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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第七章 風信難報編
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第百六話 王の器

 趙・邯鄲。王宮、北殿。


 夕刻の光が、金飾の扉を赤く染める。献上の香がかすかに揺れ、静謐の中に、気怠さと緊張が同居していた。


「……呂明とか申したな。よくぞ我が呼び出しに応じたな。」


 玉座の上から、悼襄王が低く問いかける。


「はっ。童庵と西涼の一部を取りまとめております」


 呂明は深く頭を垂れた。周囲には、悼倡后と郭開が控えている。


「童庵。民が群れをなし、商いを司り、軍と結び、軍政すら変える。その元締めと申すか」


 王は扇を片手に、じっと呂明を見下ろす。


「民を使い、国の形を変えようとする者は、官であれ民であれ、厄介な存在だ」


 郭開が静かに口角を吊り上げる。悼倡后は笑わず、ただ呂明を値踏みするように見つめる。


「私はただ……民が飢えず、血を流さぬよう、商いの道を通したまでです」


「道? お前は“道”を通すために、民を使っているのか?」


 悼襄王の声音に、かすかな苛立ちが滲む。


「違います。信を通すために、道を拓いております」


 呂明の声は揺れなかった。王がわずかに身を乗り出した。


「……その瞳。若き嬴政と似ておる。わしは、あの男が嫌いだ」


 静まり返る室内。王の瞳に、一瞬、かつての記憶がよぎった。張唐を従え、邯鄲を去った少年――あの光のような瞳。己にないものを、まばゆく放つ男。


「李牧も同じだ。眩しすぎる男だ。なれば、そなたも……嫌いだ。だが、趙を、我を儲けさせてくれるのであれば話は別だ。李牧はどれほど払ったか。正義のためと言って値切らなかったか?」


 呂明は返さなかった。ただ、黙して一礼する。


 そのとき――


「下がれ、呂明」


 郭開が、あくまで柔らかく声をかけた。


 呂明が退室しかけた刹那、扉が開く。


「お待ちください! 王よ、これは正さねばなりません!」


 現れたのは趙嘉。顔を紅潮させ、目を見開いている。


「郭開――郭開が、李牧将軍の補給を故意に妨げております!」


 室内に一瞬、冷気が走る。


「李牧将軍は、趙を守る盾です。その盾に、毒を盛るなど……許されません!王よ、あなたは――我らを見捨てるおつもりか!」


「黙れ!」


 王の声が叩きつけられる。呂明の眉が僅かに動いた。


「李牧、李牧、李牧……お前らはそればかりだ!」


 悼襄王は立ち上がり、額の汗を拭うこともせず、趙嘉に指を突きつける。


「我こそ王だ。誰が太子になろうと、誰が勝とうと、わしが決める。正しいかどうかなど、知ったことか!」


「王よ、正道を踏み外しては……!」


「うるさい……。李牧も、嬴政も、皆正道を歩めと言う。民の声に押され、兄を失い、后の一言で玉座を得た。だが、得た王位に、玉座に、力はついてこなかった……。正道など、正論など……!」


 悼襄王はその場でふらついた。


「王……!?」


 郭開が駆け寄ると同時に、悼襄王は苦しげに胸を押さえ、そのまま倒れ込んだ。


 玉座の間に、衝撃が走る。


「医師を呼べ! すぐに!」


 悼倡后の叫びが響く。


 王が倒れた混乱の中、郭開が呂明を促すように目配せし、侍臣が「呂明殿、ここは……」と静かに退席を促す。呂明は、最後に一瞥だけ王の姿を見て、黙して立ち去った。



 翌日。王の寝所。御簾の奥には、意識の戻らぬ悼襄王。


 郭開と悼倡后が、密かに言葉を交わしていた。


「……このままでは、趙嘉が太子となりましょう。李牧の後ろ盾により」


「それは困る。あの者の後ろには、民の目がある……幽繆さまこそ、私たちの望み」


 悼倡后が静かに筆を取り、巻物を広げる。


「……王命により、幽繆を太子とする」


「印は?」


「王印は、昨夜、私が……」


 筆が走る。郭開がにやりと笑った。


「これで、よい」



 同刻、呂明は童庵の屋敷に戻っていた。張が小走りに駆け寄る。


「呂主。王が倒れ、趙嘉殿の姿が見えぬとのことです。何か、動きがあります」


 呂明は答えず、巻物の地図を広げ、補給線を示す印を静かに見つめていた。


「……李牧の道は、閉ざされようとしている。“風”が、止まりかけているな」


 呂明の目に、わずかな怒りと哀しみが宿る。


「――だからこそ、見極めねばならぬ。“信”が消えぬ道を」

数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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