煙吐き
ロビンとアッシュは、というか。
ロビンは、獣の痕跡を追っていた。
アッシュは、その後に続くだけだ。
「ねえ!
ロビン、どこに向かってるの!?」
「分かって来たっ。」
ロビンは、壁を睨みつけたり道路にしゃがみ込んだり忙しい。
獣の残した痕跡を見つけ、分析しているらしい。
「分かって来たんだっ。」
「だーから何が!?」
アッシュは、ガス灯に攀じ登ったロビンを下から見上げる。
ガス灯の天辺に立ち、ロビンは、頭を掻き毟っている。
「この獣は、伝染病なんだ。
一匹の獣から獣化が広がって、こんな状況になったんだよ。」
「何言ってんの。
そんなことある訳ないじゃん。」
アッシュは、呆れたように両手を上げる。
しかしロビンは、本気だ。
「あのクラゲみたいな獣は、感染して増えたんだ。
だから同じ姿の獣が何匹もいるんだよ。」
「偶然じゃないのー?」
アッシュは、飽きて来た。
探偵ごっこは、性に合わない。
地面に綿棒を擦り付け、ピンセットで肉片や毛を集めるのは、うんざりだ。
まあ、アッシュはそれを隣で見てるだけなのだが…。
「こっちだ!!」
ロビンは、そう言って往還を走り始める。
仕方なくアッシュは、その後に続く。
灰色の崩れかかった家々を追い越し、二人の狩人が風のように駆ける。
途中、アッシュが明るい声で叫ぶ。
「馬じゃん!!」
それは、陸軍の持ち込んだ軍馬らしかった。
元の主は、獣にやられたか臆病風に吹かれたのだろう。
「よっし!」
アッシュは、その馬の背に飛び乗る。
ロビンも手近な馬を拝借する。
「はいよぉ、シルバー!」
蹄の音を響かせ、ロビンとアッシュは、郵便局の前に着く。
ロビンは、お構いなく建物の中に馬で乗り付け、階段を昇る。
アッシュも素早く彼に続いた。
流石に1階のホールと違い、2階は天井が近い。
二人は、馬を解放し、自分たちだけで郵便局内を進む。
「よっと!」
「はい、よっと。」
薄暗い室内を数分、歩き回る。
すると窓の割れる音に二人は、振り向いた。
無言のまま二人は、音がする方に駆ける。
そして部屋のドアをブチ抜き、躊躇なく割れ窓から外に飛び出した。
「■■■■■■■■■■ッ!!
■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
ロビンが追い詰めたのは、これまでの獣と姿が違った。
人間に近い。
というより背中に大きな面皰がある以外は、人間のままだった。
強いて言えば頭髪も陰毛も一切なく全裸というのは、他人と違うかも知れない。
「きもちわる。」
アッシュは、寒気がした。
なんだ、あれ。
中にカバンが入りそうなほど大きな粉瘤、それとも膿疱なのか。
背中が山のように盛り上がっている。
それも病的に赤黒く、生理的な悪寒を走らせる。
アッシュは、鳥肌が立つのを感じた。
「なにあれ。
ちょっと気持ち悪いってもんじゃないんだけど!」
「…まだまだ気持ち悪くなるぜ。」
ロビンは、そういって武器と銃を構える。
まさにロビンがそう話す間に異変が始まった。
獣の様子に変化があったのだ。
「■■■■■■ァァァ!!」
獣の全身から触手が伸び、ロビンたちから身を守る体勢を取る。
そして背中の肉芽にも変化が起こり始めた。
なんと先端が肛門のように開き、煙を吐き出した始めたのだ。
「うわッ!
なんのつもりだ、あれ!?」
アッシュは、こんなに獣に心底怯えたのは、初めてだった。
ロビンは、宥めるように声をかける。
「あれが獣化を感染させる原因だ。
こいつを狩れば、獣が増えるのも止まるハズだぜ。」
「気持ち悪すぎるだろ!」
アッシュは、触手を躱しながら獣に近づく。
実際、戦闘は、呆気なかった。
獣は、確かに類を見ない姿をしていた。
しかしたいした戦闘力は、持っていなかったようだ。
まして二人掛かりでは、あっという間に倒されてしまう。
「■■ギャッ!?」
「よーわ。」
アッシュは、獣の喉元、心臓を順番に貫いた。
血の付いた刃を払い、水銀を鞘に戻す。
「弱っ。
まあ、弱くて助かったよ。
見てるだけで気分が悪くなって来たから。」
アッシュは、そういって口元を手で抑える。
煙を吐いている巨大なニキビがまだ、ヒクヒクと動いていた。
「………あっちも済んだぞ。」
そうロビンが呟いた。
アッシュは、ロビンの目線の先を追う。
それは、補佐官と巨大な獣の死闘が終わったことを指していた。
街を覆い、日を遮るほど巨大な獣が傾いている。
全身から血を噴き、何本もの触手が建物や搭をなぎ倒していく。
街中に瓦礫と肉片と鮮血が降り注いでいた。
「ちょっと…あれ…ヤバいんじゃないの!?」
「ああ。
ヤバいぞ。」
陸軍の砲撃が獣を撃つ。
獣の表面を駆ける補佐官も爆弾やら大砲やらを撃ち続けている。
血と爆炎が獣の皮膚の上で炸裂するのがロビンたちにも見える。
そして獣は、突風を伴って転倒を開始した。
「ああああ!!
うあああああ!!
風が、風がーッ!!!」
アッシュは、とっさに何かに掴まろうとするが吹き飛ばされてしまう。
そして背後の腐った木製の壁をブチ抜いて室内に突っ込んだ。
ロビンは、素早く外階段の手摺を掴む。
しかし風に吹かれ、身体は、水平に浮かんでいた。
「あああ…!
なんて風だ…!!」
巨大な獣は、ロビンの視野から消える。
それと同時に大量の砂埃が巻き上がり、街がけたたましく崩れ始めた。
一瞬のうちに突風が運ぶ砂埃がロビンを包み隠す。
「くっ…!!」
轟音。
街のあちこちから崩れ、崩壊を伝える大きな音が鳴り渡る。
しかしそれは、一向に終わる気配を見せない。
「な、なにが…おこって…!?」
地響きは、収まるどころか徐々に大きくなる。
ロビンの視界が揺れ、建物の倒壊も止まらない。
終わることのない異変が彼の理解を超えた危険を予感させていた。
「ろ、ロビン!!」
アッシュの声でロビンは、振り返る。
地面が波打っている。
遠くの景色が沈み、あるいは盛り上がっている。
そこかしこの建物の影が左右に揺れている。
空が横転する。
「まさか…!
そんな…”つきがら”が…折れて…!!?」
ロビンは、地平線が遠ざかっていくことに気がついた。
異変のスケールが大き過ぎて分からなかったらしい。
地面が落下している。
セプディッチは、崩れ落ちている。
数億年前。
月から落下したと考えられている巨大な一枚岩。
それが月骨、「つきがら」である。
セプディッチのように月骨の上に作られた街も数多く存在する。
その巨大さが伺い知れるだろう。
「ま…まずい。
地球に落ちてないぞ、こいつ…。
月に向かって落下してるのか!?」
ロビンは、頻りに首を振り、慌ただしく鶏のように走り回る。
そして状況を精査し、下した決断がそれだ。
「ロビン、何騒いでんのー?」
アッシュは、この天変地異にも慣れてしまったようだ。
すっかり飽きている。
「こ、ことの重大さが分ら…ないのかッ!?
このままだと月に落ちるんだぞ…!!」
「うわーっ。
死んでる、死んでる!」
アッシュは、ロビンの話も訊かずに空を見上げる。
飛行機が瓦礫に巻き込まれ、次々に空中で爆発していた。
宿礼院の医師たちも住民たちも巻き込まれた。
「終わりだね。」
そう言ってアッシュは、両手を上げ、背を伸ばした。
「………た、他人事みたいに。」
だがロビンも諦めたように座り込んだ。
相手が月の引力では、対処しようがない。
このままセプディッチと一緒に月に落ちるだろう。
「はあ………。」
深く深く溜め息をつく。
崩落するセプディッチは、月と地球の間にある空中神殿帯に突入する。
空を彷徨う神代の遺跡を蹴飛ばして街は、月に向かって落下し続ける。
宿礼院の人工衛星も高度の低い物ならそろそろ衝突するだろう。
10万年の静寂を破って神々の像が崩れ、聖堂が崩壊する。
かつて生贄を並べた至聖所には、セプディッチの住民たちの鮮血が飛ぶ。
地上で見られない奇怪な小虫たちが飛び交い、逃げ場を求める。
「…あっ。」
矢庭にアッシュが声を上げた。
思わずロビンは、弾かれた様に顔を上げる。
アッシュの目線の先には、人影があった。
金刺繍を施した真っ赤な外套を纏った狩人が中空を漂っている。
右手には、巨大な仕掛け武器。
左手には、野戦砲を3つも括り付けている。
補佐官だ。
死んでいるのか。
「おーい!」
アッシュは、補佐官の方に声をかける。
するとはるか遠くの人影が、ピクっと動いた。
やがて補佐官が向きを変え、アッシュとロビンを見つめる。
ロビンは、全身の毛穴が痛くなった。
冷たい汗が、ざざーっと噴き出して悪寒が走った。
あの巨大な獣を狩った人間を畏怖しない者がいるだろうか。
だがアッシュは、無邪気に手を振る。
「おーい!
ははは、生きてるじゃんっ。」
すると補佐官は、右手の仕掛け武器を離す。
そして空いた右手を振り下ろし、鋼線を放ってアッシュの身体に固定した。
「え、うっ!?」
鋼線は、巻き上げ機によって補佐官の腰に着けられた機械に収納される。
当然、アッシュの身体は補佐官の方へ引っ張られて行った。
崩れた家々の間をアッシュは、飛んでいく。
ロビンは、驚きのあまりしばらく反応できなかった。
「あっ…。
アッシュ!!?」
煤塗れの家々やレンガ、煙突や馬車の破片。
空中神殿の大理石の柱や神像の欠片が飛び交う。
ある種、幻想的な景色の中でアッシュと補佐官は、対峙していた。
「………。」
強い風が吹き続けている。
巨大な神々の像を見上げていた補佐官の目線が下がる。
やおらアッシュと目を合わせた。
次の瞬間、アッシュは50m近い距離を一歩で縮める。
アッシュが補佐官の鼻先まで踏み込むと二人の刃が火花を散らした。
いくら狩人の踏み込みでも、この距離を一歩で移動できるものではない。
こんな技を身に着けているのは、補佐官しか考えられない。
前回の戦いでアッシュは、補佐官の踏み込みを盗んだのだ。
「へっへ…。」
得意満面でアッシュが歯を見せて笑う。
補佐官の冷たい顔も微笑んだように見えた。
補佐官は、また鋼線で半壊した街と神殿を素早く移動する。
ホルスターには、七丁の拳銃。
補佐官は、撃った拳銃をホルスターに戻し、釣る瓶撃ちにする。
アッシュも投げナイフで補佐官を牽制。
左手の拳銃で相手の左腿を撃ち抜いた。
補佐官の脚は、義足である。
鮮血に代わって歯車や銅線が飛び散り、格納された武器が零れる。
だが補佐官の三連砲も火を噴いた。
アッシュは、直撃を免れたが顔半分が潰れ、腸が飛び出す。
「ぐああ…ああッ!
ぐう、かすった、こ…のかぁ…?」
「ばか!」
ロビンがようやく追い付いた。
真っ青になって彼は、恋人に向かって叫ぶ。
「なんで補佐官と戦ってるんだ、お前は!!!」
「へへ…。
月に落ちるまでヒマじゃん?」
アッシュは、そういって微笑んだ。
血が顔面を伝い顎先は、ぼたぼたと滝のようになっている。
ロビンは、悲しみと怒りでどうにかなりそうになった。
「やめてくれ!
なんで戦う必要がある!?
なんなんだ、いったい!!」
ロビンは、補佐官とアッシュに向かって怒鳴った。
だがどちらも戦うのをやめる様子はない。
今度は、アッシュの腕が飛ぶ。
代わりに補佐官の胸に亀裂が入り、部品と人工臓器が弾ける。
意味のない二人の戦いは、続く。
だが結末は、無惨なものだ。
アッシュは、元の体重の半分ぐらいになるまで削り落された。
今は、補佐官の目の前で浮いている。
「………。」
ロビンは、ゆっくりと月面が迫っているのを眺めていた。
アッシュの息絶えた姿など平静に見つめることなどできない。
補佐官も残った左手で不器用に上着をまさぐる。
そうして取り出したのは、小さな天球儀だった。
苦労して取り出した天球儀を補佐官が放り投げると天球儀は、独りでに回転を始める。
すると補佐官とアッシュの身体は、地球に向かって落下を始めた。
今まで落下して来た距離を遡り、二人は、地球に向かう。
「ああ…。」
ロビンは、呆然とそれを見守っていた。
何が起こったのか分からない。
だがアッシュの安否だけを彼は、祈った。
「補佐官!
アッシュは、死んだのか!?」
補佐官は、小さく首を左右に振り、アッシュを左手で抱き寄せた。
ロビンは、叫んだ。
「うあああ!!」