㉑ 変化の前夜
スカルベル酒はグロい。
無骨な酒瓶の中に小さな外殻がいくつも投入され、ぷかぷか浮いている。
ダシでも出るのか液体は薄茶色。
下の方には若干の澱も溜まっていた。
(後で知るが、これはあのゴボウ・イモの蒸留酒で元は無色透明。しっかりゴボウ臭い!)
酒を注ぎに行く係りは三人衆の一人だったが、彼は前菜の係りでもあった。
そしてあろうことか、まだ終っていなかった。
俺はお酌を買って出た。ただこちらの世界の具体的な作法は何も知らない。
比較的あとで順番の来る主菜の蛙に声を掛け、一緒に注いで回ることにした。
酒を持って館内の宴会場へ向かう間、その主菜の蛙はぷるぷる震え、俺は酒をこぼすのではないかと思った。きっと宿敵に対する根源的な恐怖なのだろう。
俺は「客をかぼちゃだと思え」ならぬ、白菜・キャベツ・レタスの「ダルラだと思え」との地球流のアドバイスで励ました。
宴会場は館内の右翼にあった。
高い調度や絵画などが飾られているらしく、普段は俺の入室は許されていない。ただ欠かさず掃除はされるのでそのときにちらりと覗いたことはあった。
俺たちが入って行くと、室内には大きな長方形のテーブルがあり、そこに予約通りの十名の姿。
それ以外に二名のウロコ族が壁を背にして直立していた。
格好から、護衛だろうと思った。
俺の姿を見たゲロッピは、一瞬嫌そうな顔をした。
けれどもすぐさま営業用の顔に戻り、本日の主役と思われる、がっしりとした太いウロコの人物を腕を使って指し示す。彼から注げ、との指示だった。
身体とは不釣り合いなほど小さなグラスに酒を注ぎ、次のウロコに回ろうとしたときゲロッピが何度も腕を振った。どうも順番が違うらしい。
ゲロッピが示したのは、やや離れた席の人物だった。
それは身長の割りにがっしりとしたドワーフ族の中年男性。
周囲からの威圧感で、正直目に入っていなかった。
俺はちょっと意外だなと思いつつ手際よく酒を注いで回り、部屋を辞した。
蛙たちの作った料理の売れ行きは、あまり良くなかった。
口に合わないというよりも、漏れ聞こえる内容から会話が弾んでいない──つまり、プトが言ったように何らかの金が絡む商談が上手くいっていないようだった。
料理が売れない代わりに酒はどんどん出た。
俺は餃子の調理があるので、恐怖の舌打ちをする蛙たちに酒を持たせ、行ってもらった。
とりあえず「ダルラの理論」で励ましておいた。
スープまで出し終わったとき、俺は提案した。
スカルベル焼きと餃子を一緒に出そう、と。
特別それで何かが変わると思った訳ではなかった。
ただ料理を食わない客にコース形式で出すのが馬鹿らしく、いっそ一遍に終らせてこっちで賄いの餃子でも食おう、くらいの気持ちだった。
三人衆としてもウロコ族に何度も会うのが嫌らしく、意見が一致。
とはいえ、その方法は給仕に人数が必要になる。
俺は厨房の隣にある簡易食堂で、今か今かと餃子を待つケロリンを呼んだ。
あのトンネルで使う浮遊台車──あれを持ってきてくれるよう頼んだのだ。
以前から何か別の使い道があると思っていたが、俺もまさかのここだった。
餃子が焼き上がった。
蓋を開けると、鳥皮の焼ける良い匂い!
味見と称して口に運ぶと、じゅわっとした脂と肉の濃厚さが広がった。
やはり当たりだ!
偽紅玉鳥を半分加えたお陰でかなり食べやすい。とはいえ、地球の女性だったらやや重めに感じるかも知れない。
けれど、これを食べるのは肉食系の蛙とウロコ族。
ドワーフはどう感じるか未知数だが、特定種族向けの高級餃子と考えれば全然合格だ。
「──タナカ。ギョーザ」
たった一人味見をする俺に対し、恨めしそうにケロリンが言う。よく見ると、その後ろでプトも物欲しそうにこちらを見ていた。
俺は「運び終わったら必ず!」と約束し、浮遊台車に餃子の皿を載せて行く。
スカルベルも載せ、残りはプト・ケロリンも動員して人力で運んだ。
宴会場は、葬式会場だった。
あるいはヤクザの事務所である。
お互いの陣営からは一切の言葉はなく、殺気ではないが、何か近寄りがたい雰囲気が室内を包んでいた。
理解してもらえるかどうか解らないが、こんなとき俺にはスイッチがある。
たぶんそれぞれの職業ごとに似たようなものがあると思うが、俺の場合は「鉄面皮スイッチ」。
険悪ムードの客の間に割って入る場合や、ヤバそうな人に話し掛けるとき、このスイッチを押すと全てが可能なる。
とはいえ万能ではないので、最後は警察である。(地球なら)
「失礼します!」
俺は敢えて声を出し、場の空気を破った。
そして実に丁寧に、目上の客から順番に皿を置いて行った。
さすがに声一つで、何かが変わるとは俺も思ってはいない。
ただ、出された料理に手も付けない連中へのせめてものお気持ち表明だった。
全ての皿を並べ終わった。
やはり楽しみに待ってくれる人に作る方が嬉しい──そう思いながら部屋を出ようとしたとき、
「おお。美味い!」声がした。
見ると、それは例のドワーフだった。
彼は一つ目をもりもり食うと、続いて二個、三個と頬張った。
「これは高級食材の紅玉鳥ですよ、皆さん! 食べ物に罪はないのだから、いかがですか? 熱いうちが美味い!」
その言葉を切っ掛けに、皆が少しずつだが手を付け始めた。
俺はドワーフと目が合ったので軽く会釈し、退出した。
「タナカ! ギョーザ!」
「私も欲しいんだけど」
二人に催促されるまま、俺は餃子を焼いた。
いざ皆に振舞おうとして、予想外の事態が起った。
ゲロッピが猛ダッシュでやって来たのだ!
ヤバい! 偽紅玉鳥がバレた──?
息を切らせながら、ゲロッピは叫んだ。
「タナカ! さっきの、もっと出せ!」
「え? ──餃子を?」
「みんな、喜んで食べた! ぺろり! みんな、お代わり欲しがってる!」
運悪く──あるいは運良く、餃子はちょうど焼き上がって皿の上に移したところだった。
「それ! 出せ! 今すぐ!」
──こうして、ケロリンやプト、そして宿舎の蛙たちに用意した餃子は瞬く間に無くなってしまった。
さすがに全て出すのは申し訳なかったので一人二個ずつくらいは隠し、何とか振舞った。それでも俺への批判は凄まじかった。(食い物の恨み──というのだろうか)
途中、酒をお代わりを持って行くとそれなりに雰囲気が良くなっており、俺は切っ掛けを作ったドワーフのおじさんに密かに感謝した。
このときの俺は二つのことを知らなかった。
おじさんが俺の人生を開いてくれること──
そして、その正体について──




