ロビンとアッシュ
細長い蝋燭の灯が消えている。
窓の外には、朝の気配。
風もなく、呑気な雲行き。
鳥の声、温かな陽光、様々な動的情報を感じる。
寝室には、一台のベッドがある。
その上で二人の若い男が眠っていた。
少年と青年の間ぐらいの年齢だが、黒髪の方が年嵩である。
黒髪の方がロビン。
ややオレンジに近い黄褐色の髪の方がアッシュ。
共に獣の狩人だ。
”獣狩り”とは、獣になった人間を始末すること。
”獣の狩人”は、それが迷信として秘匿された古い時代から活躍して来た。
人々は、獣狩りを意義深いと感じ、狩人を頼りにしていた。
だが同時に彼らを恐れ、不吉の象徴として嫌った。
故に狩人もまた人々から姿を隠す似に暮らして来たのである。
それは、狩人同士も例外ではない。
そもそも獣も元は、人間である。
血腥い罪の意識。
あるいは殺人の恍惚は、彼らを狂気に奔らせる。
夜毎、殺した相手を夢に見る。
悪夢に狩人は、血狂れるもの。
故に狩人に抱かれる女も、狩人を抱く男も滅多にない。
寝た相手を殺すことも躊躇わない鬼畜のような狩人は、幾らか居ただろうが。
従って狩人は、孤独だった。
だが愚かな二人は、互いを支えに選んだ。
それがどれほど危険か。
分からない年齢でもなかったのだが。
「………ん。
んん…っ。」
先に起きたアッシュが、もぞもぞと動き出す。
ロビンを起こさないようベッドを静かに降り、着支度を済ませる。
「ああ…ううう…。
もう、さすがに寒くなって来たな。」
遅い秋が冬になろうとしていた。
獣は、腐るほどいる。
狩人を統括する狩人の騎士団は、32万余の狩人を擁する。
騎士団には、幾つかの派閥がある。
特に大きな勢力が四大支部だ。
まず狩人30万人を抱える宿礼院。
しかし彼らは、研究機関という向きが強く戦力には、心許ない。
次に2万余を蒼天院。
元軍人や元警官から成り、銃火器の扱いや専門知識に秀でる。
だが血腥い獣狩りに伍するには、彼らは初心過ぎる。
そして糞虫の巣と龍心院。
これが残る四大支部の二派。
その他に金剛院、コナの狩人などがある。
龍心院は、獣を狩る古い血筋の狩人たちである。
獣狩りには、優れた血が武器になるからだ。
故に騎士団の精鋭は、龍心院だ。
しかし彼らは、あまり獣狩りにも出向かない。
彼らは、血筋を絶やさないため悍ましい儀式や近親婚を繰り返した。
龍心院の狩人、吸血鬼と綽名される団員を減らさないためだ。
ただでさえ少ない団員同士の婚姻で血統を守っているのだから。
団員が死亡するなど、もっとも避けなければならない。
故に彼らは、自分たちが危険を冒す値打ちのある危険な獣だけを相手にする。
団員を危険に晒すだけの価値ある狩りのために。
───つまり大半の狩人は、吸血鬼の代わり、使い捨ての駒
しかし傷を癒すため、狩人にも休日が与えられる。
ロビンとアッシュも次の命令を待っていた。
アッシュが温室で遊んでいる間にロビンが朝食を用意する。
「食べよう。」
ロビンがアッシュに声をかける。
温室には、大小、形も様々なサボテンが植えられている。
寒い時期に二人は、ここに食事を運ぶ。
アッシュは、樽ほどもあるサボテンを見ていた。
「うん。
…そろそろ水を減らさないとね。」
「そうか?
まだ水をあげても良いだろう。
俺は、大きくしたいんだよ。」
ロビンは、そういってテーブルに皿を並べる。
温室の中央にテーブルと椅子がある。
寒い冬には、ここでゆっくりすると堪えられない幸福な時間だ。
厳冬に初夏の温かな陽光を受けるような気分に錯覚する。
正直、アッシュは、まだ暑い時節に温室に入りたくはなかった。
しかしロビンは多少、温かくとも温室で食事やお茶を飲むのを辞さなかった。
「…もう2週間か。」
ロビンは、バターロールを食べながら呟いた。
アッシュもコーンスープをスプーンでかき混ぜて冷ましながら答える。
「身体が訛るね。」
「新しいサボテンでも増やすかな。」
そう答えたロビンは、割と本気らしい。
もともとこの温室は、屋敷の前の主の趣味だ。
そのまま枯れても構わないのだが存外、サボテンが枯れない。
そう思っている内に育てると愛着が湧いてくるものだ。
じゃあ今日は、一緒にサボテンを見て回ろうか。
そうアッシュは、考えながらスプーンを口に運ぶ。
しかしその計画は、中断された。
騎士団の使い走りが手紙を持って来たからだ。
「御免下さい!」
まつ毛の長い可愛らしい少年が駆け込んで来た。
半ズボンから細い脚が伸びている。
彼は、二人の姿を温室に見つけると声をかけて走ってくる。
「ロビン様、アッシュ様。
総長から指令書です。」
急いでロビンは、席を立つと温室の扉を開け、使いの子を中に招く。
アッシュは、ロビンを鋭い目で追った。
指令が来たことに驚いた訳じゃない。
使いの子が可愛いと彼が目移りするのではないか。
そう思うと嫉妬してしまう。
「ありがとう。
疲れてない?」
そうロビンが使いの子に声をかける。
使いの子は、
「いえ、まだ仕事があるので。
…ですが、お茶ぐらい頂いて行こうかと思います。
のんびりは、できませんが。」
と息を弾ませて答えた。
ロビンは、何気なく使いの子に手を触れた。
アッシュは、口を尖らせて不満を表情に表した。
今すぐに二人ともズタズタにしてやりたい。
しかしロビンは、一向にアッシュの変化に気付かない。
使いの子に自分が座っていた椅子を勧める。
そして茶を出してやり、優しく微笑むのだ。
「ありがとうございます、狩人様っ。」
使いの子が含羞むとロビンは、意味ありげな視線を返す。
アッシュも、これに他意はないと信じたいのだけど。
ロビンは、蝋封を切り、手紙を取り出した。
アッシュは、使いの子からロビンの読んでいる手紙に目線を移す。
妙に枚数が多かったからだ。
ロビンが手紙を読む間に使いの子は、茶を飲み終え、礼を言って出て行った。
アッシュは、それだけで胸のざわつきがひとまず収まった。
アッシュが手紙から興味を失くした間、ロビンは読み進めていく。
そしてやがて
「”無罪”フィンガーが死んだ。」
とロビンは、手紙を読みながら言った。
「はあ…。
誰、それ?」
あまりに長い手紙にすっかり飽きていたアッシュ。
彼は、いまフォークに刺したソーセージを食べるのを止めて訊く。
ロビンは、後頭部を掻きながら話し始めた。
「糞虫の狩人だ。
…カーニリッジの獣を狩った。
あとウォルキントン、ハンプムース、トアイトン…。」
「知らなーい。」
そう短くアッシュは、答えると次のソーセージをフォークで刺した。
ロビンは、続ける。
「ちっ、まったく…。
とにかくお前は、知らなくても有名な狩りを成功させた狩人だ。」
「どうせ、小父ンでしょ?」
「狩人は、だいたい30代で死ぬんだ。
その齢ぐらいになると20代と調子が変わってくるらしくてな。
フィンガーは、その境を越えてた。
ベテランだよ。」
「やっぱ爺じゃん。」
アッシュは、そう言って目一杯、不貞腐れた。
何故不機嫌なのかロビンは、理解出来ない。
「俺たちは、セプディッチに向かう。
…彼は、そこで獣にやられた。」
「…?
それ、どういうこと?」
アッシュは、首を傾げる。
狩人は、獣にやられるのが当然だろう。
「フィンガーは、糞虫の暗殺部に所属してる。
獣狩りの途中で殺された訳じゃない。
どうも別件の途中で獣と鉢合わせしたみたいだな。」
糞虫の巣は、犯罪者の集団である。
もともと刑罰として獣狩りに駆り出された者たちだ。
しかしそれは、表向き。
かつて彼らは、スカラベ神殿を守る墓守たちと接触し、その意義を知った。
以来、大陸が洋に沈み、今の文明が興る以前の遺産を守ること。
人類が前時代の神秘の叡智を正しく使うことができる日まで封印することを使命とした。
表向きには、盗掘者。
貴重な古美術品を貴族や富豪に売りつけることを収入としている。
このため政財界、犯罪社会に深く通じる。
しかし真の目的は、遺産を保護すること。
他の盗掘者から遺産を奪い返し、偽物を闇市場に流す。
神秘の秘匿者たちである。
院内に暗殺部、遺跡調査部、密売部、諜報部…。
様々な部署があり、専門知識を有しているという。
彼らは、騎士団に隠している秘密も多い。
そもそも彼らの本分は、獣狩りではない、
盗掘者に死を与える人狩りだ。
「…え?
それ、どういうこと?」
世情に疎いアッシュは、ロビンに説明を求めた。
しかしアッシュに事情を一から説くのは、時間がかかる。
だからロビンは、手短に誤魔化した。
「糞虫の事情があるんだ。
獣は、セプディッチにはいないと思ってたようだ。
しかし獣は、フィンガーを見つけて殺した。」
「………?
でも、なら糞虫が動けば良いんじゃないの?」
通常、仲間が獣を狩り損ねれば自分たちで始末を着ける。
この場合、糞虫がフィンガーの狩り損ねた獣を狩るべきだ。
どうしても並の狩人の手に余る。
そういう場合だけ龍心院は、動き出す。
恐るべき怪異を狩る吸血鬼たちが動き出すのだ。
この習慣のため、蒼天院がいつも真っ先に獣の餌食になる。
人数が多い分、初回が周ってくる確率が高いのだ。
騎士団も蒼天院の被害を見て指令を振っている節さえある。
このアッシュの質問にロビンは、答える。
「…それは、無理らしい。
自分のところの狩人が殺されたなら自分たちで対処する。
っていうルールがある訳じゃないしな。」
「はあ?
あるでしょ!?」
怪訝にアッシュは、怒鳴った。
困ったロビンは、後頭部を掻きながら答える。
「ないないない。
…騎士団のルールにある訳じゃないんだ。」
「うそぉ!?」
アッシュは、納得できないらしい。
しかしこの際、アッシュが納得すまいと事実は事実だ。
明確にそう言う規則がある訳じゃない。
だがしかしアッシュのいう通り、普通じゃない。
ともかくロビンは、説明を続ける。
「どうも糞虫は、他の仕事でかかり切りらしい。
セプディッチには、他から狩人を出して欲しいと騎士団本部に言って来た。」
「納得できない。」
なおも不服そうなアッシュ。
ロビンは、いい加減に諦めかけて来た。
「…まあ、詮索しない方が利口だぞ。」
どう考えても騎士団本部の介入だ。
糞虫の秘密活動を妨害するつもりだろう。
「ええーっ?
なんでぇ?」
アッシュがまた質問する。
仕方なくロビンは、いつものことなので根気強く答える。
「…間違いなく犯罪に絡んでるからな。
それも政治家や金持ちと結託した。
だから糞虫のことは、あんまり他人に訊くんじゃないぞ。」
秘密があるのは、糞虫に限った話でもない。
龍心院は、血筋を守るために秘密を持っている。
他にも古くから伝わる独自の技術も独占していた。
宿礼院は、輸血や瀉血を広めた者たちだ。
血を出し入れすることによってあらゆる病を治す。
獣化も彼らの仕業だという噂は、千年近く前から闇で囁かれている。
金剛院は、はるか東方の異邦にある。
禁欲的な僧侶の集団で高い山の上に住まう。
だが終末論者で恐ろしい破壊神を信仰している。
これは、本部よりも前に支部が存在する。
狩人の騎士団の歴史に原因がある。
支部は、みな騎士団創設以前は、別々の秘密結社だった。
あとから騎士団という同盟関係を作ったに過ぎない。
あるいは、血統鑑定局のように騎士団に加盟しない狩人もいる。
逆に騎士団の後に成立したのがコナの狩人や金桜学園だ。
彼らは、獣の狩人の知識を騎士団から与えられた若い組織になる。
しかしそんな彼らも騎士団に明かしていない技術や知識がある。
いつ何時、情報が武器になるか分からない。
誰にでも秘密があるものだ。
「秘密ねえ…。」
アッシュは、腕を頭の後ろで組む。
難しい事は、分からないが秘密を暴こうとする相手に危害を加える。
それぐらいは、納得できた。
「とにかく今日中にセプディッチに発つぞ。」
ロビンは、そう言って手紙をしまった。
とにかくアッシュを言いくるめて一安心だ。
(頭は弱いがアッシュは、頼りになるからな。)