奴隷編⑧ 奇跡の出会い
また赤い月の夜が来た。
俺が尿意をもよおして目覚めると、一つ向こうのベッドに寝ているプトの姿があった。
奴隷制のことに限らず、この世界のあらゆることを貪欲に知りたかった俺は、彼女ともっと話がしたかった。かといって、この領事館が所有する農園で一日働いた労働者を、そんな理由で叩き起こすのは気が引ける。
俺は音を立てずに部屋を出ると、トイレへと向かった。
領事館のトイレは、他種族用宿舎の近くにあった。
蛙用のトイレだから、さぞ適当だと思うかも知れないが、実は逆。この街はかなり水回りが整っている。
エルタファーをオーク族が占領する以前、ここには幻の種族・灰色エルフが暮らしていた。(ハイエルフではない事に注意!)
そのときに上下水道は完備され、無骨なオークたちが多少汚く使うようになっても、正常に機能し続けている。
俺が入ったトイレは、建物の外観と同じく真っ白な個室で、便器も純白。魔法の力によって、永遠の美化が約束された王族仕様。排泄されたものがどこへ向かうのか知らないが、直接山や谷に行っていないことは切に願うばかりだ。
用を足して個室を出、掛けられた鏡を覗いたとき、俺は自分の姿に驚いた。やつれた感じもそうなのだが、外見がやけに汚らしい。トンネルの中で半日程度は作業し、人懐っこい虫たちとの楽しい戯れを過ごしたままの、腐葉土まみれの服。手足にも微妙に汚れがあり、なんとなくスカルベルの粘液か何かだと予想が付いた。
(ゲロッピよ、替えの服くらい寄こせ)
そういえば、風呂に入っていない。
当たり前になり過ぎてよく解らないが、きっと体臭は酷いことになっているだろう。
俺に一つ、小さな目標が出来る。
今はそうやって、この苦境を打たれ越して行こうと思った。
翌朝、前日と似たような時間に木人先生はやって来た。
この日先生が持っていたのは、ちょっとした銅製の小鍋。
そしてテルテル坊主みたいな布袋。
先生は調理場を借りたいと言い、何やらしばらくして湯気の立つ鍋を片手に戻って来る。
俺は運命の出会いをした。
もう一人の地球人に出会った訳ではない。けれど、そのくらいの衝撃だ。
鍋の中でふつふつと音を立てるもの──それは粥だった!
米と比べると、若干黄色く、色だけでいえば雑穀のヒエだかアワに近い。
渡された木製のスプーンで持ち上げて見ると、穀物独特の甘い香りがし、食欲をそそる。
(スカルベルやゴボウ・イモには失礼だが、これこそが食べ物だ!)
俺は二、三回息を吹きかけ、口に運んだ。
舌が焼けるかと思うような熱さと共に、やさしく良い香り。噛んでみると芯を感じるようなモチ・プリとした歯ごたえ。シンプルな素材の甘みと、失った塩分補給の為か、しっかりとした塩味で素朴に美味い! 食べた感想としては米でなく、これは麦に近いものだと思った。
俺ががつがつ食べだしたので、木の先生はそれを押し留め、
「ユックリ ユックリ ダ! ケレド ヨウヤク 見ツカッタ オ前ニ 合ウ物ガ」
そしてメリメリ、バキバキと音を立てた。
それが彼の笑い声なのだと気付いたのは、かなり後になってである。
案の定、俺は気持ちが悪くなり、ただ吐き気に負けたくなかったので独り我慢大会をした。
心の中では、これはどういう食べ物で、どこで手に入れたのか聞きたかったが、それをすると多分吐いてしまう。
先生はまた水分補給兼・水薬を数本置き、
「明日モ 来ル 同ジ物ヲ 持ッテ来ルヨ」と去って行った。
吐き気の治まった昼過ぎ、またもケロリンが見舞いに来た。
何を思ったのか、お土産にスカルベルの切り取った脚を持っている。
「これで、元気になる」とか言うのだが、正直嫌がらせかと考える。
「ところでケロリン。俺、風呂に入りたいんだけどさ。ここって、無いの?」
「ん? あるよ。もう見たろ? 中庭」
ゲロッピの同類が、楽しそうにしていたあの沼──
「──いや、うん。解るよ。蛙用だよな? あの沼じゃなくて、ほら、もっと綺麗な水の──」
ケロリンは、「沼が汚い」という俺のニュアンスにしばらく舌打ち音を発した。
ただ言いたいことは解ったらしく、
「他の奴、街の浴場に行く。ここには無い」と言った。
どうやら、どこかに銭湯的な何かがあるらしい。ちょっと楽しみだが、今の体調での湯あたりは、ある意味致命的かも知れない。残念だが今日のところは、洗面器の湯とタオルで身体を拭くに留めた。
ゲロッピに服を要求したら新しいもの用意してくれたが、それは例のフレコンバッグみたいな材質で、着ていると繊維が刺さってチカチカした。
倦怠感やちょっとした頭痛、あるいは吐き気は、断続的に襲って来た。
ベッドで俺がそれに苦しんでいると、プトが覗き込み、体調を気遣ってくれた。
「君、心配されてるんだね」
ベッドの端に置いてある、切り取ったスカルベルの脚を見て彼女が言う。
「それ、蛙族のおまじないだよ。中に彼らの天敵である蛇が嫌う香草が入ってる。転じて、魔除けの意味があったはず──」
俺はまたじーんとした。
そして全快したら、大きくはなくとも何か恩返し的なことをしようと思った。




