合流
「うあッ!?」
安宿で目が覚めたアッシュは、ベッドから飛び起きる。
「ああ!?
あああーッ!!」
軽く転寝する間に隣に若い男が寝ていた。
まったく気付かなかった。
すぐに服が乱れていないか確かめる。
睨み付けながらアッシュは、ベッドで寝ている男に怒鳴った。
「だ、誰だッ、おまえ!?」
寝ていた男は、不快そうに顔を歪めた。
やがて上体を起こして怒鳴り返す。
「静かにし給え!
……うう、寝不足で死にそうだよ。」
そういって男は、自分の眉毛を二本指で抑えて睨み返す。
男を見ていてアッシュは、痴情じみた怒りが込み上げて来た。
(かっこいい男ならともかく、なんでこんなブサイクと…。)
男の方も相手が子供だと思ってか横柄な態度を取る。
「君こそ、何なんだね。
私を起こすということがどういうことか、分かっていないな。
身分を知れっ。」
ぱーん!
アッシュは、男を殴った。
殴られた男は、アッシュを驚いた表情で見る。
鳩が豆鉄砲を食ったようとは、こういう顏だろう。
「な………?」
しかしまたアッシュの平手が飛んだ。
ぱーん!!
「殺すぞ!
名乗れ、さっさと!!」
アッシュが男に詰め寄る。
しかし男も逆上したのかベッドから飛び退いた。
「下種が!
地獄に落ちろ!!
私に狩られるが良いッ!!」
怒り狂った男は、指を鳴らす。
すると雷光が生じ、部屋に四散した。
「う……!」
それを咄嗟に躱すアッシュは、やはりただものではない。
秘儀だ。
狩人が使う魔法のようなものだ。
しかし狩人なら誰でも使えるという代物ではない。
糞虫と金剛院だけがこれを能くする。
青白い雷撃は、部屋を妖精のように不規則に飛び回る。
その間、アッシュと男の顔に光と影が激しく明滅する。
「うお…っと!?」
ほぼ間一髪のところ、アッシュの天性の危機感が攻撃をすべて回避させる。
向こうにしてみれば悪夢みたいなものだ。
絶対に今のは、命中するはずだったはずだ。
しかしアッシュは、この動物的な生存能力にかけて群を抜く。
だがベッドの男も並の狩人ではない。
「…くう、薄汚い小僧ォッ!
私をどこの誰だと思って生意気な口を叩いていたのだ!?
死ね、立場を知れぇっ!!」
男は、雷撃と右手の杖でアッシュに襲い掛かる。
おそらく先刻、戦った補佐官に匹敵する。
素早い身のこなし、隙の無い連撃。
「く!?」
さしものアッシュも次第に落ち詰められる。
しかもそれは、経験にない短時間で。
男は、この短い応戦の間にアッシュの次の動きを予想してくるのだ。
(獣並みの動体視力と反射神経だが。
獣並みでは、狩人には通用せんよ…!)
男の狙い澄ました一撃がアッシュの喉を捉える。
杖の先が吸い込まれるように急所に向かった。
「なッ…とお!?」
しかしアッシュも持ち前の捷さを見せる。
先手を打たれても超人的な反応速度で、それを躱す。
「―――しまッ!?」
今度は、アッシュの蹴りが男の顔を跳ね上げた。
男は、床に倒れ、額を切創して血を噴いた。
「動くなッ!
殺すぞ!?」
アッシュは、倒れた男に命令する。
アッシュ自身、そんな年齢ではないが相手も若い。
ムカついて殺すには、躊躇する少年だ。
「うっぐ…。
わ、わかった…。
わ、わたしが…わたしが悪かった…。」
男は、そういってアッシュに頭を下げる。
「私は、ジョハン・キャヴェンポール…。
…糞虫の狩人…。」
「糞虫…?」
アッシュは、少し考える。
考えてどうこうなる上質な脳ミソは、乗っけていない。
しかしこういう時、考える素振りをみせるものだ。
そう彼は、勝手に考えていて、考えるフリをした。
「糞虫が何の用だ?」
「用事?
私は、この部屋で寝ていただけだぞ。」
ジョハンと名乗った少年は、そう答える。
そう、男というより少年だ。
なにやら年代物の汚い上着を着ているが10代の顔をしている。
裏路地に屯する子供の掏摸。
そんな感じだ。
「はあ?
ここは、俺とロビンが取った部屋だ。
いつ忍び込んだ、貧民!?」
「馬鹿め。」
ジョハンは、アッシュを見くびるように睨む。
彼は、殿上人のように流麗な発音で罵るのだ。
「キャヴェンポール家を知らぬとは!
私は、公爵家の令息なのだ。
この姿は、狩人として市井に紛れる仮の姿である。」
「馬鹿か!」
アッシュは、ジョハンを叩いた。
また続けて叩く。
「適当なこと言うなっ。」
アッシュは、ハッとして時計を見る。
かなり時間が経っていることに気付いた。
「…ロビン、死んだかな。」
ロビンの事は、愛している。
しかし獣狩りは、遊びではない。
いつでも死に別れる覚悟をしていた。
「なんだ。
相棒が戻って来ないのかね。」
ジョハンは、眉を指で抑えながらいった。
「そもそも、どうして君は、ここに残っているのだ。
一緒に行かないのなら相棒でも何でもないじゃないか。」
「うるさい。」
アッシュは、怒鳴った。
するとジョハンは、馬鹿にしたように若気ついている。
「ははん。
君、獣をつけるのが苦手なんだな。
それで相棒に置いて行かれたのだ。」
「ペラペラ喋るなっ!」
アッシュが我鳴るとジョハンは、宥める。
まるで親が子供を躾けるような調子でだ。
「来たまえ。
私が追跡者をやろうじゃないか。」
意気揚々と部屋を出ようとするジョハン。
しかし彼は、途端に足を止める。
「………ん?
ロビンというのは、男かぁ?」
ジョハンに指摘され、アッシュは、嫌そうに答える。
「そうだけど。
何か?」
「さあ、行こう。」
ジョハンは、そう言って部屋を飛び出していった。
アッシュも彼のあとに続いて行く。
仲間の狩人が追跡に失敗して行き違いになるということは、まずない。
だがそれは、獣の痕跡と狩人の痕跡を二重に追跡するからである。
ロビンという特定の狩人の痕跡を追跡するのは、難易度が遥かに違う。
そもそもアッシュには、この違いが分からない。
そう言った意味合いからジョハンの追跡は、並みの狩人の水準を超えている。
ほとんど普通に出歩くような速度でロビンを追跡していく。
「なあ?
本当に追跡してるのか?」
流石のアッシュも不審になる。
こんな追跡は、見たことがない。
他の狩人は、もっと周囲を入念に見聞きし、痕跡を追う。
しかしジョハンの追跡は、驚くほどなんてものじゃない。
怪しくなるほど速いのだ。
「安心し給え。
私の後に着いて来るのだ。」
そう言ってジョハンは、薄汚れた路地裏で立ち止まった。
疑惑の目を向けるアッシュに向き直って答える。
「心配はいらないよ。
私は、糞虫の狩人。
人狩りは、我々の特技だ。」
「んんん…。」
仕方なくアッシュは、ジョハンの背中について行く。
どうせ、自分には、追跡はできないのだ。
「…むう…。」
突然、ジョハンの足が止まる。
血の臭いだ。
これぐらいは、アッシュでも勘づく。
「獣の臭いか!?」
アッシュがそう言うとジョハンは、呆れる。
「ああ、調子が狂うようなことを言うのは止めてくれたまえ。
これは、人間の血だ。」
そう言ってジョハンは、屋根を指差す。
真っ黒な夜の闇。
建物から張り出す屋根の裏に人間が詰め込まれている。
”徴税人”ミゲル。
”切り裂き”ゼップ。
”火付けの狩人”リカード。
3人とも糞虫の狩人だ。
「獣が人間の死体を隠したって事?」
「おそらくね。」
そうジョハンは、アッシュに答えて絹高帽を被り直す。
「随分と狡賢い獣だよ。
…ふふっ。」
「なにがおかしい!?」
「君の相棒は、この死体に気付かずに進んでいる。
獣にも出し抜かれるのでは、狩人の恥だよ。
いやはや、騎士団の先も見えている。」
ジョハンは、白い手袋を着け、戦闘に備える。
獣狩りの銃を構え、水銀弾を装填する。
「戦いに備えたまえ。
いるぞ。
12体。」
「12!?」
アッシュは、驚いて周囲を見渡す。
ジョハンは、落ち着いて指示を出す。
「案ずるな。
私と君なら夜明けまで獣に囲まれてももつよ。」
二人は、静かに構える。
何も変化はない。
だが幾ら注意力散漫なアッシュでも、もう獣が集まっていることが分かる。
間違いなく囲まれていた。
「…で。」
アッシュがジョハンに声をかけようとした時、獣たちが姿を見せた。
細長い触腕を振り回し、12体のネバネバした軟体生物が襲い掛かる。
戦闘は、呆気なかった。
ジョハンは、終始アッシュを囮に使い秘儀で獣を焼き払った。
ほとんどアッシュは、利用されたようなものだ。
(こいつ、他人を獣の囮に使う奴だな…。)
アッシュは、かなりムカついた。
アッシュの動き、敵の動き、地形。
ジョハンは、すべてを判断材料に戦いをコントロールする。
ジョハンは、相当、頭が良いのだ。
頭が良い奴は、嫌いだ。
「うむ。
たいした獣ではなかった。」
ジョハンの声は、明るい。
しかし絹高帽を脱いで髪を掻き毟る姿から苛立ちを感じる。
何やら焦っているらしい。
アッシュにもそれが察せられた。
だがボロボロの服とピカピカの絹高帽の組み合わせは、滑稽だった。
「さあ。
ロビンとやらの追跡を急ごうじゃないか。
早く君も来たまえ。」
足早にジョハンは、先を急ぐ。
アッシュは、その背中に向かって問うた。
「どうした!?
なにか急いでるのか!?」
「本部所属の君たちと違ってね。
支部ともなれば、いろいろ事情があるのだ。」
やがてジョハンの走る先に人影が見えた。
アッシュは、その一方がロビンだと気付いて声をかける。
「ロビン!」
「アッシュ…?」
ロビンは、驚いた表情で相棒を迎える。
そんな二人に対し、残りの二人は、臨戦態勢に入っていた。
ジョハンは、ロビンの隣に宿礼院の医師を見つけたからだ。
ジョハンは、問答無用でヴァノッサに秘術で攻撃を仕掛ける。
対するヴァノッサもすぐさま獣狩りの銃で反撃した。
自動式の連射は、凄まじいもので路地裏に青い火花が飛び散った。
「危なッ。
アッシュ、ちょっと離れてろ。」
「あ、うん。」
平然とロビンとアッシュは、糞虫の狩人と宿礼院の医師の戦闘を傍観する。
というか我関せずといった様子だ。
狩人とは、そうしたものである。
「で、なんだ、あいつ?」
ロビンは、ジョハンを目線で指してアッシュに訊く。
「ジョアン・キャノンボールだって。」
「キャノンボール?
ジョハン・ヴィリアム・エヴァルト・スペンサー・キャヴェンポールのことか?」
ロビンがそう言うとアッシュは、目を瞬かせる。
「え?
今のは、呪文か何か?」
「ジョハン・ヴィリアム・エヴァルト・スペンサー・キャヴェンポール。
ヴィネア帝国首相、イングルナム公爵。
糞虫の長。」
二人がそんな悠長な会話をしている間に決着がついた。
ヴァノッサは、ジョハンにとどめを刺され、絶命したのだ。
「良く分からんが糞虫は、忙しいんじゃなかったのか?
説明はしてもらえるんだろうな。」
ロビンがジョハンに後ろから声をかける。
ジョハンは、言った。
「奴らを殺せ。」
ロビンたちにジョハンは、そう言った。
思わず、二人は、唖然茫然とする。
彼が手にした鐘が鳴る。
その音色に導かれるように時空連続体が歪む。
そして異世界が、あるいは夢が、もしかすると悪夢が。
今、目の前で結び付き、《夢の門》を抜け、糞虫の狩人たちが現れた。
ジョハンは、無言で背を向け、立ち去る。
糞虫の狩人たちは、指令を受け、ロビンたちに襲い掛かるのだった。




