奴隷編③ 望まぬ仕事
俺を買ったのは、エルタファーの領事館に勤める蛙男、ゲロッピだった。
身長は二メートル超え、体重はよく知らんがきっと三百キロ以上。
全体的にイボイボして薄気味悪いが、着ている服は高級だった。
(ちなみに「ゲロッピ」は俺が付けたあだ名。蛙族・独特の舌を鳴らす発音は実に聞き取り難く、本名はよく解らない)
ゲロッピの前に初めて連れて行かれたとき、正直俺は喰われると思った。
昔のSF映画に出てくる巨大な蛙が、小さい生物を飲み込んで汚いゲップをする──そんな場面が頭をチラついた。
けれども、ゲロッピには違う思惑があったようだ。
「お前くらいの大きさのヤツ、重宝する。この街、基本的に皆、統一された規格で出来ている。大き過ぎたり小さ過ぎたりすると、不便。あと、お前、とても安かった!」
蛙族の笑い方は、本当にケロケロ言う感じで、ちょっとウザい。
もっとも食用に買われた訳ではなさそうなので、その点は一安心だ。
顔面・角男は、きっと婆さんとの取引で損をしたのだろう。ずっとこちらを睨み、今にもその角をぐりぐり押し付けて来そうな雰囲気があった。
俺は努めて刺激しないように、鼻歌を唄うなどして無視を決め込んだ。
蛙男が広場に呼び込んだのは、街に来たばかりのときに見た、あの浮遊する輿だった。
柔らかそうなクッション、綺麗なレースがひらひらする天蓋。
こいつが独りでにふわふわと目の前に静止したとき、俺は本当にテンションが上がった!
マンガとか映画みたいな空中浮遊を、まさか体験できるなんて!
──その期待は、すぐさま打ち砕かれる。
クッションの上に、うんしょと乗り込んだのはゲロッピ。
俺が乗りたそうにしていると、「お前、歩け」の一言。
現実に引き戻されるとは、まさにこのことだ。何が現実なのか、よく解らなくなってきたが──
蛙族の領事館は、エルタファーの南西地区にあり、先ほどの中心地からは少し離れた位置にあった。
外観としては周囲の白くて四角い建物と変わらないが、装飾が独特だ。
水辺や沼地に自生していそうな、苔だか水草のようなものが、建物をびっしりと覆っている。普通に考えるとかなり植生が狂っていると思うが、何か不思議な力を利用しているのだろう。
それは室内に入っても同じだ。
建物の中心部分はどーんと開かれた中庭で、そこには本当に蛙が好きそうな、日本に例えると田んぼみたいな沼があった。ゲロッピの同族の何人かが、そこで無邪気な水遊びをやっていたが、彼らのサイズがあまりにもデカいので、見ていてほのぼのした気分にはなれなかった。
ゲロッピは俺を、建物の更に奥へと連れて行った。
途中、調理場へ通りかかったとき、俺はまたテンションが上がった。
なんせ設備がスゴイのだ!
たくさんの立派な竈。
居並ぶ銅色の寸胴鍋。壁一面には幾つものフライパンやスキレット。
料理番らしい蛙はしっかりとその手に包丁を持ち、玉杓子を使って鍋をかき回している。(勝手なイメージで、どうせコイツらは料理なんか出来ないと思っていた!)
唯一の欠点は、彼らが居心地の良いように、調理場全体がやけにびちゃびちゃしている事だが、それを除けば俺ですら利用したことのない、完璧な厨房だ。
「お前、興味あるの?」
足を止めて佇む俺に、ゲロッピが言った。
「ある! ありますッ!」
「そうか。残念。お前の仕事、これでは無い」
俺は再び、打ち砕かれた。
ゲロッピが連れて行ったのは、領事館の地下だった。
そのトンネルは、まるで爆弾か何かで無理矢理掘られたように、ぼこぼことして歪だった。
トンネルの奥からは絶えず湿気を帯びた風が流れ、お世辞にも心地よい環境ではない。
等間隔に吊るされたランプのお陰で辺りは明るいが、曲道の先から平気でゾンビとか、武装したスケルトンが出てきそうな雰囲気だ。
「おーい。おおーい」
ゲロッピが奥に向かって声をかけると、ぺたぺたという音と共に、やや小ぶりな蛙が現れた。
ゲロッピとは種類が違うのか、つるんと光沢があって綺麗だが、真っ黄色に黒の半点の肌がちょっと怖い。そいつは俺を見ると、
「新しいの、来た? 今度は大丈夫?」と言った。
「解らない。でも、こいつ、ちょっとおかしい。だから大丈夫」ゲロッピは言い、俺が舞台の上でやって見せた、鍋を振る動作をした。
一体何がちょっとおかしく、何が大丈夫なのか解らないが、馬鹿にされていることは解る。
俺がムッとした表情をしていると、
「あとは全部、彼に聞いて。彼、ちゃんと教えてくれる。お前、大丈夫。私の予感、そう言っている──」ケロケロと笑いながら、もと来た道を引き返して行った。
(引き返して行きながら、チャーハンを盛る動作をしていたのがムカついた!)
俺はこの黄色と黒の小さいヤツに、可愛らしい見た目に因んで「ケロリン」とあだ名を付けた。
本名はちゃんと教えてくれたが、やっぱり聞き取れなかった。
ケロリンはトンネルの奥をその小さい手で指差し、言った。
「ここでは、生き物を飼っている。俺とお前、その飼育係り。大丈夫、けっこう仕事は楽。だけど──逃げるなよ?」
ケロリンが、俺の脚をぐっとつかんだ。思った以上の握力だった。
(正直、コイツ毒とか大丈夫? と心配になった)
そして、独特の舌打ち音を続けざまに放った。
トンネルの奥が揺れた。
かさかさ──わさわさ──という不吉な音。
「うわああ!」
俺は絶叫した。
トンネルの奥から現れたのは、無数の巨大なフナムシ!
一匹が二、三十センチはある。
それがびっしりと壁面に張り付きながら、うねるように、こちらにぐんぐん迫って来る!
「おい、放せ! 放せ、この野郎ッ!」
しかし、ケロリンは見た目に反して鬼だった。
手だけではなく、小ぶりな口まで使ってがっちり固定、動けない!
「や、やめでくれえええ!」
回転するような動きで飛んだフナムシの一匹が、俺の顔面にへばり付いた。
その後を、無数の友達たちが同じように続いて行く──
──あ、わかった!
コレ、どこかで見たことあるパターンだと思ったら、アレだ!
虫が好きで、空を飛ぶ少女が出て来る、あの国民的アニメだ!
きっとこれは夢で、俺は病室に居て、それでかつて見た鮮烈なイメージが、こんな風に投影されているだけなんだ。
でも、おかしいなあ。どうして口の中がもごもごするんだろう?
おかしいなあ? 早く覚めないかなあ~?
「お前、口開けちゃダメ。スカルベル、狭いところ好き。どんどん入ろうとする」
粘着質のぷるんとした手が、それを口の中から引き抜いた。
俺の思考は半分以上キャンセルされていたが、ケロリンの手があたった舌が、唐辛子みたいにびりびりしたのは解った。
再びケロリンが、舌打ち音を発した。
フナムシ──もとい「スカルベル」は、さっきと反対に、するするとトンネルの奥に引き返して行く。
「よく逃げなかった! 前の奴、俺殴って逃げた。お前、大合格!」
つぶらな瞳をきらきらさせて、ケロリンが言った。
正直、殺してやろうかと思ったが、そんな元気は微塵もなかった。