25 脱・屋台
魔法の箸を手に入れた俺は、一日百杯の売り上げを目指した。
エルタニアには商業・学園・工業の三つの営業可能地区がある。
俺はその中の、どこが何時に一番客入りが良いかを実地で調査した。
導き出されたのは、昼は商業地区と学園地区、夕方は工業地区の売り上げが良いこと。
これを元に、昼は商業・学園を一日交替、夕方は工業地区に固定。
営業開始は霊狗六刻(午前十時)とした。
(さすがに早朝からラーメンは売れないので)
魔法の箸は、目に見えてリピーターを増やしてくれた。
今まで食べ難そうにしていた客たちは、初めのうちこそ半信半疑だったものの、一度使うとその便利さに驚いていた。
まるで普通の、地球のラーメン屋の風景──
言ってしまえばそれまでだが、ここまでの道のりを考えるとき、胸にグッと来るものがあった。
──ただ一点、誤算だったことがある。
思い出して欲しいのだが、百膳の箸に掛かった費用は日本円にして約四百五十万円。
ということは、一膳辺り約四万五千円である。
それは竜胆鋼という世にも珍しい金属製で、かつ魔法の術式も施されている──
目端の利く人間なら一目で値打ちものだと解り、そんなものが屋台で無造作に使われているとなれば──
──そう、実は、箸泥棒が頻発しまくったのだ!
客が帰った後、返却された器を見ると、なんと箸だけが無くなっている──
そんな事が何度も起った。
転売すれば高値で売れる、みたいな事なのだろうが本当に痛かった。
この頃、一杯のラーメンを約八百円くらいで売っていた訳だが、箸泥棒をやられると、もうそれだけで約四万四千二百円の大赤字!
頭にきたので一時は本気で、屈強なオークの見張り番でも雇おうかと考えたくらいだった。
結局のところ、解決策は魔法だった。
屋台から一定程度離れると、箸が瞬間移動で戻って来る術式を組み込んでもらったのだ。
客を追い掛けて口論になるトラブルも避けられるし、これは一石二鳥。
ただし、追加料金の約五十万円は痛かったが──
箸導入から四週間目──
俺は目標にしていた一日百食を達成した!
正直、数ヶ月は掛かると思っていたが、実にあっさりだ。
地球のラーメンは競争力があるのだと実感したし、遂に根付いたという感慨もあった。
しかしそうなってくると、今度はこの屋台という奴がボトルネックになって来る。
作業スペースのみならず、食材の置き場も狭いからだ。
例えば明日の仕込み分を売るならば、一日二百食も夢ではないだろう。
けれどもそれではコンスタントに営業を継続出ない。
大量に作り置けばいいと思うかもしれないが、駐車場にしている倉庫が狭く、空きがない。
最終手段に自宅に置くという考えもあるが──それはそれでプトの機嫌が怖かった。
やはり、脱・屋台──
遂に、実店舗の経営に乗り出すべきだと感じ始めた。
俺は夕食時、プトにそれを相談した。
「ラーメンは有名になったし、順調に売れている。固定の店を持てば更に伸ばせるだろう。けれど今度の投資は、きっと屋台の時とは比較にならない。──俺は、急ぎ過ぎているだろうか?」
「──以前、ジュンイチは言ったよね? チキュで叶わなかった事をやってみたい、って。私は全面的に応援する。そういえば借りてたお金の半分、まだ返せてなかったでしょ? 微々たるものかも知れないけど、返すから使って」
「いや、それはもう良いよ。むしろ忘れてたくらい。好きにプトが使ってくれ」
「──ジュンイチ、それだけは絶対にダメ。私は自分から望んであなたの傍に居たい。ミシュリーヌとの事があってから、余計にそう思うようになった。あなたに望まれるのは、勿論嬉しい。だけど、それはお金で買われるという事ではない筈。──だから、私の為に受け取って?」
「──解った。俺が軽率だった。謝るよ」
「あ! それと、旅行の計画は? それも忘れてない?」
急に悪戯っぽく微笑むプト。
俺はそれも同時に考えることにした。
実店舗を持つに当たり、幾つか解らないことがあった。
特に物件事情や、もしかして必要になる融資。
現在の俺にとって商売の一番の先輩は、やはりトマーゾだろう。
俺は彼を訪ね、それらを質問した。
「──なるほど。金関係ね」
作業場で、トマーゾは例によって塗布を行いながら言った。
「たしかそういったものは、各商工ギルドが行っているよ。ただ、おいらは信用してないから、あまり利用したくないね──」
「というと?」
「うん。幾らまで融資するか──つまり限度額の審査があるんだけど、それって魔術師が絡むんだよ。で、その決め方ってのが《《ほぼ占いなんだ》》。この人はあまり儲けなさそうだから少額で、この人は儲けそうだから高額──とか。
始めたての頃、一度だけ相談に行ったんだけど、絶対破産するから千エルター(約二十万円)とか言われた。本当にムカついたよ!」
──なんとも怪しい審査方法だ。
確かに地球の日本でも、属性などという呼び方で、就いている職業や資産規模によって信用力を評価し、限度額が変わることはある。
しかし、占いで決定されるのではシャレにならない──
「ま、お兄さんは有名人だし、栄誉市民の信用もあるから大丈夫なんじゃないか? ただ、金利は比較的高かった気がするから、たくさんの借入れはオススメしないね」
後に調べて解ることだが、確かに金利は高かった。
地球だと、政策金利を各国の中央銀行が決め、そこから一般の市中金利が決定される。
しかしなんとエルタニアの金利は、世界中のマギュとマダの総量に紐付けされていた。
簡単にいうと、全てが魔法によって決まっていたのである。
正直、この「魔法変動金利制」というものの実体を、今に至るも俺はよく理解できない。
ただ、激しい戦争などでマギュとマダが失われると、金利が乱高下しまくる──らしい。
俺は続いて、物件の相談をした。
「──おいらとしては、金があるなら買うことをオススメするね。なんせ毎月の固定家賃が痛いから。ただ、お兄さんが店を開きたい場所って、いわゆるエルタニアの一等地だろ? おいらの工房みたいに広くて安くは絶対無いぜ?」
「買うか借りるかは正直決めてない。ただ、客席は本当に狭くていいんだ。カウンターのみで行くつもりだし。どちらかというと、厨房にスペースが欲しい。あと、出来るだけ安いってのは譲れないな。──てか、全くツテが無いから、心当りとかない?」
「うーん。そう言われてもねえ──」
トマーゾは作業を中断すると、しばらく宙を眺めて考え込んだ。
「──狭くてもよくて、安い。だったら、どんなのを紹介されても文句言わないかい?」
「ああ、構わない。初期費用を抑えるのは重要だ」
「だったら、面白い男がいるよ。──ただし、後悔するなよ?」
──そしてこの後、俺は後悔するのである。




