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33 もう一人の転生者

 メディアに情報を流したことは本当に効果があった。

 最初の思惑はグロームだったが、そっちはあまり盛り上がらず、思い出したからやったくらいの新聞が俺を助けた。


 以前俺のゴシップを取材した馬の記者は足繁く病室に通い、連日のように記事を掲載してくれた。やがて病院には「ハシ・ハシのタナカ、頑張れ!」との、励ましの空飛ぶ手紙が届くようになり、俺の病室は埋め尽くされた。


 トマーゾが募金活動を促進する意味で、知り合いのネズミの子供を連れて行くから、その様子を記事にしてもらったらどうか? と提案してきた。

 良いアイデアだと思ったのでその通りにしたら、一般の見舞客──俺の店の客だった人や、グロームを見ていた人──も来るようになった。


 俺は望まれれば、彼らに対して宝石が外れない範囲で「ハシ・ハシ」を披露し、篤い励ましの言葉をもらった。中には宝石を置いて行く人も現れ、申し訳ないのと同時に有難かった。


 そうやって誰かに会うことは、俺の精神を保つ意味で重要だった。

 誰も居なくなった病室に独りで居ると、俺はいつまでもこのままで、いずれ宝石の抑えも効かなくなってしまう──そんな嫌な想像が頭を巡り、気分を深く沈み込ませた。


 この頃の俺は本当に情緒不安定で、あるときには奇跡を信じて高揚したり、逆に激しく絶望して泣いた。

 俺は出来る限り、プトを頼った。

 彼女は俺が落ち込んでいるときには優しく抱き締め、いつまでもそうしてくれた。

 よくもこんな男をさっさと見放して、捨ててしまわないのが不思議なくらいだ。


 彼女の献身には感謝しかない。

 勝手な言い分かも知れないがこの出来事を通じて、俺はプトとの関係がより深まった──あるいは、新たな段階に進んだように感じている。



 三、四週間が過ぎたある日の夕方だった。

 学校からお見舞いに訪れた子供たちの集団の前で「ハシ・ハシ」を披露し終り、文字通り疲労した俺はベッドで休んでいた。

 あまりにテンションを上げ過ぎた所為で一瞬宝石が外れそうになり、なんとか取り繕って子供を不安にさせないようにした後だった。


 ここのところ見舞客が増えすぎて、病院側からも文句が出ていた。

 とはいえ、宝石の交換には魔術師の施術が必須なので、自宅療養は出来ない。

 ──家で治療を続ける方法はないものか? そんなことを考えていた。


「──タナカさん」


 ふいに、声がした。

 振り向くと、病室の隅に誰かが立っている。

 全身にローブをまとい、頭からすっぽりとフードを被っている。背筋が曲がり、まるで平仮名の「つ」みたいな体形。細長い杖を前に出し、両手で寄り掛かっている。

 声質からして男性──しかもかなりの老人だと思われた。


「お見舞いの方ですか?」俺は出来るだけ元気な声で言った。

「俺の為に、わざわざありがとうございます」

「いえいえ。放送や新聞であなたの事を知り、これは是非にでも会わねばと思ったのです。異世界からこちらに転生されたのでしょう? それは実にお辛い経験の筈だ。よろしければ、それをお話し頂けませんか? あなたのことを知りたいのです──」


 俺は老人に椅子を薦め、自分の半生を語った。

 地球でのことや、エルタファーのこと、こちらで屋台をやっていることや、「ハシ・ハシ」、ミシュリーヌに関わるスキャンダル──


 老人は楽しそうに笑い、そして何度も相槌を打った。

 特に俺が転生者として辛かったことを話すと、まるで自分のことのように親身に聴いてくれた。ともすると、ミシュリーヌの一件で嘘を吐いたことを、うっかり喋りそうになる。もしかしたら俺は、このとき何か不思議な力の影響下にあったのかも知れない──


「素晴らしい! 大変なご経験だ! 感動しました」

「止めて下さいよ、恥ずかしい。たくさんの人たちに助けられたから、ここまで来れただけです」

「いやいや、だからこそ素晴らしい。多くの人間はその助けにすら恵まれず、また与えられない。私はあなたのことが気に入りました。例え仮初でも、贈り物を受け取って下さい──」


 老人は言うと、くるくると両手を回した。

 まるで空気を手でこねているかのような動きだった。


「さあ、タナカさん。これで、()()()()()()()()()()()()()()?」

「──はい?」

 一瞬、老人の言っている意味が解らなかった。

 何かの悪い冗談だろうか?


「あの、何を仰っているんですか?」

「一時的にあなたの運命を変えた、と言ったのです。お疑いになるのなら──これならどうですか?」


 老人がまた空気をこねた。

 瞬間、俺の頭から宝石が外れ、老人の手の中に滑り込む。


「な、何をするんだ!」との気持ちより、「死ぬ!」という恐怖が先に立った。

 けれども、宝石を交換するときのような嫌な感覚はないし、その後も体調に変化はない。

「──こ、これは──?」

「私としたことが申し遅れました。私の名はジグラフト。あなたと同じ異世界転生者。ただし、あなたとは違う世界からの、ですけれども──」


 俺は頭に触れてみた。

 確かに宝石はない。ベッドから飛び出し、病室の鏡を見る。やはりない。

 にもかかわらず、しっかりと生きているのだ。


 俺は起こっている事に実感が湧かず、しばらく放心していた。

 やがてそれは大きなうねりになって駆けのぼり、頭へと届いたが、俺の中から出てきたのは言葉にならない呻きと一筋の涙だけだった。


「──タナカさん。大変残念ですが、()()()()()()()()()()

 老人は手の中の宝石をこねた。

 パチン、とそれは再び俺の頭にくっ付いた。


「な、何故だ!」俺は叫んだ。

「どうして戻したんです? 何故そのままにしてくれない!」


「──やり続けると、()()()()()()()()()()()──」

 老人はフードに指を掛け、ゆっくりと下ろした。

 現れた顔は頬が弛み、幾つもの深い皺が刻まれていた。

 目は深く落ちくぼんで、まるで生気がない。正直、死人のようで俺は急に寒気を感じた。


「幾つに見えますか? 私は今年で三百歳です。私が生まれたアルダメシアという世界では、人は約エルタニア換算の五百年を生きる。


 あなたもこの世界が長いなら、マダはタダでは無いことを知っていますね?

 運命を完全に改変するとき、何かを原資として差し出さねばならない。あなた方に比べて私は長命種族だとしも、命を削るのは誰だって嫌でしょう──?」


 俺は黙ったまま、ただジグラフトを見つめた。

 その内側では、嵐のような葛藤が渦巻いていた。

 俺の為に命を削ってくれ! という激しい願望──

 同時に、他者の命を奪う罪悪感──

 そしてこんな、希望に見せ掛けた絶望を突き付ける老人への不信──


 老人が氷のような微笑を浮かべた。

「──けれども、同じ異世界転生者のよしみ。

 あなたが望むなら、運命を書き換えて差し上げても構いませんよ? ただし、対価を頂戴したい──」


 今すぐやってくれ!


 喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、俺は言った。

「──対価って何だ? 俺の命か? それともまた奴隷に戻れってことか?」


「私は人の命や、奴隷などに興味はありません。

 私が欲するのは、私の世界の言葉でいうマタ・マダータ。実に純粋無垢な、魔法を駆動させるマダの奔流です。


 もし、いつの日かあなたがマダの奔流を入手したら、それを譲って頂きたい。

 誓って、命を取ったり奴隷になれとは申しません。

 あなたには解らないかも知れないが、マダ換算で考えても、助けた命をまた奪うのは割に合いませんからねえ?」


 マダの奔流──

 それが一体、何を差すのか解らなかった。

 はっきりしているのは、それを考えさせる余裕は与えない、ということだ。


「──おや? これは──あなたのご知り合いですかね?

 誰かがこの病室に向かっておいでだ。

 こう見えて私は恥ずかしがり屋でしてね。あまり姿を見られたくはないのです。


 その方がこの部屋にいらっしゃる前に、私は失礼致します。その場合、二度と会うことはないでしょう。私の助力を必要とされる方は、あなた以外にもたくさん居る。


 では、拘束力を持った厳正なる魔法の名において──

 あなたの──ご回答は?」


「解った! やってくれ!」


 俺は叫んでいた。

 汚いやり方で追い込まれていたとはいえ、だ。

 それでも、これを逃す訳にはいかなった。そんな選択肢はなかった。つかみ取り、握り締め、離す訳にはいかなかったんだ!


「大変結構!」

 俺の頭から宝石が弾け飛んだ。


 そして、実におぞましいものを見た。


 目の前の老人が、みるみる骨と皮だけになって行く。

 昔見た映画の中で、間違った選択をした男が老け込んで行くのの強化・高速版!

 違うのは、まるでゾンビみたいになったジグラフトが、それでも意識を持ち、しっかりと言葉を喋ったことだ。


「おめでとうございます、タナカさん。あなたの運命は書き換えられました。それでは失礼致します」

「ま、待ってくれ! マダの奔流って何だ? それは一体、どうやって──」


()()()()()()()()()()()()()()


 ジグラフトは魔法の力で室内にあったロッカーのドアを開いた。

 その中に向かって滑るように吸い込まれると、大きな音と共にドアが閉まった。

 それきり物音は一切せず、深い静寂だけが辺りを支配した。


「ジュンイチ! あなた、何やってるの!」

 病室に現れたプトが、俺の姿を見て叫んだ。

 彼女は俺の足元に散らばった宝石の破片を集め、それを俺の頭に押し付けた。


「何で! 何でこんな事したの! 馬鹿、馬鹿!」

 鋭い宝石の破片が食い込み、痛みが走る。

 俺は彼女の手を取り、力いっぱい抱いた。


「良いんだ、プト。運命は変わった。治ったんだ。本当に俺、治ったんだよ──」



 それから、ジグラフトはしばらく現れなかった。

 俺自身、あれは現実だったのか? そう思っていたほどだ。


 奴が現れたのは約二年後──


 俺の店「醤油豚骨 田中」が大人気店になり、飲食業界で不動の地位を築いたその瞬間だったのである──

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