い意思があった。都を追われ、命を狙われ、それでもこの男の瞳は消えていない。


 呂明は、懐の書簡をそっと撫でた。李斯宛に宛てた文──趙の内情と、王子の安否を知らせる密書だ。


「秦はこれを読んで、何を思うだろうな」


 呟きながら、空を見上げた。冬の陽が、曇天の隙間から一条だけ差していた。


     


 ──数日後、燕国・けいの外れにて。


 商隊の一行は、凍える荒野を抜け、ようやく都の城壁が見えた。呂明は馬を降り、町の空気を嗅いだ。


 冷たく乾いた風の中に、どこか張り詰めたような緊張が混じっている。


「燕もまた……“怯え”ている」


 呂明の目が鋭くなる。


「秦と直接、国境は接しておらぬのに」


 趙嘉が驚いたように言う。


「だからこそ、なおさら恐れているのだ」


 呂明は低く続ける。


「次に“矛”が向くのはどこか──民も、王も、それを知っている。だが抗う術を持たぬ。信も、力も……いや、意志すらもだ」


     


 薊王宮──燕王喜けいは、書簡を握り潰していた。


「……あやつ、戻ったのか」


 声はかすれていた。


 燕丹──咸陽で人質として送ったはずの息子が、秦から脱し、故国に帰還したという報告。


「何故だ……あやつが戻れば、秦を怒らせる。国を滅ぼす火種にもなり得る」


「しかし、王よ。丹様は……嬴政殿下の怒りを買って命を落とすところだったと」


 侍臣の声に、燕王は目を閉じる。


 かつて、嬴政と燕丹が語らっていた様を思い出す。あの若き秦王は、我が子にとって唯一の友であったはずだ。それが、なぜ──。


 やがて目を開き、低く呟いた。


「……嬴政よ。お前は、あの子を“友”と思っていたのか」


     


 一方、秦・咸陽。


 李斯は密書を前に、目を細めた。


「趙嘉、存命──童庵の商人が保護。趙において政変あり。王、危篤──」


 嬴政は沈黙のまま、呂明の筆跡を見つめていた。


 呂明の報告には、政治的な策ではなく、ただ民と地の“温度”が書かれていた。趙の寒さ、代の風、王の病、そして──趙嘉の眼差し。


「……あいつは中立だな」


 ぽつりと、嬴政が言った。


「利で動き、信で結ぶ。その姿勢は、あまりにも透けて見える」


「信じられる、ということですか?」


 李斯の問いに、嬴政はわずかに目を細めた。


「──いや。信じられるからこそ、脅威になる。利と信を使い分ける者こそ、もっとも危うい」


 その声は、微かに震えていた。


 あの旅団の中に、かつての友──燕丹が戻ったという知らせが、まだ胸を刺していた。


数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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