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奴隷編⑦ 続・プト

「──うるさくて寝れないんだよ」

 犬人族の女性は言い、俺を見た。

 琥珀色の真ん丸な目の中に、漆黒の光彩。

 それがまるで獲物でも狙うように、じっとこちらに向けられる。


「ご、ごめんなさいッ」

 俺は涙声で謝った。

 視線の怖さもあったが、男泣きを見られた事が本当に恥ずかしく、本音と建前がぐちゃぐちゃになっているあのアニメが恨めしかった。


「──あんた、新人? というか何族なの?」

 俺の容姿が珍しかったのだろう、彼女は言う。


 俺は涙を拭い、鼻をすすって言った。

「お、俺は、田中 純一(たなか じゅんいち) です。地球の、日本から来ました」


「チキュ? ニ・ポーン?」と犬人。

「皆は俺のことを、異世界人とか、異人と呼んでます。最近ここに買われてきた()()です」

 俺が「奴隷」という単語を出した瞬間、彼女の表情が目に見えて優しくなった。


「ああ。それは災難だったね。私はプト。私もここの奴隷だよ。──で、あんたはどっちの市場で売られた?」

「どっちって? 市場は幾つもあるんですか?」

「北西地区のアシュアハトや、東岸地区のダダ・ハー。至るところにあるよ」


 正直、地名を言われてもよく解らない。

 記憶を頼りに、見たものを思い返してみる。

「デカいヨモギ──いや、葉っぱが売られているバザーを見ました。こう、テントみたいになっていて」

「ああ、だったらカリガリの奴隷市場ね。ずいぶん良い所で売られたじゃない。他のところだったらもっと悲惨だった──」


 俺はプトと名乗るその犬人から、奴隷制の仕組みを知った。

 部族主義的なオーク社会では、奴隷は主人の所有物扱いで、地球の価値観に合わせると、テレビとか、スマホ、自家用車みたいな物の一つに分類される。


 ただここからが面白いのは、マギュの概念だ。


 俺もはっきりしたことは知らないが、マギュはこの世界の全てに宿る魂みたいなもので、彼らはそれを崇拝しつつも恐れている。つまり、粗雑に扱い過ぎると、どこかで祟られるみたいなことらしい。


 単なるテレビや、スマホ、自家用車は、魂が無いので祟らないが、マギュによって駆動する生命体はその発露である感情を有し、感情は善にも悪にも傾くから、故に祟りが恐い。


(魔法で浮遊するあの輿こしは、「マギュ」によって動いていないのか? と訊いたら、それは「マダ」だ、とのこと)


 そこで、ある程度、人道的な扱いをしなければならない──という話になる。


 俺にとって朗報だったのは、なんと奴隷にも給金が出ること、そして年季等が設定されている場合、その身分から解放されることだった。

 いつか自由になれる──その事実は、俺に希望を与えた。


 ゲロッピと婆さんをギャフンと言わせられる!


 そう考えると、今まで泣いていたことが馬鹿馬鹿しくさえなってくる。

「ただし──」とプトは付け加える。


「何事にも例外がある。全ての種族が、マギュを恐れる訳じゃない。あるいはその祟りを、逆に利用しようと考える連中も居る。私はそういうのに当たった可哀そうな奴隷たちをたくさん見て来た──」


 俺は複雑な気分になった。

 ちょっとは婆さんに、感謝しないといけないのかも知れない。


「──あの、それで。プトさんはどうして奴隷になったんです?」


 俺が言った途端、彼女から柔和な表情が消えた。

 犬歯を剥き出し、目つきも細く鋭くなる。客商売をしていて常連客をブチギレさせた経験はなかったが、そうでなくとも、マズった質問だったのは明白だ。


 俺は慌てて言った。

「あ、いや、あの。実は俺、スカルベルの世話係をしてるんですよ。だから、プトさんは何をしてるのかなあ、って」

 瞬間、またプトの表情が変わった。

 哀しいような、申し訳なさそうな何ともいえない顔だ。


「へ、へえ。そう──なんだ。私は、農園で働いている。職場はお互い違うけど、頑張ろうね!」

 プトは言うと、ばさりと布団をかぶり、寝てしまった。

 一方的に話を打ち切られたようで残念だったが、俺は何だか仲間が出来たようで嬉しかった。


 木人先生は、次の日の朝早くにやって来た。

 木と木を擦るようなその独特の声で目覚めてみると、すでにプトの姿はなかった。

 農園というのがどこにあるのか知らないが、この敷地内でないことは想像が付いた。


 先生が用意した食べ物、それは何か蒸かしたイモ的なものだった。

 先生はそれを水と一緒に乳鉢ですり潰し、どろどろの半液体を作った。


 これが本当に不味いのだ。


 味は何か泥のようで、似ているといえばゴボウか、ロシアのボルシチに入っているビーツなのだが、いかんせん調理法が悪い。泥水を飲まされているような感覚で、案の定俺は嘔吐した。


「オ前ノ 身体ニ 合ウト思ッタノダガ ムズカシイ」


 先生はそう言うと、昨日の水薬の投薬を始め、俺は何回かに一回、それを吐いた。


「マタ 探シテミル オ前ハ 手ノ掛カル 患者ダ」


 瓶に入った水分補給用の水薬を数本残し、先生は出て行った。

 何か口に入れると必ず吐くこの状況は、本当に地獄で、もしかしたらこのまま死ぬのかと心細くなる。


 それを和らげてくれたのは、ケロリンだった。

 太陽が高く上った昼、ぴょんぴょんと跳ねるようにやって来ると、「元気か?」「ちゃんと食べたか?」と訊いてくる。


 俺が以前勤めていた会社では、病欠で休んだ後の出社ほど居心地の悪いものはなかった。皆口では「いいよ、いいよ」と言ってくれるが、「俺の休みを潰しやがって!」との心の声が、その向こう側から聞こえる気がしたからだ。

 まして、こんなにフランクに、見舞いに来てもらった経験はなかった。

 俺は本当にじーんとしてしまい、ちょっと泣いた。


「ここにさ、犬人族の女性が居るじゃない。彼女はどこで働いてるの?」

 俺がそう訊くと、ケロリンはあからさまに嫌な顔をした。


「俺、あいつ嫌い! あいつ、お前の前任者。()()()()()()()()。ゆるさない!」


 なるほど、そういうことか。

 前夜のプトの行動がなんとなく理解できた。


 俺は彼女が逃げた所為で、スカルベル係がこちらに回って来たとは考えなかった。


 奴隷制の話を聞いた今となっては、むしろ彼女が逃げてくれたお陰で、俺は拾われたのだと思った。


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