⑫ 運命の試食
蛙用の宿舎は、他種族用宿舎の真反対にあり、一度外に出て庭を経由する別棟だった。
ケロリンを呼びに行く前、俺は一旦他種族用宿舎に戻り、ベッドサイドに皿を置いていた。
蛙の宿舎には領事館で働く八名前後が生活しており、彼らの余計な関心を惹くのは避けたかった。
「恩返し、嬉しい! ──だけど、アイツ居るんだろ?」
やはりケロリンは、他種族用宿舎に来るのを嫌がった。
プトに対しての恨みはかなり深いようだ。
しかし、ぐずぐずしてはいられない。折角の餃子が冷めてしまう!
俺は強硬手段に出る。
ケロリンの腕を引っつかみ、抱きかかえると、ダッシュで宿舎に向かった。
(お陰で二、三日身体から痒みが取れなかった)
部屋に戻ると、プトは俺のベッドに腰かけ、何か奇妙なものを見るように、しかしその匂いには関心があるように皿を凝視していた。
俺の腕の中でケロリンが露骨な舌打ちをする。
それを受けて、プトもケロリンを睨んだ。
実に嫌な雰囲気。
「まあまあ、二人とも! いがみ合っていては料理が不味くなる。今日のところは地球の珍しい料理である餃子に免じて──ほら!」
俺は二人に例のカトラリーを差し出した。
両者の対応は面白く、ケロリンは受け取って餃子をすくい、プトは受け取らず指で摘まみ上げた。
二人の間に訪れる、一瞬の戸惑い。
俺が初めてスカルベルを食べようとしたときの、まさにあれだ。
両者はまず匂いを嗅ぎ、その外観を舐めるように見て、再び鼻を近付ける。
きっとあらゆる生物が、食えるか食えないかを判断するとき、ごく自然に行うのだろう。
俺はちょっと誘い水を向ける。
「──熱い方が美味しいよ?」
まず、ケロリンが行った。
パクン、と一口だ。
丸飲みにされると味が伝わらないので、「ちゃんと噛んでね?」とアドバイス。
それを受けて、今度はプトが食べる。
恐る恐る、半分くらいを口に入れ、噛んだ。
ここから先は、俺が恐怖する時間。
地球のラーメン屋でもよく経験したものだ。
カウンター向こうの客が、「──ちょっと──味が」みたいなことを言うと、本当にドキリとする。普段はスープまで飲み干すお客が大量に残して帰ったときは、「今日の俺は何が駄目だったのだろう?」と仕事が終った後まで悩まされた。
一食ごとに行われる、無言の、しかし厳しいジャッジメント。
久々のヒリヒリ感が身体の奥から這い上って来る──
「ン、ぺッ」
ケロリンが舌打ちした。
何度も、聞いたことがある音だった。
美味いものを食べた喜びの音だ!
「うん、美味しい」プトが口元をほころばせ、言う。
ケロリンは俺が促すまでもなく、二個目、三個目を口に運ぶ。
もっちゃりもっちゃりと独特の咀嚼をし、飲み込んだ。
「タナカ、コレ、美味いぞ!」
ケロリンがケロケロ言う。
俺は安堵と共に、本当にやって良かったと思った。
プトは残っていたもう半分を飲み込み、そして指を舐める。
「初めて食べる味だけど、イケるよ! これ、何が入ってるの?」
「ああ、言ってなかったっけ? スカルベルだよ。地球の海老に似ていて、だから餃子に──」
プトの表情が、みるみる強張った。
眉が吊り上がり、口の中からは鋭い犬歯が覗いている。
「私にあんなモノを食べさせたのかッ!」
プトが低い唸り声をあげながら、俺ににじり寄る。
ケロリンがケロケロ笑った。
「そいつ馬鹿。お前と一緒で、口開けた。スカルベル、二匹入った!」
「誰が馬鹿だと! 貴様ッ!」
怒りの矛先がケロリンへと向く。
楽しい餃子パーティーが一気に修羅場だ!
プトの拳──それがケロリンに対して振りかぶられる。
が、さすがは蛙族。今回は跳ねるように避けた。
空を切った拳の反動でプトはベッドにぶつかり、皿が滑って餃子の幾つかが床に転がった。
俺はすんでのところで皿をキャッチ。
片腕でケロリンを抱きかかえると、「プト、ごめん! 悪気はなかった!」と叫びながら部屋を飛び出した。
途中、どのくらいまでプトが追って来たかは知らないが、蛙の宿舎に着いた頃にはその姿はなかった。
腕から下りたケロリンは俺を見上げ、
「な? 解っただろ。あいつ、嫌なヤツ」と言い、残った餃子を要求した。
ケロリンが気に入ってくれたことは素直に嬉しかったが、俺は複雑な気分だった。
あわよくば二人を仲直りさせたい──そう考えていたのに大失敗だ。
厨房に戻った俺は片付けをしながら、しかしもう半分で成功を喜んだ。
地球の料理は喜んでもらえる!
それは未だ小さく、ごく僅かだが、自分への自信に繋がるものだった。
久しぶりに味わった料理を作ることのスリルと喜び──
俺はその心地よい疲れを存分に味わい、片付けが終った後もしばらくそこで「ぼーっ」とした。
部屋に戻ると、明りこそ消えていたが、ベッドの周辺は綺麗に片付けられ、転がった餃子もなかった。
プトは寝てしまったのか、布団を被って丸まっている。
ふとベッドサイドを見ると、紙に一言、「悪かった」の文字。
俺は安堵の溜息をつき、ベッドへと入る。
このときの俺はまだ知らなかった。
むしろ、餃子を落としてくれたことに感謝しなければならなかった、と──




