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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第七章 風信難報編
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第百三話 小人の道

 邯鄲・郭府。


 薄暗い書斎に、香が静かに焚かれていた。


 郭開は帳面をめくりながら、文の封を切る。手元の火皿で蝋封を溶かし、羊皮紙を広げる。


 その文は、秦の咸陽から届いたものだった。


――李牧、次戦は肥下。

――貴殿の働きに、我が国は報いよう。


 短く、それだけだった。だが、郭開の口元には、薄く笑みが浮かんでいた。


「……敵の敵は、味方というわけだ」


 李牧の軍が肥下に向けて進発したのは数日前。趙王の名のもとに進軍してはいるが、実質、軍権を握るのは李牧その人である。


 もはや、王も、郭も、李牧を止められぬ。


「勝てば、李牧は“英雄”になる……それだけは、避けねばならぬ」


 机に広げた地図に、墨で一点を示す。肥下。秦軍と趙軍が激突する、次なる戦場。


「勝たせぬ。それが、すべてだ」




 一方、咸陽・秦宮。


 宦官が文を差し出し、政が目を通す。


「郭開より密書。『李牧、まもなく肥下に至る』と」


 政は静かに頷いた。


「趙の王に忠を尽くす者ではない……が、使いようはある」


 李斯が控えから進み出る。


「郭開。確か、かの呂不韋と一度は通じたとも聞いております。権勢の匂いを嗅ぎ分ける鼻は確かにございますな」


「だが、信用はならぬ」


「ええ。あくまで“使いよう”として」


 政は短く笑い、地図上の肥下を指さす。


「李牧を葬るに、剣は要らぬ。小人が一人いれば、事足りる」




 肥下の野。


 李牧の軍が到着し、陣を敷いていた。風が吹き抜ける平原。春の兆しとともに、南の空に緊張が漂っていた。


 阿述が報告に来る。


「敵の動き、未だなし。だが……」


「だが?」


「……我らの補給線が、いくつか不自然な遅延を起こしています。出発地は、邯鄲周辺」


 李牧の眉が、僅かに動いた。


「……小人が、動き出したか」


 彼は空を仰ぐ。青空は澄んでいたが、どこかに、不穏な影がある気がした。




 鄴。


 呂明は、西涼から戻った張の報告を受けていた。卓の町で受け取った礼金の一部は、既に童庵へと還元されている。


「報酬の件、全て処理済みです。現地は呂様に深く感謝しております」


「礼ではない。対価だ。……信が道を繋ぐならば、それを維持する現実の力も、忘れてはならぬ」


 張は黙って頷く。


「だが、その“道”を壊そうとする者もいる。李牧将軍の周辺に……“風”の逆流が始まっている」


 呂明は立ち上がり、遠くを見やった。


「李牧は、風を南へ運ぶ男だ。だが、その背に吹く風が、毒を含んでいるならば――」


 その言葉は、誰に向けたものか分からなかった。


 だが確かに、風の向こうに、新たな争いの匂いが混ざり始めていた。

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