下級市民編 1⃣
先に断っておくと、俺はイスハークのもとで約一年半働くことになる。
そして、最終的に決別する。
その一年半の間に様々なことがあったが、それを事細かく語ることは避ける。
ただその期間に俺が作って流行らせた料理、そしてラーメン成立を目指して何をやったか、何故イスハークと決別に至るのかにのみ重点をおいて語ることにする。
正直に言うと、領事館に比べ仕事は抜群に楽しかった。けれど、同時にあまり思い出したくないことでもあるんだ。
俺がまず任されたのは、例の「パラメル」だった。
「パラメル」は小規模な店なのにやって来る客は本当に大金持ち。
まるで種族差別でもしているみたいにエルフ族御用達だった。
完全予約制で、決まった時間になると幾つもの浮遊輿が店の前に止まり、中から美しく着飾った人々が下りて来る。
彼らはこのパラメルでの食事を一種のステイタスと考えていて、なんと一回の食事会に二、三万オルタル平気で使う! (日本円にして約四~六十万!)
こういうのが、一日最低一回、多いときで三回くらいあったりする。
この金額をコンスタントに売り上げるなら、俺にポンっと三十万オルタルを出すのも頷ける。
しかもイスハークはこんなのを七店舗もやっている訳だから、実は余裕で自由市民になれるくらいの金持ちだった訳だ。(──手付金、ちょっと吹っ掛けても良かったかも)
残り半分の三十万オルタルは、一週間後にすぐもらえた。
俺は仕事が終った後でプトの元へ行き、ゲロッピとの交渉にも付き合った。
(ムカついたのはゲロッピにとってプトは取り換えの利かない人材だったらしく、かなりごちゃごちゃ嫌味を言われた!)
俺は一日だけ、彼女を家に招待した。
イスハークが用意してくれた賃貸物件は三部屋もあり、正直持て余していた俺は、そのままプトに使ってもらっても良かった。
けれど、プトは「それは違うだろ!」と言い、すぐに自分の部屋を見つけた。ただそのプトが泊まった日は、まるで領事館の他種族用宿舎で過ごした日々が続いているみたいで俺は嬉しかった。
エルフたちに出した餃子は概ね好評だったが、改良の必要があった。
彼らは魚醤を下々の者達が使う臭い物との認識で、隠し味程度に使うには喜んでくれるが、旨味増強に使い過ぎるとあまり好まれなかった。
とりあえず塩を利かせる餃子はかなりウケたが、何か偽物を作っているような感覚で心苦しい。
俺はそのことをイスハークに相談した。
彼はしばらく考えた後、こう言った。
「じゃあ、とりあえず別の店行くか? 一応、オーク御用達って店も持ってんだ。オークはニオイの強い物や味の濃い物を好む。現状の調味料が連中向きなら、そっちをやれば良い。
──いや、それだと今君の味を求めてるエルフが離れちまう。
そうだ! いっそ隔日にしよう。
一週間の内、半分は『パラメル』で、もう半分をオークの為の『パンニャ』で働くんだ。
安心しろ。両方で売り上げが増えたら、その分ちゃーんとボーナスをやるからよ!」
俺はメチャクチャ忙しくなった。(いっそ相談しなければ良かった!)
イスハークは地球の日本で言えば「昭和のオヤジ気質」で、よく言って豪快、悪く言うとブッ飛んでいた。
ただイスハークの言った通り、オークの金持ちに対して魚醤を利かせまくった餃子は大ブームを巻き起こした!
彼らは人間系に近い為、本来ならポタメアはイケるのだが、やっぱり肉を好む。
そこで鳥皮餃子を出す訳だが、これが売れに売れた。
この辺りで完全に魚醤の小瓶は無くなってしまい、俺は焦った。
自分が壺で作ろうとしたものは、使えるレベルになるにはまだ四ヶ月は必要だった。
けれど、さすが高級料理店。
俺には食材調達と予算の裁量権があったので、ダダ・ハーの飲食店から壺をたくさん買い取ったのと、以前聞いた「発酵を促進させる魔法」をやってみた。
ギルドの魔術師が一瞬で数か月分の発酵を進めたときはホントに驚いたが、請求された金額はかなり割高。面白くはあったが飲食店のおじさんが言っていた通り、「お金の無駄」だと思った。
俺は醤油を渇望した。
ラーメンに限らず、日本の料理を作り出すには醤油が必須だ。
俺はヒントを求めて、以前地球の先輩たちとやったように高い店から安い店まで食べ歩きをやった。
相手に誘ったのはプトだった。
プトは持ち前の魔動機の操縦技術を活かして建設技師になり、忙しく働いていた。宿舎でのように毎日顔を合わせることはなかったが、それでも週一、二くらいで会って、互いの近況を報告していた。
この日来ていたのは、やや庶民的な両頭牛のステーキ屋。
店は肉の脂が充満し、それが幾重にも壁に染みを作っていたが味は抜群だった。
地球で水牛やバッファローを食べた経験はないが、きっとこんな感じかも知れないと思わせる野性的な味! 肉本来の味が強く、脂も溶けるようだった。
(この時点では肉の状態しか見ていないが、両頭牛は名前のとおり頭が前後に二つある。正直、どうやって排泄をしているのか謎の生物)
このステーキには、面白い香味野菜が添えられていた。
本当に小さなリンゴをくし切りにしたものなのだが、なんとネギやニンニクに似た香りがある! このネギリンゴは「アプリム」という名前らしく、ラーメンにもほぼ必須の食材だった。
かなり庶民的な食材なのでオークの上流階級にも出回らず、これは即使えると思った。
二人でがつがつステーキを食べたあと、俺はプトの近況を聞いた。
「仕事はどう? 上手くいっている?」
「うん! 楽しいよ。前にゲロッピの畑で魔動機を見たでしょ? 今の現場では、あれの何倍もあるのを動かしているんだ。何より、給与が高いのがホントに嬉しい!」
ケロリンに「プトのことが好きか」と問われて以来、俺は彼女のことを徐々に意識するようになっていた。
彼女の快活な性格や、少し怒りっぽいところも含めてそれが可愛らしかった。(ケロリンの奴「趣味が悪い」とか言いやがって!)
けれど、俺はその気持ちを心に仕舞った。
お金を貸している関係上、彼女は負い目を感じている筈だった。
今口に出せば、まるでそれに付け込んでいる──
本当にプトを買ったことになってしまう──そんな気がして嫌だった。
いや、もしかしたら、彼女との良い関係が言葉によって壊れてしまう──
単にそれが恐ろしかっただけかも知れない。
「──実はもっと勉強がしたくて。だから、図書館に通ってるの」
プトが言った。
「図書館? そんなものあるの?」
「うん。下級市民にはそれなりの自由が与えられるでしょ? 図書館への出入りもそれに含まれてる。確か料理の本とかもあったと思うよ」
なるほど! その手があったか!
「ありがとう、プト! やっぱり君は俺の先生だ!」
「何なの、いきなり。驚かさないで!」
そう言いつつ、彼女は笑っていた。
プトから聞いたこの図書館こそ、ラーメンに繋がる重要な発見の舞台となるのである──




