補佐官の狩り
「閣下!」
若い血統鑑定官の男が叫ぶ。
彼の目の前では、真っ赤なマントを繙めかせる補佐官がいる。
荘厳な金刺繍を施した赤い狩り装束は、血統鑑定局の前身である魔術結社の名残りだ。
彼らは、民族の純血を尊ぶ狂人集団だった。
そのような集団が国家の中枢に組み込まれ、200年。
獣化や様々な伝染病の対策に尽力した。
その名目で、どれだけの人間が殺されただろう。
血統鑑定の名のもとに彼らの独断で人の命が左右されるようになったのだから。
「予備の義手は、どうですか!?」
血統鑑定官が大声で補佐官に声をかける。
それもそうだろう。
彼らは、宿礼院の飛行機にいる。
風が頬を激しく叩く、ハッチの横でだ。
補佐官は、交換した右手を動かし、静かに頷く。
3人の血統鑑定官は、明るい表情で微笑んだ。
「大事ありませんか閣下!!」
補佐官だけではない。
血統鑑定官は、義手か義足を着けている。
もともとは、負傷した身体の欠損を補填するためだった。
当たり前の話だ。
しかし次第に獣との戦いで苦痛や負傷に関わらず継戦するための手段となる。
確かに生身では、切創や骨折に耐えられない。
だから健康な手足を切断し、武器を仕込んだ補填具と取り換えるのだ
やがてそれが補佐官への忠誠の証と見做されるまでになった。
補佐官がそうしているのだ。
そうしないのは、補佐官に対する反目と見做された。
いわば補佐官の神格化に伴う狂信だ。
自ら進んで手足を犠牲に。
今や血統鑑定官の狂気の象徴である。
これを業とするのが人形工房。
血統鑑定局直属の工房だ。
彼らは、宿礼院の《星界の智慧》と無縁ながら精巧な手足や眼球を造る。
それは、前身である魔術結社に秘密があるという。
天涯より来た知識とは、また異なる悪夢的な知恵の根源だ。
「行ってらっしゃいませ、閣下!」
「閣下ー!」
「補佐官閣下ーっ!!」
3人を残し、補佐官は、飛行機から飛び降りる。
地上からはるか上空に補佐官は、身を投げた。
「…今さらだが本当に羽搏き機は、要らんのか?」
宿礼院の医師が血統鑑定官たちにいう。
まったく呆れた話だ。
その身一つで飛行機から飛び降りるとは。
「補佐官閣下がそう仰るのだ。」
そう血統鑑定官の一人が答える。
あとの二人も似た調子だ。
飛行機を飛び出した補佐官は、巨大な獣に飛び移っていた。
まるでゾウに噛みつくアリのようだ。
どう考えても非能率。
馬鹿馬鹿しいの極地だ
それでも補佐官は、本気だ。
上下に暴れる獣の上でひたすら攻撃を続ける。
まったく危険を顧みず、無謀な戦闘を継続する。
しかしそこには、深い技術がある。
巨体の振動を見事にいなし、滞ることなく攻撃を振るう。
巨大な、恐ろしく巨大な仕掛け武器を正確に扱う。
だがどんなに正確でもアリがゾウに敵う道理がない。
しかし狂気じみた戦闘が半日も続けば話が変わって来る。
補佐官は、アリがゾウの肌を苛むような戦闘を継続した。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
巨獣の咆哮。
それは、街中に響き渡るほど大きく、また補佐官の足を止めた。
巨獣の動きは、いっそう激しくなり天地が揺れる。
普通の狩人なら1秒ともたないだろう。
だが補佐官は、涼しい顔で巨獣に張り付いていた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■…………!!!」
地上でも巨獣への攻撃が始まった。
巨体を支える細い無数の触腕を宿礼院の医師たちが攻撃する。
それこそ数十mの触手は、簡単に建物を吹き飛ばす。
地上戦もまた熾烈を極めている。
「ようし!
補佐官閣下の指示通りに!!
すべて、作戦どおり…!!!」
飛行機の血統鑑定官がそう叫んだ。
セプディッチを飛ぶ飛行機の編隊は、巨獣よりも低い高さを飛んでいる。
これは、作戦の一部だ。
巨獣の背を移動していた補佐官は、躊躇なく巨獣を飛び降りる。
そして腕から伸ばした鋼線で巨獣の下に潜り込む。
補佐官は、鋼線を使って巨獣の下を移動する。
舌を巻く離れ業を、よくもごく容易くやって退けるものだ。
恐らくこんな事ができるのは、補佐官だけだろう。
突如、凄まじい爆音が轟いた。
補佐官が左腕に吊っていた大砲だ。
ごおおん、ごおおん、ごおおん…。
砲声は、三度続けて鳴った。
三連装砲だ。
台車に乗せて運ぶような大砲を背負って使う狩人もいなくはない。
あまりに巨大な獣に対抗する手段のひとつだ。
あるいは、腕に据え着けることのできる狩人もいる。
狩人の膂力は、尋常の人間の常識で推し量れるものではない。
しかし大砲を3つ束ねて腕に括り付けられるのは、補佐官ぐらいだろう。
やがて補佐官は、素早く飛行機の一つに着地する。
人と比較して、とんでもなく大きな飛行機の機体。
だが身を切るような突風の中だ。
補佐官の着地に機内の人々が驚く。
「ほ、本当に飛行機に飛び移って来た!」
「信じられん!」
「急げ、砲弾を持ってくるんだ!!
早くーっ!!」
補佐官の左腕に着けた三連装の大砲。
これには、特製の水銀砲弾を使用する。
補佐官は、砲弾を受け取るや、また空に飛び出す。
人形工房の最高技術の結晶である補佐官は、息切れすら起こさない。
「閣下ぁ!」
「閣下万歳!!」
「補佐官閣下ーっ!!」
飛行機で補佐官を見守る3人の血統鑑定官は、熱狂していた。
涙を流し、顔を赤くして補佐官の戦いを目で追う。
「ばんざーい!
ばんざーい!!」
それを見て宿礼院の医師たちは、呆れて顔を見合わせた。
「いかれてる。」
「血統鑑定官を見てる場合か。
陸軍のやつら、こっちまで攻撃してくるぞ。」
あちこちで陸軍と宿礼院が衝突し始めた。
聖杯を巡って争っているのだろう。
「ジョハンめ!
この状況が何も分らんのか!?」
「ともかく手術作戦を続けるぞ!
補佐官の動きから目を離すな!!」
烏の嘴が着いた仮面を被る医師が声を張り上げる。
この飛行機編隊の指揮官らしい。
飛行機の外では、戦闘が再開される。
再び補佐官が巨体に敢然と立ち向かう。
振り回される触手を掻い潜り、補佐官が巨大な獣に取りつく。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
街を覆う巨体に、不釣り合いな小さい頭が吠える。
眼下の戦闘も速やかに進行していった。
巨獣を支える触手は、確実に断たれて行く。
ごおおん!!
ごおおん!!
ごおおん!!
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
3つの砲声と共に補佐官の姿が消える。
そして巨獣の叫びが一層、響いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ィ■■■■■■!!!」
「閣下ーっ!」
「閣下!」
「閣下万歳っっ!!」
機内の血統鑑定官たちが一斉に叫ぶ。
補佐官の戦いを見届け、興奮する。
その熱狂ぶりは、普通ではない。
遂に宿礼院の飛行士が気味悪がって訊ねる。
「何があったというのだね?
そんな大声を出すことが?」
「分らんか!?
補佐官閣下が見事に仕遂げたのだ!!
あの獣の体内に潜り込んだのだぞ!!」
ブルブルと身震いする血統鑑定官が、そう答えた。
飛行士たちは、唖然とする。
補佐官は、傷口から巨獣の体内に潜り込んだという。
もはや血狂れの極みと言わざるを得ない。
完全におかしい。
ややあって補佐官は、巨獣から再び姿を見せる。
赤黒い蠕虫のような姿で別の飛行機に飛び移る。
そして砲弾だけ受け取って、また飛び立つ。
「まったくとんでもない奴だ…。」
飛行士たちは、目を剥いて驚いた。
「補佐官を血統鑑定官たちが信仰するハズだぜ。
ありゃあ、本物の死神だ。
あれに狙われたらどんな獣も逃げられる訳がねえや。」
「…本当に200年前から生きてるってのも嘘じゃなさそうだぜ。」
「おい、燃料がない。
帰投するぞ。」
ここで何機かの飛行機が巨獣を離れる。
予定通り、入れ替わりの飛行機が巨獣の下に潜り込む。
それこそこっちも命懸けで巨獣の触手から逃れなければならない。
「ったく。
こんな馬鹿げた作戦を誰が考えたんだよ。」
「ちゃんと見張ってろよ。
触手がしっかり見える距離まで近づいたら手遅れだからなッ。」
「いいか!
補佐官がどうなると構わんがッ。
獣は、何があってもここで狩るッ!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
機外では、巨獣の咆哮がセプディッチに響き渡る。
いま巨獣は、身体を大きく捩り、苦しみ始めていた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■───!!!」
巨体のそこここから血が滴る。
それは、街中に降り注いで血の臭いを充満させる。
戦場さながらの噎せ返る悪臭に住民が青褪める。
「どこに逃げれば良いんだーッ!!」
「助けてくれえッ!!」
「小さい獣もあちこちにいるッ!」
住民たちは、逃げ回るが安全な場所はどこにもない。
「広場に集まれッ!!
集まるんだー!!」
年老いたセプディッチの住民たち。
そこにもはや若者は、すっかり見当たらない。
覚束ない足取りで、ようやく人々は、寄り添いあっている。
「誰も助けてくれないのか…。」
「おい、宿礼院だぞ!」
冴えない中年男が叫んだ。
彼らの目線の先にオウムの嘴を着けた仮面の医師が立っていた。
遮光器越しに住民を見るその目は、表情が伺い知れない。
助けを求めて住民の一人が医師に駆け寄る。
「おお、狩人様だ。
あんた、なんとかしてくりぇッッ!?」
突然、何の警告もなく医師は、発砲した。
杖に偽装した獣狩りの銃である。
医師が好んで使い、弾倉に祝福銀弾を300発装填している。
撃たれた男は、その場に崩れ落ちる。
瞬く間にパニックになり悲鳴を上げる住民たち。
「うわあ!!」
「なんで、撃ってくるんだ!?」
「いやあああっ!!」
一斉に逃げ惑う住民。
しかしすでに広場の四方を医師たちが包囲していた。
「うわあ!」
「囲まれてる!?
俺たち、囲まれてるじゃないか!」
「なんで、どうして…!?
なんで撃ってくるんだ…。
せめて訳を…。」
すぐ虐殺が終わり生きている住民は、いなくなる。
無言のまま医師たちは、死体の上に屈む。
彼らは、平然と住民の死体から血液や臓器を取り出し、丁寧に封印していく。
そしてサンプルを集めると、静かにその場を立ち去った。




