㉓ 誤解と和解
一万オルタル金貨にはオークの王族の横顔が掘られている。
俺の目の前には発行年代によって異なる幾つもの顔が三十人。
みな威厳を示すように口を開け、鋭い牙を剥き出しにしてた。
「どうした? 噛んで本物か調べたりしないのか? ま、俺だったら──オークの王様とキスなんざしたかないがね?」
イスハークは笑い、酒を注いでまた飲み干した。
そして移籍について簡単に説明した。
話をまとめると、次のようになる。
エルタファーは奴隷制にも代表されるように、厳しい身分階級社会。そのレベルによって就ける仕事が限られる。例えばスカルベルの飼育係りは奴隷でも出来るが、責任者にはなれない。
同じように、調理の下働きは奴隷にも可能だが店舗の責任者や料理長にはなれない。
自由に上位の仕事に就こうとすればするほど自分の身分を上げる必要がある。
奴隷には単なる奴隷と、上位奴隷の二種類があるが、主人から自分を買い戻した場合は一足飛びに「市民」になれる。
とはいえ、それは「下級市民」と呼ばれ高位の「自由市民」には程遠い。
けれども店を開いたり経営したりといった意味では下級でも充分で、イスハークも「お金の無駄」だから自由市民への申請はしていないという。
(ちなみに、ケロリンは下級市民で責任者!)
「君が奴隷の身分にあるってのは三人の蛙から聞いた。俺が望んでる人材は奴隷の身分では務まらないから、まずは自分を買い戻せ。下級市民って言葉は聞こえは悪いが、平均給与はまるで違う。奴隷と比べたら四、五倍か? そう考えると、まるで馬鹿みたいだろ?」
俺は「一晩考えさせて欲しい」と言った。
──いや、本当をいえば、ほとんど心は決まっていた。
スカルベルの飼育係をあと六年も続ける──そんな未来はご免だった。
まとまった金が手に入るとすれば、自分の店の夢も膨らむ。
ただ、この時点でラーメンを作れる土台は一切整っていなかった。
それよりも金によって自分の周りの人に恩返し出来るのでは、と思った。
イスハークが用意してくれた輿で領事館に戻り、俺はケロリンを呼んだ。
まずこの話をすべきなのは、やっぱり同僚(上司?)であり友人のケロリンだと思った。
「残念! せっかく仲間できたと思った! ──だけど、タナカ、料理してる方が良い。お前の作るギョーザの店、期待してる!」
ケロリンはそう言った。
俺が目指すのは餃子の店ではないのだが、その言葉にはかなりグッと来た。
事が事だけに、今はゲロッピにバレないよう内緒にしておいて欲しいと伝えた。
俺は他種族用の宿舎に戻った。
自分を買い戻した後に手に入る三十万オルタル。
俺はそれをプトの為に使おうと考えていた。
彼女の協力がなかったら、餃子による成功も無かっただろう。
プトと二人で奴隷を脱する──それはとても良いアイデアに思われた。
彼女は俺がスカウトを受けた話を喜んだ。
奴隷を脱し、上位の職に就けるかも知れないこと、大金が得られること──
しかし話があとで手に入る三十万オルタルの使い道に及んだとき、態度が変わった。
牙を向いて怒り、「見損なった!」と怒鳴った。
手近な枕を俺にぶつけ、部屋を歩み去ってしまった。
俺は訳が解らなかった。
結局、その日プトは戻らず、次の日になっても姿を見せなかった。
領事館で働く蛙の一人によれば、農園の仕事にはしっかり出ている、とのことだった。
俺の移籍は、とんとん拍子に進んだ。
「パラメル」で正式な契約を結び、そこで得た金を持ってゲロッピのところへ行く。
俺はきっと何か嫌味の一つでも言い出すのでは? と思っていたがゲロッピ的には、俺は取り換えの利く人材だったのだろう。差し出された三十万オルタルを目にした途端、やけに優しくなって敬語まで使いだした。
これにはムカつきを通り越して呆れたが、下級でもこれからは市民な訳で、奴が持っている最低限の良心だったのかも知れない。
それにしても、プトだ。
このままここを去る訳にはいかない。
俺はスカルベルの餌遣りをするケロリンの最後の手伝いをしながら、相談した。
「タナカ、あの女が好きなのか?」
ケロリンは言った。「お前、女の趣味悪い! だけど、そんな欲しいなら、買えばいい。下級市民、奴隷持つ権利ある!」
──全てが解った。
プトは、俺に買われると思ったのだ。
勿論そんなつもりはなかった。
なんとか誤解を解かなければと思った。
プトの働く農園は、エルタファーの南西地区サラン・タントだった。
牧歌的な風景だが痩せた土地で、背の低い捻じれた木が農道を埋めていた。
ゲロッピが所有する広大な畑で、プトは四本足の魔動耕作機を動かしていた。
それはちょっとした牛か象くらいあり、土地に含まれるマダに働きかけて耕起を行うものだった。
近付いて行って声を掛けると、プトは露骨に無視をした。
それでも何度か「ちょっと話そう」と言うと、「話したくない」とのこと。
俺は畑の端に座り、彼女が休憩するのを待った。
別に食べ物で気を惹くつもりはなかったが、ポタメアの餃子を急遽作って持って来ていた。
働く彼女の後ろ姿を見ていて、俺はプトの知られざる一面を知った。
両手の中の小さな呪具で、例の魔動耕作機を自在に操っているのだ。
その動かし方はとても一朝一夕で出来るものではなく、俺は何となく奴隷になる前に身に着けたスキルだろうか? と思った。
やがて彼女が休憩しようとしたので、俺は再び声を掛けた。
「聞いてくれ、プト。君は誤解してる。俺は君を自分の奴隷にしたいんじゃない。一緒に下級市民になろう、と言っているんだ」
それを聞いたプトは、驚いたような困惑したような表情をした。
しばらく沈黙したあと、言った。
「──それはそれで、君に悪いよ。そんな大金は受け取れない。君にはやりたいことがあるんだろ? それはいいの?」
「勿論やるつもりだ。けれど、これはまた別だ。俺は恩返しもしたいんだ」
「以前言っただろ? 私は誰かに金の貸しを作りたくない。そういうのは嫌なんだ」
「──プト。俺は君にこの世界のことを教わった。だから一種の先生みたいに思って尊敬してる。だけど、これだけはハッキリ言わせてくれ。
その考えは間違ってる。
君はそう言いながら、未だにあのゲロッピに貸しを作り続けてる。同じ貸しを作るなら、相手は選んだ方が良い。──違うかい?
俺だって、早く自分の店が持てるなら早い方が良いさ。けれど、だからこそ下級市民なんだ。受け売りだけど、奴隷と比べて給与は四、五倍も違うという。プトが金を返したいなら、それこそ下級市民になって返すべきなんだ。
このままの奴隷で終らない──そう教えてくれたのは他ならぬプトだろう?」
俺は言い、餃子の入った箱を差し出した。
「ほら! わざわざ君の為に作ったんだ。貸しを作りたくないなら、食べてもらうぞ?」
「──ありがとう」
プトが唐突に俺に抱き付いた。
びっくりして、危うく箱を落とすところだった。
「絶対に返す。──約束するよ」
泣きそうな声でプトは言った。
俺は若干ドギマギしながら、それでも誤解が解けたことが嬉しかった。
実は相当腹が減っていたのだろうか、プトはがつがつと餃子を食べた。
やはり誰かが美味しそうに食べてくれるのは良いもので、見ているだけで幸せな気分になった。
──後になって振り返ったとき、今でも俺はこの選択を間違っていなかったと思う。
ただ、俺はあまりにもイスハークのことを解っていなかった為に、プトに対して本当に申し訳ないと後悔することになるのだ──




