3 ミシュリーヌ
ゼノンの話では一番近いゴブリンの里でも、歩けば二日以上掛かるとのことだった。
持っていた魔法の地図で場所は解ったものの、問題は移動の手段だった。
「扉屋、というのが向こうにもあれば良いんですけどねえ」とゼノン。
「それは何です?」と俺。
「私がエルタファーからの移動でやったことを、有償で提供する限定的な魔法屋ですよ。この街にはたくさんあるのですが、たしかゴブリンの里には無い。ですから、行きは良いけれども帰って来られないという事です」
なるほど。
他の長距離移動の手段については、調べてみる必要がありそうだった。
礼を述べて研究室を出、大学からの帰り道を歩いているときだった。
石畳の通りの向こうから、近付いて来る人物が居た。
それは灰色の髪、長い尻尾の猫人族の女性だった。
履いている高いヒールが、カツン、カツンと音を立てていた。
「こんにちは」
俺の前でぴたりと止まって、女性は言った。
「──こんにちは」
とりあえず礼儀としてそう挨拶を返した。通り過ぎようとすると、彼女が道を塞いだ。
そして、小さな鞄の中から黒い水晶玉を取り出した。
──霊感商法の勧誘か?
一瞬、地球的な知識でそう思った。
彼女はそれを俺の前にかざしながら言った。
「私はエルタニア・グローム放送の局員、ミシュリーヌと申します。以後、お見知りおきを。
──ところであなた、異人さんですよね? しかも、あのエルタファー内戦から逃れ、都市国家政府から市民権も与えられた。
別の世界から来訪し、この都市に迎えられたその特異な立場からご意見を頂けませんか?」
俺は驚いた。
この都市には、何かマスコミみたいな物があるようだ。
彼女は俺の動きに合わせて、水晶玉の位置を微妙に動かしていた。
普段は勘の鈍い俺だが、さすがに気が付いた。
「──もしかして、それ、撮影してます?」
「勿論です。エルタニア市民の中には様々な意見がある。例えば難民受け入れについても、その是非を巡って議論があります。それが異人ともなれば尚更でしょう? それで──あなたの意見は?」
正直な話、とても面倒に感じた。
報道の自由か何か知らないが、俺にもプライバシーはある筈だ。
無視をして行こうとすると、ミシュリーヌと名乗った猫人は執拗に追って来た。
ヒールでは追い付けまいと思ってダッシュしたら、簡単に撒けたので良かったが、今後もこういう連中に追われると思うと嫌な気分になった。
家に帰った俺は、さっきの出来事をプトに話した。
俺の疑問に答えて、彼女は言った。
「グローム放送というのは、エルタニア最大の放送局よ。各家庭にある水晶玉で、流れて来る映像を見るの。ちなみに、ウチにもあるけど──」
プトはそう言い、部屋の隅に置かれていた水晶玉を起動した。
(前から置いてあるのは知っていたが、使い道までは知らなかった)
瞬時に音と光が飛び出し、部屋の真ん中に人物が立体となって現れる。
それはついさっき見た、あのミシュリーヌその人だった。
彼女はデスクに向かっていて、真面目腐った顔でエルタニアで起った数々のニュースを読み上げ始めた。
「この人だ!」俺は言った。「いきなり撮られたんだ」
「え、そうなの?」プトが言った。
「君、大変な人に目を付けられちゃったね。彼女、この業界のトップの一人よ?」
俺はかなりヒヤヒヤした。
もしかしてさっきの映像が勝手に流される──それを心配したのだ。
けれども、さすがにそんな事はなく、ニュース番組はそのまま終わった。
俺は安堵したが、実はミシュリーヌとの関係はこれで終わらず、どんどんヤバい方向へ進んで行くのである──
翌日、俺とプトは連れ立ってゴブリンの里へ行くことにした。
彼女は新しい職場として更に大きな魔動機を操って、巨大な魔動戦艦を作る造船所に就職が決まっていた。だから、二人っきりの旅行はしばらく出来なくなるので、存分に楽しもうと話していた。
彼女が俺を連れて行ったのは、エルタニアの中心街にあるちょっとした空地だった。
周囲に薄桃色の建物が立ち並ぶ中、そこだけ妙にぽっかりと何も無い。
これはどういう場所なのだろうと思っていると、プトはそこに立っていたドワーフの係員に金を払うのが見えた。
「ねえプト。これって扉屋の一種?」
するとプトはふふっと笑い、
「まあ見てて」と言う。
しばらく待っていると、背の高いレンガ造りの建物の間を縫って、何かが飛んで来る!
──ま、まさか、ドラゴン?
俺はビビりまくった。
エルタファーでドラゴンが鼻先をかすめてから、空を飛ぶものに対する一種の恐怖心が芽生えていた。
それはぐんぐんと近付き、徐々に大きくなって行く──
ガシャン、という音と共に空地に降り立ったのは、なんと大きな機械鳥!
以前ゼノンがエルタファーで使っていたようなのを、巨大化させたそれだった。
「驚いた? これに乗って行くんだよ?」
ニンマリとプトが笑う。
「マ、マジかよ!」
俺は再び、ビビりまくったのだった。




