奴隷編⑥ プト
俺を診察に来たのはちょっと魔術の使える薬師で、種族は木人だった。
昔のカンフー映画で、修行に使う木の人形を木人と言ったりするが、あれよりももっと樹木感がある。頭にはいっぱいの新緑が芽吹いていたし、樹皮もがっしりして分厚い。この人が通ったあとにはたくさんの落ち葉が残るので、逆に心配になったぐらいだった。
木人の先生はまず俺を見るなり、「オオ 異人 ダッタカ!」と言い、簡単な診察を行った後、俺が前に説明した状態に陥っていることを見抜き、説明した。
「オ前トハ 違ウ世界ダガ 異人ノ話ハ 聞イタ事ガアル 悪徳・死霊術師ノ 噂ト共ニ」
俺はこの先生から、あの婆さんの黒い実態を知った。
殺意を向ける対象がまた一人増えた訳だが、このときは本当にグロッキーで、それどころではなかった。
「先生。コイツ、どの位で良くなる? 私、コイツ買ったばかり。働いてもらわないと困る」俺の体調不良を聞きつけ、やって来たゲロッピが言う。
「トリアエズ 一週間 当リ前ノ食事ヲ サセテハ イケナイ 当然 仕事モダ!」
「そ、そんなにもか! 騙された。安物買いだった!」
ゲロッピはぎゃあぎゃあ喚きたて、その後もずっと文句を言い続けた。
対象リストに、また一人増えた瞬間である。
俺は冷たい食堂の床から、領事館で働く者たちの宿舎に移された。
蛙専用の宿舎というと、布団は苔で、常に湿っていて、何だかほのかに泥臭いものを想像すると思う。(実際、蛙専用はそうだ)
幸運にも、この領事館には他種族用があった。しかもどちらかというと、大柄な種族向けに作られており、ベッドも普通がキングサイズくらいある。
俺はその一つに寝かされ、木人の先生がその幹のように太い腕から飲ませてくれる苦い水薬を飲み、耐えきれなくなって吐き──みたいな事を繰り返した。
(吐いたのは、いわゆる洗面器的な受け皿とか、あとは領事館のトイレだ。トイレの様子は長くなるのでまた今度)
途中、何だか実験されてる? とか思ったが、本当にそうだったのだろう。
この木のお医者さんは、いわゆる俺たちにとっての爬虫類・両生類を普段は診ていて、多分人間系は専門外だったに違いない。
「オ前ノ事 ダイタイ 解ッタ 明日ハ 消化ニ良イ食ベ物 持ッテ来テヤル」
部屋に大量の落ち葉と木くずを残し、木人先生が退出すると、俺はその何もかもが大き目な宿舎に取り残された。その心細さといったらなく、また定期的にぶり返す吐き気が、感情を摩耗させた。
風邪をひいたときの吐き気で眠れもしない──まさにそんな感じ。
眠れたとしてもほんの一瞬で、夢うつつを何度も繰り返した。その間、ケロリンが心配そうにこちらを見ていたような記憶があるが、あれが現実だったのかどうかは解らない。
何にせよ、俺がはっきり覚醒したときには、辺りは闇に沈んでいて、窓からはゾッとするような赤い月の光が刺し込んでいた。
馬鹿みたいだが、この世界にも夜があるのか、と思った。
そうしてみると、急激に俺の中で、自分の死が大きくなった。
今日一日の中で起ったことが、フラッシュバックのように思い出される。
自分の死、新しい誕生、奴隷、フナムシ、フナムシが口に入る、フナムシを食う、ゲロ──
感情がごちゃまぜの奔流になり、溢れ出した。
俺は泣いていた。
何に泣いているのか自分でも解らなかったが、止まらなかった。
大昔のアニメで、「男は泣いてはいけない」みたいなのがあったと思うが、たしかそのアニメの男主人公もしっかり作中で泣いていた。
「あいつが良いんだから、俺だって──」そんなよく解らない考えで、俺は泣き続けた。
「──っ、うるさいなあ」
声がした。
俺はビクッとし、泣き止んだ。
まさか、部屋に誰か居るとは思わなかった。
声の方に視線を送ると、隣のキングサイズのベッドがもぞもぞ動いている。
やがて薄い毛布がパサリとめくられ、中の人物が露わになった。
頭の上からピンと伸びる二つの耳、口から覗く二本の牙、そして荒々しい尻尾。
まるで狼かと間違うような犬人族の女性だった。
部屋に差し込む赤い光の中で、彼女の鋭い眼がギラリと光った。
これが俺と、プトの出会いだった。