セプディッチの獣
糞虫に関わるべきではなかった。
ロビンは、すっかり油断していた。
わざわざアッシュを連れてやって来たぐらいだ。
始末するつもりなら最初に殺していただろう。
奴は、ジョハンは、アッシュの血の臭いでロビンが逃げることを想定していた。
だからアッシュを生かしておいたのだ。
「アッシュ!
全員、殺せ!!」
ロビンがアッシュに叫んだ。
それでもアッシュは、まだ間誤付いている。
「ふえ!?」
「そいつらを殺して良い!
やれッ!!」
先にロビンが糞虫の狩人たちを迎え撃つ。
戸惑っていたアッシュも後に続いて応戦する。
しかしこっちは、二人。
対する相手は、7人だ。
”赤い死神”ミルコ。
”偽の預言者”ヒルベルト。
”無法者”マリー。
”ろくでなし”ダヴィッド。
”好色”トーマス。
”親殺し”龍王丸。
”無貌”の狩人ホイットニー。
糞虫は、遺跡の守り人だ。
その狩りの対象は、盗掘者と決まっている。
彼らの装備は、どちらかというと対人傾向がある。
しかしロビンもアッシュも対人向けの装備をしている。
これは、二人が普段、狙う相手が人間に近い獣化の度合いの低い獲物のためだ。
まず”赤い死神”ミルコが倒される。
長い武器が路地の壁で弾かれた所を空かさずアッシュが仕留めた。
「ぎゃうっ!?」
「ば、馬嫁が…ッ!」
と呟いたダヴィッドが舌打ちする。
そもそも暗殺を本領としているミルコ。
姿を見せた状態で慣れない集団戦は、悪手だ。
そこから察するに人手が足らないのは、本当らしい。
次に”偽の預言者”ヒルベルトが血を吹いて死ぬ。
アッシュのサーベルが背後から首を貫いた。
「あう…あッ…あ、あうっ!」
そのまま返す刃で機会を窺っていた”無法者”マリーの胸元を刺し貫く。
「きゃッ!」
骨を避け、肩甲骨の間から正確にサーベルが突き出した。
それを引き抜く手際も素晴らしい。
「そ、そんな…!?
動きが…早過ぎる…。」
立て続けに3人を仕留めるアッシュ。
青くなったダヴィッドがが喚いた。
「黒髪の方は良い!
お前らは、そっちの人参頭をやれ!!」
残る4人のうち3人がアッシュに襲い掛かった。
ロビンは、ただアッシュが戦い易いようにするだけだ。
彼の戦闘力に絶対の信頼を置いている。
それにもしもの時は、アッシュだけでも逃がしてやりたいところもある。
(まあ、そんなことアッシュが素直に従うともわからないが。
あるいは、そう考えるのも俺の思い込みか?
逃げろと言えばアッシュは、俺を捨てて逃げるかな…。)
そんなことを考えてロビンは、アッシュの方を確かめた。
3人相手にもまったく引かない。
狂犬だ。
実際、ロビンが命令しなければアッシュは、延々と戦い続けるだろう。
考えるということを捨てている。
「ちくしょう!
こんな連中、相手にしてられねえ!!」
突然、そういって逃げ出したのは、”ろくでなし”ダヴィッドだ。
噂通り、どうしようもない下種だった。
「あの馬鹿ッ!」
逃げるダヴィッドを”親殺し”龍王丸が睨んだ。
といっても流石に臆病者を今、追い回す余裕はない。
とにかく3人がかりで早くアッシュを片付けるしかない。
ロビンは、どうとでもなる。
後ろから襲って来たロビンに誰かやられる危険も厭わない。
このままでは、一人も始末できずに全滅だ。
ロビンが仕掛け武器を変形させる。
それは、奇妙な槍にも見えた。
柄の両端に刃を持つ双剣と呼ばれる武器である。
ロビンは、高くジャンプすると二つの刃でトーマス、ホイットニーの首を落とした。
首のない死体が慌ただしく路地裏に倒れた。
気味の悪いことに首のない身体は、血を吹いて動き続けている。
龍王丸は、アッシュに大太刀で斬りかかるが弾き返される。
「ああッ…弾かれ…ッ!?
そんなことが…。」
アッシュのサーベルには、空洞があり、柄の内部を水銀が満たしている。
水銀は、鋼より比重が重く、見た目以上に重い。
アッシュの仕掛け武器は、この水銀の位置を調節する。
重心が刃の先端に移動すると遠心力が加わる訳だ。
軽い斬撃から重い斬撃まで自在に使いこなすことができる。
普段、頭を使わないアッシュだが、このような器用な芸当もできた。
体勢を崩した龍王丸にアッシュが駆け寄って距離を詰める。
だが龍王丸も気力を完全に挫かれてはいない。
踏み出しで迫るアッシュに大太刀を振りかぶった。
(やった!
殺した!)
龍王丸がそう思った瞬間だった。
「………ッ!?」
龍王丸は、絶好の一撃をかわされる。
アッシュの戦闘勘は、不思議なものだ。
相手が人であれ獣であれ、察しが効く。
特に追い詰められた敵の反撃など軽く往なしてしまうのだ。
斬撃を空振った龍王丸にアッシュの逆襲が攻めかかる。
まず首を貫き、続けて右手首を切り落とす。
龍王丸、一貫の終わりである。
「あ……ッ。
……ああ。」
石畳の上で呻く龍王丸を跨いでロビンが声をあげる。
「ダヴィッドを追うぞ。」
といっても相手も狩人だ。
おいそれと追っかけていく訳にはいかない。
待ち伏せを食えば、一発だ。
二人は、警戒しながら路地を走った。
朽ち果て、寂れた裏町をロビンとアッシュは、走る。
逃げるダヴィッドは、容易に痕跡を掴ませる。
それが罠かも知れないが。
「よし、追い付けるぞ。」
ロビンがそう呟くとアッシュは、喜んだ。
「えっへへ!
早く出て来いよォ!」
「待て!!」
急にロビンが怒鳴った。
アッシュは、素早く物陰に移動する。
「何!?
どーした!?」
「宿礼院の連中の匂いがする…。」
ロビンがそう言って辺りを見渡した。
だが答えは、向こうからやって来た。
「出て来い。
今すぐに出てくれば、命は取らない。」
「我々は、宿礼院。
貴公らは、何者か?」
建物の向こう側から声が飛んで来た。
どういう訳か向こうは、こっちの接近を知り得る手段があるらしい。
「待ってくれ!
今出て行く!!」
ロビンは、そう答えた。
目配せしてアッシュには、ここに残るように指示する。
しかし
「二人ともだ。
小細工は、考えないことだぞ。」
ロビンに対し、宿礼院の医師が忠告する。
二人は、素直にそれに従った。
「俺は、ロビン・バーンズ。
こっちは、アッシュ・バズビー。
騎士団本部の狩人だ。」
二人が出て行くとダヴィッドも捕まっていた。
嘴着きマスク、細長い絹高帽、大きな荷物を背負った医師が数名。
自動式の銃を持ってロビンとアッシュに銃口を向けている。
「大人しく出て来たんだ。
武器は、向けないでも良いんじゃないか?」
ロビンが医師たちにそう訴える。
「悪いな。
これも上からの指示でね。」
医師たちは、そう言ってロビンとアッシュを包囲する。
ダヴィッドは、何やら怪しい薬を注射された。
その上、電撃やら熱した棒で拷問を受けている。
あっさりと医師の診察に応じた。
「せ、聖杯だ…!!
聖杯を宿礼院から奪い返せと命令されている!!
聖杯が見つかるまでセプディッチ中を探す!!」
苦痛に耐えかねたダヴィッドが叫んだ。
「ふふっ。
他愛無いですねえ。」
「…やはりろくでもないことを考えているようだな。」
医師たちが苦しむダヴィッドを見下ろしながら、そう言った。
「た、頼む、助けてくれ!
知りたいことは、これで済んだだろう!?」
打たれた薬のせいか。
ダヴィッドは、青くなった唇を引き攣らせて訴える。
しかし医師たちは、治療を拒否した。
「可哀そうだが糞虫もお前を生かしてはおかんだろうよ。
新鮮な臓器を取るだけ取らせて貰う。」
そういうや医師たちは、ダヴィッドを解体していく。
ロビンとアッシュは、それを青褪めて見守った。
「…で、君たちは、騎士団本部の指令で動いているのだね?」
医師の一人がロビンとアッシュに訊ねる。
それに怯えたアッシュが早口で答えた。
「そ、そそそ、そうだ!
俺たちは、獣狩りに来た!!
聖杯なんて知らない!!」
それを聞き、顎に拳を置いて医師は、静かに頷いた。
「…ロビン君、相違ないね?」
医師は、ロビンに確認する。
少し青くなったロビンも頷いて答える。
「ああ…。」
「殺すなら俺!
俺だけにしてくれッ!!」
そう言ってアッシュが騒いだ。
しかし医師は、まるで耳を貸す素振りもない。
ロビンは、医師に慎重に言葉を選んで訊ねる。
「俺たちは、解放して貰えるのか?」
「ろ、ロビン!
余計なこと訊かなくて良いよ!!」
アッシュは、ロビンの腕を掴む。
だが医師は、静かに応じる。
「もちろんだ。
本部所属の狩人に宿礼院と糞虫の事情は、関係ない。」
この言葉は、アッシュを安心させた。
しかしまだ安心できないとロビンは、内心考えた。
そう思わせて背後から、ズドン!
そうならない保証もない。
ところが次に医師の口から思わぬ言葉が出た。
「しかし獣を狩りに来たというのなら手伝って欲しい。」
「は!?」
ロビンは、思いがけない言葉に驚いた。
医師は、落ち着いた調子で続ける。
「…うむ。
強制はせん。
貴公らは、宿礼院の医師ではないからな。」
「じゃ、じゃあ、帰ろうよ!
何だかよく分からないけど巻き込まれたくないって!!」
アッシュは、ロビンを急かす。
実際、すぐにでもここを離れるべきだろう。
「獣の情報だけ訊く。
というのは、ムシが良過ぎるか?」
ロビンが医師に訊ねると彼は、小さく笑った。
「ふほほ…っ!
そこまで分かっているのならジタバタせんことだ。
狩人とは、そうしたものだよ。」
例のマスクで表情は、分からないが呑気なものだ。
医師は、明るい調子で話した。
「危険と知りつつ、獣がいると知ったら避けては通れない。
獣に対する興味心。」
「揶揄わないで教えてくれ。」
ロビンがそういうと医師は、答える。
何か不自然な様子を感じたが。
「…ああ、そうだな。
君も獣を見るだろう。」
なんだそれ。
ロビンは、自分の頭を掻いた。
宿礼院に解放されたロビンとアッシュは、大通りにでる。
「陸軍だ。」
ロビンが大通りを進むトラックを見て、そう言った。
例のエヴリヨン戦線に向かう軍隊がトラックで進軍中だった。
慌ただしく始まった、この戦争。
その背後に糞虫が働いているのか。
戦争を口実に軍を動かし、街を包囲する気だ。
「ねえ、俺たち、街から出られないんじゃない?」
アッシュがロビンに不安そうに訊ねる。
実際、軍隊は、聖杯探しのためにセプディッチに派遣されたはずだ。
こうも大っぴらに政府と騎士団が衝突することになるなんて。
「はあ、厄介だな。」
ロビンは、建物の壁に凭れて腕組みする。
やがて後頭部を掻きながら唸った。
「うーん…。
軍隊も気になるけど、獣はどこにいるんだ?」
宿礼院の医師の、あの気になる言い草は何だ?
俺たちは、嫌でも獣を見ることになるって。
そんなとんでもない獣が現れるっていうのか。
「…何あれ!?」
急にアッシュがロビンの腕を掴む。
考えに耽っていたロビンは、もしや獣かと驚いた。
だが彼が目にしたのは、それ以上の奇想天外の光景だった。
「はあっ!?
あああ…っ!?」
空飛ぶ医師も驚いたが今度は、飛行機だ。
この世界で飛行機は、実用化されていない。
当然、宿礼院の《星界の智慧》なくしてあり得ない。
飛行機が先で個人用の羽搏き機の方が未来技術だと感じられる。
しかしロビンには、巨大な飛行機の方が羽搏き機より先進的に思えた。
やがて月夜に信じられぬほど大きな獣が姿を見せる。
か細い無数の足で巨体を支える巨大な獣だ。
「なあッ!?」
ロビンは、空を見上げる。
いや、空は見えなかった。
あまりに獣の位置が高く、あまりに大きく、気がつかなかった。
セプディッチを覆うように獣は、ずっと居たのだ。
「曇り空じゃなかったんだ!!
これが獣の腹だったのかッ!!」
恐らくセプディッチから数kmも離れれば獣に気がついただろう。
きっと街の外は、大騒ぎに違いない。
「でも宿礼院の羽付き機械じゃ、ちっとも届いてないじゃん!」
アッシュは、そういって空を指差した。
確かに宿礼院の飛行編隊は、獣の足元を飛んでいるだけだ。
「もう、この世の終わりだ。」
ロビンは、力なく項垂れる。
しかし先刻のことを思い出す。
この巨大な獣とよく似た小さな獣たちのことだ。
「アッシュ。
あのデカいのは、どうにもならないかも知れん。
だが小さな奴がいるのを見たか?」
「うん、俺も見た!!
10匹ぐらい狩った!!」
アッシュは、興奮気味に答える。
ロビンは、頷いて彼にこういった。
「まだ街中にいるかも知れん。
…出来る限りのことをやろう!」
「うん!!!」
ロビンとアッシュは、セプディッチの闇に走る。
自分たちの出来る限りの狩りを探して。




