自由市民編 1
俺がエルガント大陸最大の工業都市エルタニアに住処を持ったのは、なんとドアをくぐった一ヶ月後だった。
その間、実にたくさんの問題が起こりまくった。
まず、俺とプトは着いた途端、拘束された。
ゼノンがドアの向こうに選んだのは、いわゆる地球だと入国管理局のような所。
俺たちと同じようなたくさんの難民が列を作る中、いざ順番が来てみると、「はい、別室行き!」。
俺の理由は「異人」だから。
そしてプトの理由は「軍籍からの逃亡」を疑われたからだ。
(ゼノンは魔法学士の資格を持っていたので、顔パスだった!)
プトの疑いはすぐに晴れたので良かったが、俺はそうは行かなかった。
エルタファーとは違ってエルタニアは人権意識が高く、法律と魔法による管理がしっかりした都市国家なのだが、それが逆に仇となった。
つまり、そもそもこの世界の種族でない異人に権利はあるのか? という訳だ。
俺は小さな個室に閉じ込められた。
そこにエルフやトロールの何だか偉そうな人達がたくさんやって来て、ひたすらに質問攻めにされた。
後になって解ったが、このとき彼らの意見は割れていた。
紛争地域であるエルタファーから逃れてきた以上、難民として認定すべきだという論者。
そして、ホモ・サピエンスがどういった有害性、または非社会性を持つのか解らないのだから、権利は無いものとして都市国家が管理すべきという論者。
なんとも恐ろしいことに、俺はもう少しで一生牢屋に閉じ込められるか、あるいは新しい魔法の実験台か何かにされるところだったのだ!
しかし結局彼らは俺を難民と認定、やがて自由市民権を与えた。
この裏ではゼノンの口添えとプトの弁護があったようで、二人には本当に感謝しかない。
ただこの一ヶ月の間に、本当に良いことが一つあった。
イスハークが逮捕されたのだ。
奴は内乱が起こると、自分だけさっさとエルタニアに逃亡した。
けれども、エルタファーで指名手配され、続いてエルタニアの都市憲兵が潜伏していたのを発見、とっ捕まえられた。
罪状ははっきり公開されていないが、噂によるとオーク族王太子の暗殺未遂・ほう助。
イスハークは俺が思っていた以上に、ヤバい奴だった訳だ。
これはゼノンの推測だが、イスハークはオークの王族にパイプがあり、それは奴隷推進派だった。彼らから便宜と見返りを得るのを条件に暗殺に関わったが、失敗。事態が内乱に発展すると見るや逃げ出したのではないか──とのことだった。
もし俺が拘束されなかったら、どこかで奴と出会っていたかも知れない──
それを考えるとき、この一ヶ月はむしろ必要だったと思った。
晴れて入国管理局を出たときの事は本当に忘れられない。
目の前に広がるのは、エルタファーとは全く違う景色!
薄桃色のレンガを積み上げて出来た、背の高い幾つもの建物。
天を衝くような朱色の塔があちこちにそびえ立っている。
大きな敷石の道路はどこまでも続き、目立つのは点々とある白いドーム。雰囲気から、宗教施設だろうと思われた。
「──出所、おめでとう。ジュンイチ」
出迎えに来てくれたプトは、全く違う雰囲気だった。
着ている服がエルタファー風のものと変わったからだろうか?
ぐっと大人びた様子で、魅力的だった。
「会えて嬉しいよ、プト」
俺は彼女を抱きしめた。
恐れるものは無くなり、本当に自由になった──
その嬉しさも相まって、俺は幸せな気分を噛み締めていた。
「──食べ歩きしよ? ジュンイチが喜ぶと思って、色々調べたんだ」
石畳の通りを一緒に歩いていると、プトが言った。
「マジで! それはめちゃめちゃ嬉しい」
俺はテンションがあがった。
勾留生活の間、俺に出されていた食事は蒸かしたゴボウイモ(ウムタロ)と、水のようなスープ、そして膨らみのない平らなパン(カルプ)だった。
(一体俺は、何度奴隷みたいな経験をすればいいんだ!)
まともな食事──そして珍しい料理に飢えていたのだった。
「君、前にさ、メーンの話をしてたでしょ?」プトが言う。
「メーン? えっと、何の話だっけ?」
「え、忘れたの? 将来、細長いメーンをハーシーで食べる、スープの料理店を出したいって──」
「ああ、麺ね! うん、確かに言った」
「実は、それっぽい物を見つけたの。どう? 興味ない?」
なんと! エルタニアには麺料理があるらしい!
俺は嬉しさのあまりプトの手を握ると、先導して道を進んで行った。
(当然、方向が間違っていたのでたしなめられた)
その料理店は桃色レンガ街の一角にあって、とても小ぢんまりとしていた。
建物の一階部分をテナントにし、外には手書きの看板で「グーマ」とある。
どうやら、これが料理名らしい。
店内は外と違って総板張り。
林か森の中にいるような不思議な雰囲気がある。
店主は俺がこの世界に来て初めて見るゴブリン族。辺りを見回しても、同族の客が多かった。
無骨な木のテーブルに着き、メニューを探すが見当たらない。
「ここは基本、グーマしかないんだ」
プトは言い、厨房の奥に向かって二人前を頼んだ。
緑色の肌をした店主によって運ばれて来たのは、やや平たい丸皿に入った透き通るようなスープ。カトラリーは箸ではなく、先の曲がったような独特のフォークだった。
正直、具は何も載っていない。
皿の中に見えるのはやや黄味掛かったスープだけだ。
立ち上る湯気を吸い込むと、ほのかだが懐かしい香りがした。
ただ、何故そう感じたのか上手く説明は出来なかった。
「これ、麺入ってる?」
「ちゃんとメーンだよ? フォークを入れて見て」とプトが言う。
試しに突っ込んでみると──
ああ、そういう事か!
パスタでも食べるときのように、クルクル巻くと確かに何かが絡み付いた。
スープとほぼ同色の透き通る麺だった。
適当な分量を絡めると、俺はそれを口に運んだ。
ゼリー、またはコンニャク──それにタピオカを足したようなプルプル食感。
麺が良くスープを吸っていて、口の中が瑞々しい!
これはかなり面白い食べ物だ。
スープの味はかなりシンプルだが、ほのかな旨味が感じられる。
これは一体、何だろう──?
「さあジュンイチ。何のメーンでしょう?」
プトが含み笑いをしながら俺を見た。
正直、全く想像が付かなかった。
そういえば唐揚げを作る過程で、ゴボウイモ(ウムタロ)はイモなのだから、すり潰して水にさらせば澱粉だけを抽出できるのでは、と思っていた。
つまり、ウムタロの片栗粉だ。
しかし、片栗粉だけではこんな食感にならないだろう──
俺が頭を悩ませていると、プトは店内の一点を指差した。
「可哀そうだから教えてあげる。あの絵がヒントよ」
プトの指の先には、額に入れられた一枚の絵があった。
それはゴブリン族の伝統的生活を描いたもので、幾人ものゴブリンが生け捕りにした生き物を取り囲んでいる様子が描かれていた。
──その取り囲まれた生き物。
なんと、不定形の粘液生物、スライムだったのだ。




