11 開店の日
その朝、俺はプトとそろって家を出た。
彼女は造船の職場へ、そして俺は屋台営業地区へだ。
「──いよいよだね?」
住宅前で別れるとき、プトは言った。
「行ってあげられないけど、頑張ってね?」
「うん。行ってくるよ」
俺はそう答えた。
ネズミの馬車は近くの倉庫を借り、そこに停めていた。
エルタファーほど物騒ではないにせよ、車上荒らしは平気で居る。
鍵を開けて中に入ると、トマーゾが磨き上げてくれたネズミたちはピカピカで、馬車も幾らか立派に見えた。
呪具で起動すると、ネズミたちの眼は明るく輝き、チチチ、キイキイ、と音を立てた。
御者席に乗り込み、呪具を握ったまま鞭を振る動作をする。
機械の作動音と共に、ネズミが走り出した!
あまりの急発進に、倉庫の壁にぶつかりそうになる。
なんとか避けて、俺は通りへと飛び出して行った。
屋台営業地区は、業者市場のあったリヴァクリア、学園地区のケファロポス、そして工業地区のピルモイにある。
俺が目指したのはピルモイで、そこには幾つもの魔動工場が立ち並んでいた。
川沿いに面した営業地区には、もうすでに二、三軒の屋台が停まっていた。
俺が馬車を下りて挨拶すると、向こうをそれを返したが、何となく奇妙に思われている雰囲気がある。
なんせ旧式の機械ネズミ。
馬車の車体には、エルタロッテ文字で「醤油豚骨ラーメン」と書かれている。
未知のものを売っている怪しさか、あるいは俺が異人だからか──
特別敵対したい訳じゃない。俺は折り畳みのテーブルセットを並べながら、あまり気にしないことにした。
朝の通勤時間になると、屋台通りは様々な種族が行き交い始めた。
ドワーフの労働者、群れる小人族、顔面・角族やゴブリンたち──
しかし彼らは隣の屋台には吸い込まれて行くが、こちらには全くやって来ない。
じろじろと物珍しそうな顔はするのだが、通り過ぎて行ってしまう。
今日は初めてだし、様子見も兼ねて朝から出店したが、さすがに朝食にラーメンは食べないのだろう──
そう思っていると、ようやく一人のドワーフが来店した。
「おう。ここは何を売ってんだ?」
「いらっしゃいませ。ここではラーメンを売ってます」
「はあ? らうめん? なんだそりゃ?」
俺は概要を説明した。
一番解り易いのは「スライム麺の仲間です」と。
「──ああ、そうか。悪いけど、要らねえや」
ドワーフは立ち去った。
──まさか、スライム麺って嫌われてる?
だんだん、嫌な予感がしてきた。
結局朝方は、ラーメンは一杯も売れなかった。
いや、一瞬だけ、売れそうになったことはあった。
ゴブリン族が麺類であることに興味を示し、近付いてきたのだ。
「ここってスライム麺屋?」
「正確には違いますけど、スライム麺を使ったラーメンもあります!」
「ふうん。じゃあテイクアウトで」
「すいません。ウチ、テイクアウトはやってなくて──」
「あ、そう。じゃあやめとくわ」ゴブリンは立ち去った。
周辺の店を見ると、売っているものは肉の串焼きや、平らなパン(カルプ)に肉を挟んだサンドイッチなど──
どうやらテイクアウトが主流らしい──
いやいや、時間帯が悪かっただけだ。やはりメインターゲットはランチ客。
俺は勝負のときを待った。
昼間になり、また辺りは人でにぎわい始めた。
周囲の屋台は別のものに入れ替わっていたり、あるいはそのまま営業を続ける店もあったが、しっかりと客が入っている。
逆に、俺の店には人が来ない。
──おかしい。一体どうなっている?
俺が本気で焦り始めたとき、ようやく一人の客が来た。
朝来たのとは違う、ゴブリン族のおじさんだった。
「メンって書いてあるけど、ここスライム麺?」
「は、はい! そうです!」
本当は違うが、それを言うと逃すと思った。
「これ、ここで食べるの? テイクアウトは無し?」
カウンターや隣に組み立てたテーブルの様子を見て、おじさんは言う。
「すいません、そうなんです。まだ始めたてなもので──」
「まあ、時間あるから。一杯頼むわ」
「ありがとうございます!」
俺は大急ぎで、ラーメンを作りに掛かった。
なんせ、たった一杯のラーメン。
手際よく、かなりの短時間で提供できた。
「──随分と変わったスライム麺だな? というか、この二本の棒切れで食うのか? フォークくれよ」
怪訝そうに箸を眺め、おじさんが言う。
こういう場合に備えて、ゴブリンの店で見た曲がったフォークも用意していた。
おじさんは深皿に鼻を近付け、立ち上る湯気を嗅ぐ。
「えらく独特だな。こんなの初めてだ──」
フォークに絡ませ、一気にすすった。
眉根を寄せながら、口の中でもちゃもちゃと麺を噛むおじさん。
プト以外のお客の、初めてのジャッジ──
胃の奥から上って来るようなチリチリとした感覚。
──果たして、結果は──
「おお、美味い!」おじさんが言った。
「これはスゲエ食いもんだ。兄ちゃん、なかなかやるじゃねえか」
おじさんは言い、ラーメンをがっつき始めた。
感無量だった。
ちゃんと通じた!
地球の、日本の味はイケるのだ!
俺はおじさんを眺めながら、込み上げて来るものを噛み締めていた。
「──けどよ」
三分の一くらいまで食べて、おじさんが言った。「これ、食べ難いわ」
「──え? というと」
「兄ちゃん本物のスライム麺、食ったことあるか? あれって脂のない、さらっとしたスープに入ってるだろ? スライムと脂はよ、愛称が悪いんだよ。つるつる滑ってフォークに絡め辛いんだ」
おじさんは言って、何度か麺を持ち上げた。
確かに、幾つもの麺が滑り落ちて行った。
「それとな、ここに豚肉と卵がのってるよな? これ、別皿にしてくれよ。この曲がったフォークでどうやって取るんだ?」
おじさんは結局、それを指でつまんで口に運んだ。
──盲点だった。
彼の指摘は、確かに的を射ていた。
プトにラーメンを出した後、俺は自分用にスライム麺バージョンを作り、試食していた。
当然、箸を使って食べた訳だが、そのときは「やや滑るかも」くらいで、それほど気にしていなかった。
──改良の余地あり。
初戦から出鼻を挫かれてしまった。
ここから更に、俺への試練は続くのである──




