6 二つの豚
ラミクロ昆布を持ち帰ってまずやったのは、やっぱりお吸い物だった。
火にかける前の水にしばらく昆布を浸け、弱火でじっくりと煮出してやる。
すると実に良いダシ汁が出来た。
これに葉物野菜のダルラ、プトが喜ぶので偽紅玉鳥のツミレ、ソヤーラ醤油、塩で味を整えれば──
偽紅玉鳥ツミレのお吸い物の完成だ!
「美味しい! 色は薄いのに味がしっかりしてる。すごいね、これ」
一口すすって、プトが言った。
日本の味が受け入れられている。それは純粋に嬉しいことだった。
以前作った偽味噌汁はダシが利いていなかったので味気なかったが、これはほぼ完璧だった。
「まあ、俺は泣き虫だけど、これは美味いでしょ?」
「え、それ根に持ってるの? なんかちょっとキモい──」
「おいおい! それは追い打ち過ぎなんだが!」
「──けれど、彼女の言ったこと、考えてみた方が良いかも知れない」
「というと?」
「──うん。エルタニアには少数種族を含めて百以上の種族が居ると言われている。
彼らは多くの場合、互いにいがみ合っているけれど、それは結局権利を守る為。
エルタファーは論外として、ここが比較的安定しているのは権利が保証されるから。
ただ、その権利をもっと増やしたい──例え誰かから奪ってでもと考える人が居てもおかしくはないと思う。特に、ジュンイチは気を付けるべきなんじゃないかな?」
確かにそうだった。
エルタファー時代が懐かしくなるほどに、エルタニアは権利関係にうるさかった。
そしてエルタファーでもそうであったように、俺は狙われ易いのかも知れない。イスハークはまさに、俺が一種の「珍獣」だから引き抜こうとした。
こればっかりはプトのいう通り、気を付けようと思った。
彼女が新しい職場への通勤を始め、一人の時間が増えた。
俺はラーメンにとって一番の肝、豚を探し始めた。
目を付けたのは、卸売り市場である。
リヴァクリアの市場は、いわゆる一般消費者向けではなく業者専門だった。
巨大なドーム状の建物の中に、周辺地域から集まって来た様々な品が並んでいる。
それは農産品だけではなく魔動機の展示即売もあり、機械鳥以外に機械馬、機械羊など、複数の種類があった。こんなのを運転して街中を乗り回せたらさぞ楽しいだろうが、値札を見てビビり散らかし、近寄って来た販売員に「また今度」と言って逃げた。
畜産の区画はドームの中央にあり、生きた家畜も扱うので、たくさんの魔法の柵で区切られていた。
俺はそこで、初めて生きている両頭牛を見た!
はっきり言って、不可思議にしてグロテスク。
本当に前後に頭が二つある。左右に伸びる角は人間の腕よりも太い。
大きさは成牛二頭分くらいあり、ちょっとした象という感じ。
試しに、そこに居た長身で灰色のトロールのおじさんに疑問をぶつけてみた。
「コイツらって、どっちで食べてどっちで排泄するんですか?」
「それは両方である。こいつらの頭は口であり、排泄器官であり、同時に生殖器である。片方が食べると、もう片方から出るのである。交尾もオスとメスを交互に円形に並べて行われる。片方の頭だけが交尾すると、もう片方が機嫌を悪くするからである。両方交尾に成功しているとほぼ同時に二頭生まれる。出産時、とても大変である」
──色々、想像したくない状況だ。
そしてやっぱり、奇妙な生物である。
柵の中に群れる牛を眺めていると、その一頭がいきなり空中に浮かんだ。
どうやら購入が決まったようで、このまま魔法で運ばれて行くらしい。
上空を滑るように進む両頭牛をしばらく見送って、俺は目的の質問をした。
「実は、豚を目当てに来たんです。ここには居ませんかね?」
「豚は光を嫌うのである。だから会場は地下である。案内は必要であろうか?」
「はい! お願いします!」
俺はトロールのおじさんに案内され、地下に向かう階段を下った。
ちょっと引っ掛かるのは、「豚が光を嫌う」というワード。
地球ではそんな話は聞いたことがない。
階段の先に広がっていたのは、スカルベルのトンネルとは違う巨大な空間。
とはいえ、真っ暗闇なので何も見えない。
奥の方から生き物の声はするのだが、状況が状況なのでちょっと不気味だ。
「光は厳禁である。しかし、君は見えないであろう。だからこれを使うのである」
トロールのおじさんが渡して来たのは、魔法の眼鏡だった。
それを掛けた瞬間、視界は開け、しっかり色まで識別できた。
会場に居たのは、たくさんの豚──しかし、眼の無い豚だ!
体長は地球のそれと変わらないが、眼球のあるべき所が完全にのっぺらぼう。
その代わりに、鼻と耳がかなりデカい。
「これは『目無し豚』である。ここではその他に、『一つ目豚』も居る。食性は同じだが生活習慣の違いが肉質に影響している。『一つ目豚』にも感心はあるのだろうか?」
俺は即答した。
一つ目豚はその名の通り単眼なのだが、その一つがやけにデカかった。
顔面の真ん中に大きな眼球が一個、どーんとある感じ。
畜産会場で出会っていなかったら、モンスターだと思って逃げ出しただろう。
トロールおじさんの話では、目無し豚はあまり動かないので脂肪豊富、逆に一つ目豚は動くので風味が強い、とのこと。
「この二種、ちょっと味見とかって出来ないですか?」
「とんでもない事である! 彼らの前で彼らを殺せないのである。目が見えない代わりに、彼らは超共鳴感覚を持っている。ここでそんな事をすれば、暴れ出した彼らを鎮めるのに数日かかるであろう。もし食べたいなら、上のブースに出店している屋台に行くべきである!」
まさか豚が超能力を持っているとは思わなかったのである。
やはり、この世界の生き物はどこそこモンスターなのであろうか?
「実は俺、やがて飲食店を開こうと思っているのである──あ、いや、失礼。思っているんですね。その場合、肉も必要なのですが主に豚骨が欲しいんです。だから、それを専門に譲って頂くことは出来ますか?」
「──本当に、飲食業なのであろうか? そんな物を欲しがるのは、魔術師だけである。けれども、売ってはならないというルールは無いのであるから、売るのである」
俺はとりあえず、それぞれ十キロずつを買った。
値段で言うと、地球で買うのと同じか若干高い。
魔術師の呪術素材と競合するらしく、その所為だろう。
魔法の箱に入れられたそれは、ふわふわと空中を漂うと、やがてすっ飛ぶように進んで行った。俺の暮らすプトの家まで、このまま届けてくれるようだ。
持ち歩かなくて済むので、「魔法って素晴らしいなあ」と改めて実感させられた。
ようやく、豚骨が手に入った!
この嬉しさは本当にひとしおだった。
エルタファー時代、どんなに探してもなかったものが見つかった。
かつては雲をつかむようだったラーメンが、もう手の届くところにある──
それは自分が着実に進んでいることを実感させていた。
この後、帰宅した俺は様々な試作を行う訳だが、その前にトロールおじさんが言っていた肉の屋台を紹介したい。
おじさんは上にあると言ったが、実はそれはドームの外だった。
最初にドームに近付いたとき、その周辺で焼き肉の匂いがするなとは思っていたのだが、それだったのだ。
なんと屋台は、二台の機械馬に引かせた馬車だった。
人が乗る部分が、いわば移動式の厨房になっており、そこでは魔法のコンロで焼かれた肉の串焼きが売られていた。
俺は目無し豚と一つ目豚の両方を注文した。
差し出された串を受け取って見ると、何とも食欲をそそる肉々しいの香り。
肉質の違いだろう、色も若干異なっている。
目無し豚は柔らかい肉質で、ジューシー!
脂も甘みを感じ、実に美味い。
反対に一つ目豚は、しっかりとした噛み応えだが味わいが深い!
まるでジビエのイノシシみたいな、独特の風味もある。
これら二種の豚骨から、一体どんなスープが出来るのだろう──
俺は胸の高鳴りを感じつつ、更に串焼きをお代わりしたのだった。




