補佐官に会いましょう
セプディッチは、ジャグルコット地方にある地方都市。
工業化に遅れ、時間の止まった街と言われる。
「あーあー。
思った以上に寂れてますねー。」
屈託なくアッシュがいった。
ロビンが呆れたように注意する。
「大きな声で言うんじゃない。」
「誰もいないよ!」
「…ったく。
まあ、確かに地元の人間も、本当に少ないな。」
背の高いコンクリート製の大厦。
尖った屋根、植物の蔦をモチーフとした彫刻やレリーフ。
しかしそのどれもが古ぼけている。
また多くの窓には、木板が打ち付けられている。
もう住民がいない印だ。
他の街に移ったか。
伝染病で死んだか。
昼間だというのに人の姿は、まばらだ。
「んんっ?」
ロビンは、赤い服を来た一団を発見した。
遠くに3人、赤っぽいコートを来ている連中が歩いている。
彼らの服装に見事な金刺繍が見つかれば、何者か誰でも一目瞭然だ。
血統鑑定局の血統鑑定官だ。
「…血統鑑定官。
……3人とも?」
ふとロビンは、訝しんだ。
「訊いてみようか?」
アッシュがロビンに、そう提案する。
血統鑑定局は、死神のように恐れられている。
だが狩人の騎士団と敵対している訳でもない。
それでも恐ろしい連中だということは、間違いない。
だからロビンは、少し考えた。
(面倒な事件現場に、面倒な連中…。
……でも、だからこそあいつらも協力的になるかも…。)
考えたが、ここは、アッシュの提案を実行する。
ロビンは、自動車も馬車も通らない道を渡り、血統鑑定官たちに追い付く。
「あのーっ!」
ロビンが血統鑑定官を呼び止める。
絹高帽を乗せた3つの頭が振り返る。
3人は、若い男女の血統鑑定官だった。
普通、彼らが集団で活動することはない。
血統鑑定官は、常に単独で行動する。
仮に獣狩りに出ても血統鑑定官が二人現れることはない。
人数を要する場合、彼らは、騎士団の増援を要請する。
従って血統鑑定官が3人もいるだけで尋常のできごとではなかった。
彼らもそんな場面を見つかって都合が悪いハズだ。
「…貴公は?」
若い男の血統鑑定官がロビンとアッシュに訊ねる。
「俺は、ロビン。
こっちは、アッシュ。
騎士団の指令でやってきました。」
ロビンがそう言うと女の血統鑑定官がいう。
「…獣狩りの情報が欲しいということか。
悪いが我々は、この街を通りかかっただけだ。
貴公らに提供できる情報はない。」
するとロビンは、肩を揺すって笑った。
「そんなまさか。
血統鑑定官が3人でまとまって歩き回るなんて見たことがない。
…貴方たちも”無罪”フィンガーの死に関係してるんじゃ?」
ロビンがそういうと最初の男の血統鑑定官が答える。
「特定の支部に所属していない貴公らに余計な詮索は、無用じゃないかね。
我々は、この土地で任務はない。
失礼させて貰う。」
「待ってくださいよ。」
立ち去ろうとした血統鑑定官たちをなおもロビンは、呼び止める。
「苦しい言い訳は止めて下さいよ。
獣がいる街でわざわざ待ち合わせなんて。」
ロビンが食い下がると血統鑑定官たちは、顔を見合わせた。
やがて3人目、もう一人いる男の血統鑑定官が答える。
―――おそらく3人の中で立場が上の人物
「貴公に見つかったのが…。
いや、何かの縁…。
これは、奇縁やも知れぬな。」
そういって男は、おもむろに指をさす。
そこには、一台の馬車が停まっていた。
「我々は、補佐官閣下と同行している。
閣下の狩りに加わるために来たのだ。
信じられぬのであれば、貴公らも閣下に見えるが良かろう。」
それを聞いたロビンは、知らず知らずのうちに汗が頬を伝った。
やや驚いて声が上ずる。
「ほ、ほあっ。
………補佐官が…?」
堪らずロビンは、膝が震え上がった。
豪華な四頭立ての馬車を、じっと見つめる。
カーテンを引かれた窓の向こうに補佐官がいる。
血統鑑定局の事実上の最高権力者だ。
さすがにロビンは、馬車まで近づく勇気がない。
血に狂った血統鑑定官の中でも一番、頭のおかしい狩人だ。
血液鑑定一つでまだ獣でもない人間や病人を次々に殺して回る。
理屈の通じない死神たちの親玉なのだ。
改めて血統鑑定官は、いう。
「どうか?
血統鑑定官が3人いることにご納得頂けたであろう。
悪いが、閣下をお待たせしているのでね。」
そう言うと3人の血統鑑定官は、この場を去ろうとする。
青褪めたロビンは、これ以上、彼らと関わるのを避けた。
「?
ロビン、行かないの?」
そう言ったのは、アッシュだ。
すでに馬車に向かって歩いている。
怖いもの知らずだな。
3人の血統鑑定官とロビンは、飛び上がりそうになった。
「お、おいッ!
補佐官が乗ってる馬車だぞ!?」
ロビンが呼び止めるがアッシュは、聞かない。
「えーっ?
大丈夫だよ。
俺、何にも悪いことしてないモン。」
慌てて血統鑑定官の一人が馬車に駆け寄る。
アッシュを一度、馬車から遠ざけ、中の補佐官に声をかけた。
「閣下。
騎士団の狩人が我々の行動を咎め立て致しまして…。」
余計なことを。
ロビンは、そう思った。
やれやれ、何か情報を貰えるかと思ったのに。
「………。」
馬車から返事はない。
カーテンの向こうに、本当にあの補佐官がいるというのか。
あの血統鑑定官たちが熱狂する純血主義の偶像。
一等人種という幻想を守る狂人が。
「中を見せて貰えるんじゃないんですか?」
アッシュが馬車を指差して血統鑑定官に訊ねる。
それを見たロビンは、心臓が飛び出し、血が凍り付くかと思った。
「閣下の了解を得るまで待ち給え。
お疲れなのだからね。」
血統鑑定官がそう言うと馬車から、コンコンとノックする音がした。
開けても良いということだろう。
「開けてもいいみたいですね?
いいですか?」
アッシュが確認する。
だがアッシュが開ける前に馬車のドアは、内側から開いた。
「………?」
アッシュは、開いたドアから馬車を覗く。
ドアには、誰も手を触れていない。
だから中から補佐官がドアを開けたはずだ。
しかし馬車の中には、誰もいない。
空の座席が見えるだけだった。
「………誰もいない。」
そこでアッシュは、馬車に乗り込んだ。
3人の血統鑑定官が目を剥いて驚いた。
ロビンも飛び上がりそうになる。
「………お、オイ…ッ!?」
するとドアが閉じ、アッシュは、車内に閉じ込められる。
馬車の前で4人は、凍り付いた。
ロビンは、緊張と恐怖の限界だった。
身動き一つできず、アッシュの無事を祈るしかない。
アッシュは、どうなった?
馬車には、誰も近づこうとしない。
「…え?
…これが補佐官?」
一度だけ、アッシュの声がする。
しばらくするとドアが開き、アッシュが出てきた。
それも、血塗れになって…。
「うわああああッ!!!」
ロビンは、アッシュを抱き抱える。
馬車から引き離して声をかけた。
「うわあーッ!!
アッシュ!!
アッシュ!!」
「だ、大丈夫だって…。」
アッシュは、そういって立ち上がる。
何が何だか分からない。
ロビンは、へなへなと力が抜けて石畳の道に座り込んだ。
「強過ぎ…。
う、ああ…。」
アッシュは、そう言って背伸びした。
傷は、塞がっているようだ。
「は?」
ロビンが呆気に取られてアッシュを見つめる。
オレンジ色の瞳がロビンを見つめ返した。
アッシュは、臆面もなく答える。
「補佐官って会ったことないからさ。
俺が補佐官だぞーって言われても困るじゃん。
で一度、戦ってみれば分かるかな?
っていったら戦ってくれた。
そしたら強い、強い。」
何言ってんだこいつ。
ロビンは、背筋が凍り付いた。
まさか補佐官と戦ったのか?
大胆な奴!
身の程知らずな奴め!
ここで最初の男の血統鑑定官がいう。
「これでご納得いただけたかね。
我々は、獣狩りに向かう途中なのだ。
セプディッチの獣の情報は、持ち合わせていない。」
「…分かったよ。」
ロビンは、立ち上がりながらそう言った。
「でも、あんたらを見たことは、騎士団に報告するぜ。
…協力してくれなかったともな。」
恨めしそうにロビンが凄む。
しかし血統鑑定官たちは、何も答えない。
ただ黙って一礼し、馬車に乗り込んでいった。
「どうする?」
アッシュがロビンに声をかける。
不思議なことに血塗れの姿が元に戻っていた。
ロビンは、少し考えて
「とりあえず寝るところを探すか。
…安心してな。」
と答えた。
血統鑑定官が補佐官を含めて4人。
やはり普通じゃない。
安全な宿を確保しようと思うのは、当然だ。
それから2人は、できるだけ人の多そうな通りを探した。
しかしセプディッチは、どこも荒れ果てている。
人の多そうな場所こそ、探すだけで一苦労だ。
廃屋がどこまでも続いている。
「…ないね。
安心して寝られそうなところ。」
アッシュが疲れたようにいう。
道の反対側に老人たちが座っている。
きっと朝から夕方まで、あの場所にいるんだろう。
それも1年中。
「獣の気配もしないな。
…するか?」
そうロビンがアッシュに訊く。
もっともロビンは、アッシュの感覚をあてにしていない。
アッシュは、天才的な戦闘勘を持っている。
獣と相対した時、それが武器になる。
しかしそこまでが問題だ。
こいつには、獣の気配とか痕跡を探す能力がない。
というより、注意力が散漫なのだろう。
ロビンが導いてやらねば、最下等の獣でも取り逃がす。
「分かんなーい。」
それだけ言ってアッシュは、道に座り込んでしまう。
あてもなく歩くのも一端、休憩したい。
「…でも、おまえ。
なんで補佐官と戦った?」
ロビンが腕を組みながらいった。
今思い返してもゾッとする。
アッシュは、自分のオレンジ色の髪を自分で掴む。
そして乱暴に、グシグシしながら答えた。
「…気に食わないじゃん。」
「それは、まあ、な。」
ロビンもそこは、聞くまでもないことだと思った。
血統鑑定局は、騎士団に加盟していない。
権力もあり、好き勝手に活動している。
「勝手に人の血を抜いて、殺したり病気だとか決めつけるんだぜ?
俺は、嫌いだな。」
アッシュは、そういって憤慨する。
しかしロビンは、平静だ。
「ああ、そうか。
頼むからそれは、俺以外には、いうなよ。
血統鑑定局を皆、認めてるんだからな。」
少なくとも表面上は。
ロビンは、そう考えながら肩を竦める。
「えええっ!?
みんな血統鑑定局を怖がってるじゃん!!」
「頼むからそれは、人前では黙っててくれ。」
ロビンは、アッシュに強く言い聞かせた。
アッシュは、下を向いて石畳を見つめながら話し続ける。
「それに顔知らないし。
さっきも言ったけどさ。
少なくとも俺に負けるような奴が四大支部の院長クラスとは、思えないし。
じゃあ、戦ってやるかって思って。
負けるとは、思ってたけど。」
「…顔ぐらい知ってるだろ?」
ふとロビンが怪訝そうにいった。
アッシュは、驚いて顔をあげる。
「えっ!?」
「…ちょっと来い。」
ロビンは、手近な公園か教会を探す。
困ったもんだ。
補佐官の顔を知らん奴がいるとはな。
そんなに探すのに困らないだろう。
ロビンは、そう考えてアッシュと一緒に街を探す。
そして大通りの十字路で補佐官像を見つけて指差した。
「補佐官像って、そこら辺で見るだろ?
コイツに似てなかったか?」
ロビンの指差す方向をアッシュは、見る。
「えっ?
えー…。
えー…っ!?」
しばらくアッシュは、目を凝らして青銅像を睨む。
かなり古く痛んだ補佐官像が大通りを見下ろして立っている。
どこにでもあるタイプのありきたりな補佐官像だ。
それをアッシュは、初めて見たようだ。
首を傾げ、前後に立つ場所を変えて観察する。
やがて首を横に振り、手をあげていった。
「これが補佐官?
こんな優しそうな顔してなかったけどな…。」
そんなアッシュにロビンは、無理矢理いい聞かせるように
「そこは、色んなパターンがあるからな。」
といった。
しかしアッシュは、釈然としない。
ついさっき、補佐官と実際に会って来たのだ。
「えええっ!?
えええッ!!
違う、違う、違う!!!」
随分な拒否反応だ。
アッシュが見たのは、誰だったのか。
それにしても、そんなに違うのか。
しかしアッシュは、やがて感慨深そうに話し始める。
「でも、嫌な感じはしなかったな。
…うん。」
「分かるもんかよ。」
ロビンは、いい加減に呆れる。
だがアッシュは、懸命に語るのだった。
「分かるよ!
実力の差があったこともあるけど。
小細工ナシで堂々と戦ってくれたし。
速いの、強いの…。
…ああ、これが狩人なんだなーって。
昔の人たちは、こういう狩人を見て、狩人を尊敬したんだって。
俺は、感心しちゃったよっ!」
そうアッシュが熱く語るとロビンは、頭の後ろを掻いた。
そして思い出した。
「そうだ。
拳銃をいっぱい吊ってたか?」
ロビンは、自分の腹の上に手を乗せる。
そしてベルトを巻いている仕草をした。
「補佐官は、七丁。
こう、ずらりと拳銃をホルスターに吊ってるって聞いたことがある。」
「ええ?
…ちょっと良く見てなかった。」
そうアッシュは、ちょっと申し訳なさそうに答えた。
ロビンも頭を手で掻きながらいう。
「ああ、そうか。
俺も噂で聞いただけだからな。」
そんな話をして二人は、補佐官像の前を離れる。
街中の至る所に補佐官像は、ある。
虚ろな偶像が至る所から人々を見下ろしていた。
まるで神であるごとく。