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神商天秤 〜黄金の秤を継ぐ者〜  作者: エピファネス
第六章 越境商人編
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第九十九話 火種は、まだ消えず

 咸陽の朝は、冷えていた。


 玉座の間に走る緊迫は、冬の空気よりも凍てついている。


「……なんだと?」


 王綰が、書状を握りしめたまま、眉を吊り上げる。


「西涼に、兵糧が――届いた、だと?」


 漢中、洛陽、いずれも差し止めに成功したはず。咸陽中枢の情報統制は完璧だった。にもかかわらず――西涼の駐屯地には、十分すぎる兵糧が流れ込んでいた。


 報告の裏付けは、複数の斥候から同時にもたらされた。驚きと同時に、驚愕と困惑が咸陽の各所を駆け巡る。


 廷臣たちはざわめき、誰もが口をつぐんだ。


 最初に声を上げたのは、若手の官吏だった。


「まさか、呂明……あの男の仕業では?」


「いや、間違いないだろう。あれは、呂不韋の血を引いている」


「単なる商人ではない。あの才覚、まさしくかつての“丞相”を思わせる」


 次々と上がる声。


 賞賛と羨望が混じる中、王綰は黙して立ち尽くしたまま、目を細める。


 ――呂不韋の血。


 その名が、久しく禁忌のように扱われていたはずの咸陽で、再び口にされた。


「くだらん」


 王綰は低く吐き捨てた。


「商人風情が何をしようと、それは管子の影なくしては成せぬこと。所詮、旧呂派の残り火よ」


「だが、火はまだ消えていなかったのでは?」と、側にいた臣が呟く。


「今、この秦の中央に、“もう一つの流れ”が芽吹きつつあるのかもしれません」


 王綰は返事をせず、ただ静かに背を向けた。仮面をつけずに動き始めた“旧き者たち”。そして、それを再び活性化させる呂明という存在。


 その名が、次第に中枢にまで届く。


     


 時を同じくして、韓の地でも、報が届く。


 張良は細く目を細めた。


「……なるほど。なるほどね。あれを通したのか。まさか、あのルートを」


 名は出さない。だが察する。


 張良は一枚の札を手にとった。紅と白が交わる呂明の商標。その札が、韓にも静かに流通を始めていた。


「やはり君は……ただの商人ではないな」


     


 咸陽の一角、夜の帳が下りた屋敷。


 薄灯の下、管子は茶を口にしながら、来客の報告を聞いていた。


「呂明の動きに、驚きの声が上がっております」


 家臣が言うと、管子はふっと笑った。


「誰もが“表”を見たがるものだ。だが、あの子は――裏の布を、誰よりも柔らかく、そして遠くへ広げる」


「再び、“呂”の名が、咸陽に」


「ふさわしい器があれば、名など勝手についてくる」


 管子は杯を伏せた。


 その指先は、かすかに震えていた。怒りでも、興奮でもない。ただ、何かが確実に、遠くで動き出した予感。


「……火はまだ、消えていない。ならば、風を送るまでだ」


     


 そして、遠く鄴の城。


 報を受けた呂明は、文を握りしめ、ただ一言つぶやいた。


「次は、届ける番だ。命と、信を」


 夜風が吹き抜けた。


 その風は、かつて呂不韋が築こうとした“もうひとつの秦”を、再び揺らし始めていた。



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