表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/75

18 スキャンダル

 芸能界を真剣に目指す人にとって、俺の立場はどこそこ不遜に感じるものだろう。

 けれども、やっぱりラーメン屋の成功を目指す俺には、その世界は手段だった。

 そして、向いていなかった。


 地球の日本なら、ラーメン屋がグルメ番組に取り上げられることはあっても、番組を持つことはない。あるいは動画投稿をすることはあっても、タレントの真似事をしなければならない訳でもない。


 自分で選んだとはいえ、その両方をしなければならなかった俺は徐々に追い込まれて行った。

 屋台営業が出来る日数はどんどん減り、逆にタレント業は増え続ける──


 ある日ダメ押しのように、お昼の情報番組へのキャスティング話が来た。


「──あなたがちゃんとエルタロッテ共通語を喋れることが、広く一般にも周知されたでしょう? そして皆があなたに興味を持った。だからその特異な立場から、面白いコメントが出来ると思うのよ」


 呼び出された放送局の個人オフィス。

 ミシュリーヌは少し興奮気味に言った。


「私が上に激推しして、説得したの! これは本当にチャンスよ?」


「──ちょっと待ってくれ」俺は言った。

「今でさえ、かなりの仕事量なんだ。確かに番組レギュラーは一つだけど、ゲスト出演が山のようにある。それに──君が紹介してくれたクマの親方が、やたらと巡業も入れて来る。正直もう、パンクしそうなんだ」


「──ジュンイチ、解らないの?」


 ミシュリーヌが俺にぐっと身体を寄せた。

「今まで幾らもらってたか知らないけど、ここからあなたのギャラは跳ね上がる。それこそ、桁が変わって来るのよ?


 あなたのやりたい事が同時に幾つも出来るぐらいの大金──そのチャンスをふいにするつもり?

 この業界を目指す多くの人間が、あなたの立場を渇望している。

 けれど、才能や運に恵まれない為にそれを得られない──


 これはチャンス──本当に本当のチャンスなのよ──?」



 今にして思えば、ここが辞め時だったのだろう。

 けれども俺は、見誤ってしまった。


 プトの為、店の為、自己資本を増やす為──


 例えどんな理由を並べても、それは全て言い訳だ。

 金に目が眩んだとしか言いようがない。


 俺はオファーを受けた。

 情報番組への出演はスリリングでもあったが、同時に退屈だった。

 常に心のどこかに本来の自分とは違うことしている──そんな違和感が付き纏った。

 屋台営業は、週一回出来るか出来ないか──


 振り返ったとき、自分を有名にしてくれた「ハシ・ハシ」より、こちらの方が黒歴史かも知れないとさえ思うくらいだ。



 それから更に、数か月後。

 俺はようやく辞める決断をする。


 この頃には忙しさの中で、プトとある種のすれ違いも起っていた。

 かつてのように顔を合わせて話すことは出来ず、一緒に食事も出来ず、下手をすると会議などでミシュリーヌと顔を合わせている方が多い日々──


 撮影が押しまくったその夜、俺は一人、通りを歩いていた。

 プトに連絡を入れるが機械鳥の水晶玉は繋がらない。


 嫌な予感を覚えながら通りを曲がると、一人の馬族が近付いて来た。

 そいつは言った。


「こんばんは、タナカさん。私はエルタニア日報の記者ですが、あの話は事実ですか? グローム放送の幹部、()()()()()()()()()()()()()()()()()、という──」


 俺は適当に記者をあしらうと、プトの待つ自宅へと急いだ。


 玄関を開けた途端、俺は怒鳴り付けられ、ぶん殴られる──みたいな展開を予想したが、全く違った。


 プトは俺の顔を見るなり──震える声で言った。


「──ジュンイチ。私、辛い。あなたを信じようと努力してる。

 でも、それがとても辛い。本当は芸能界での成功を喜ぶべきなのに、それが出来ない。


 前はこんな事は無かった。あなたを疑うようなことなんて無かった。

 今ではジュンイチが成功すればするほど、遠い人になったように感じる。


 ──ねえ、だから教えて。

 放送で言われている事が本当でミシュリーヌさんを選ぶなら、はっきりそう言って欲しい。


 ジュンイチの足を引っ張るだけの邪魔な存在で居たくないよ──」


 プトは泣いていた。

 

 彼女の涙を見たのは、これが初めてだった。

 こんなにも苦しめてしまった自分が本当に情けなかった。

 この数ヶ月を考えれば、確かに誤解されても仕方がない──

 

「──すべて辞める」


 俺はプトを抱き締め、言った。

「これが証明になるか解らないけど、芸能活動はきっぱり辞める。ミシュリーヌとの間には本当に何も無い。お願いだ。もう一度だけ、信じて欲しい──」


 しばらくそうしていると、やがてプトは頷き、

「──ごめん。これじゃ私──ウザい女だね──」

「違う。俺が間違った。もっと早くにそうすべきだったんだ──」


 俺はここ数ヶ月、自分が感じていたことを話した。


 必要だと思って嫌なことを我慢したこと──

 それが本当は辛かったこと──

 プトにちゃんと伝えられていなかったこと──


「ごめんね、疑ったりして──」

「そんなことない。こっちこそ、ごめん──」


 プトに笑顔が戻り、俺は久しぶりに食事を作った。

 それは一つ目豚の切り身と、平たいパン(カルプ)をパン粉にしたトンカツだった。

 美味しそうにそれを食べるプトを見て、俺は幸せな気持ちになった。

 また彼女と通じ合えた──そう思った。



 翌日、俺は放送局の役員室に赴き、降板したい旨を伝えた。

 ミシュリーヌは取材に出掛けて居なかったが、他の役員たちは当然、引き止め工作に出た。

 けれども俺の意思が固いことを知ると、「今決まっているスケジュール分はやり遂げて欲しい」と言われた。これについてはさすがに嫌だとは言えず、承諾した。


 夜、打ち合わせを終えて帰ろうとすると、俺はいきなりミシュリーヌに呼び出された。

「今すぐ来なさい!」という強い口調だった。


 彼女の豪華な個人オフィスに入ると、ミシュリーヌは取り乱したかのように言った。


「一体どういうつもり! 前にも話したでしょう? 私は役員連中にあなたを推薦した。それこそ周囲の目も気にせず、あなただけを推した。そんな私の顔に、泥を塗ろうと言うの?」


「──その事については、本当にすまないと思っている」

 俺は言った。

「ただ、限界なんだ、ミシュリーヌ。確かに初めは、必要な事だと思って取り組んだ。実際、必要だった部分はあると思う。けれど、これ以上は無理だ。このままでは色々なものが壊れてしまう──俺もプトも、限界なんだ!」


「──()()()()()()()()()()()()()──?」


 ミシュリーヌは、俺にぐっと身体を密着させた。


「──ねえ、ジュンイチ、解らない? どうして──私がここまでやったのか──」

 ミシュリーヌの顔が緩やかに俺へと近付いた。

 猫人族が喉を鳴らす、特有のごろごろという音。

 その振動が、俺を強く抱き締める彼女の腕を通して伝わってくる。


「──あなたが好きよ、ジュンイチ。だからやったの。あなたはこんな所で終わらない人。私と一緒なら、芸能界だけじゃなく、行く行くは元老院の議員にだってなれる。

 例え選挙で落とされても、私が覆してみせるわ。


 ──あんな退屈な女のことなんかもう忘れて──私と、()()()()()()()()()()()──?」


 ミシュリーヌの唇が、俺の唇を奪った。

 それは軽いものではなく、激しい本気のキスだった。


「──やめてくれ!」

 俺はやや乱暴に、彼女を突き放した。

「プトのことを悪く言うな!」


 後ろに数歩よろめいたミシュリーヌは、高級な暗黒檀のデスクにしたたか脚をぶつけた。


「だ、大丈夫か!」

 さすがにやり過ぎたと思い、彼女の方に一歩踏み出すと、


 シャーッ!


 という、猫人族特有の激しい威嚇音が飛んできた。

「──許さない」

 目を真ん丸にし、毛を逆立て、犬歯を剥き出しにしながら彼女は怒鳴った。


「絶対に許さないッ! ()()()()()()()()()()()!」

 そしてデスクの上にあった適当な物を、俺に向かって投げた。

 幾つかは避けたが、何かトロフィーみたいな物が腕に当たり、本当に痛かった。


「アンタは大馬鹿、本当に頭が悪い! 一体誰がここまで育ててやったと思ってるのよ! アンタの成功は全部、私! この私よ!」


「──ああ、頭が悪くて結構さ。むしろ、せいせいするよ」


 ミシュリーヌはなおも、何かをつかんで投げようとした。

 粗方そうし終わったデスクの上は、ほぼ空だった。


 その隙に、俺はドアの方へにじり寄った。

 犬人族以上に猫人族女性も、頭に血が上ると怖いということを思い知っていた。


「──後悔するわよ!」


 ミシュリーヌは叫んだ。

「私を敵に回したらどうなるか──思い知らせてやる!」


 俺は部屋を退出した。

 喧嘩別れに終ってしまったが、どこか晴れ晴れとした気分でもあった。



 帰宅した俺は、降板が決まったことをプトに話した。

 あと一、二週間で全てが終ると知ると、彼女は本当に喜んでくれた。

 ただ、ミシュリーヌに誘惑された一件は話さなかった。伝えるべきではないと思ったし、とてもじゃないが話せなかった。


「全てが終わったら──」俺は提案した。

「二人で休みを取らないか? あのゴブリンの里へ行ったときみたいに、旅行でもしよう」


「うん。そうしよう! ──じゃあまた、食べ歩きもセットだね?」


 俺たちは水晶玉を起動し、その前のソファに腰かけて──ニュースではなく──旅行系の番組を二人で見た。映し出された場所を眺めながら、俺たちは旅行の仮計画を話し合ったのだった。



 翌朝のことだった。

 ベッドの中で微睡(まどろ)んでいた俺は、文字どおりプトに叩き起こされた。

 それは本当に強い力で、俺は初めエルタファーみたいに戦争でも起ったのかと思った。


「い、痛い! ──どうしたプト?」


 ベッドの中から見上げる彼女は、凄い表情をしていた。

 俺はそれに見覚えがあった。

 かつてケロリンに殴りかかったときの、あの逆上した表情だった。


「──()()()()()()()()()()()()()()!」


 吠え猛る犬のように、プトは怒鳴った。

 俺は二、三の言葉を掛けたが、むしろ逆効果。彼女の鼻息が、どんどん荒くなって行く──


 俺はプトに目を合わせたまま、ゆっくりと動いた。

 頭の中にあったのは、野生動物に襲われたときの理論。


 ──()()()()()()()()()()()


 玄関に向かって後退りし、ゆっくりとドアを開けた。


 プトがずんずんと、こちらに向かって来た!


 俺は外へと飛び出した。

 背後から、刺すような怒鳴り声。


「──()()()()()()()()()()()()()()!」


 正直、全く意味が解らなかった。

 家を追い出され、仕方なく倉庫に停めている屋台へ行こうとして、俺は全てを悟った。


 レンガ造りの建物の上部に魔法投影された最新のニュース映像──

 

 その中でミシュリーヌは、重々しいがハッキリとした口調でこう言っていた。



「──私は、『ハシ・ハシ』で有名なタレント、ジュンイチ・タナカ氏から()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ