雪解け水 1章の7
前回のあらすじ:父さんのせいで総合優勝もシードもどうなったか見逃したんだよなぁ
――大きい……
吹き抜けの高い天井。差し込む明るい光の下、行き交う人々。大人、子ども、お年寄り。車いすを開いて、看護師が杖をついた女性を座らせる。窓口では書類を持った人々が並んでいる。
ふと、制服を着た女性が「すみません! 忘れ物!!」と走り寄ってきた。慌てて道を開けると、車いすを押した男の人が振り返って照れながら笑って頭を下げる。アナウンスは休むことなく流れて、エレベーターは人々を運び続ける。まるで、大きな街の中に迷い込んだようだった。
「こっち……」
先を行く志歩が振り返って目を丸くする。直哉は、怯えた子犬のように立ち止まって震えていた。
「……大丈夫?」
歩みを戻してそっと触れない距離で志歩が囁く。首を振ったつもりが、錆びついたネジのように微かに動いただけだった。
「……無理……」
足が動かない。大きな病院とは聞いていたが、これほどとは思わなかった。エレベータ
ーがある病院なんて初めて見た。今通り過ぎた先生だって、タリーズのテイクアウトカップを持っていた。タリーズ? タリーズのある病院とかはじめて見たんだけど。
頭の中で巡る声がじわじわと汗をにじませる。志歩の紺色のコートの裾だけを視界に入れて、なんとか安全な場所を確保した気になっていた。
「君の側には僕がついてる。大丈夫」
現実逃避をはじめる直哉を志歩が促す。だけど、顔をあげられない。優しい言葉を期待した。
「今ここで帰ったら、また同じことの繰り返しだ。さぁ、行こう」
泣きそうになってしまった。自分と志歩の側を若い女性看護師たちが笑いながら通り過ぎる。情けない。これじゃあ病院が怖い子どもだ。
「直哉くん」
促されるように呼ばれてぐずぐずと渦が巻く。だって、藤田さんは強いじゃないか。人当たりも良いし、社交的だし、きっと自分なんかとは違う。同じ病気だなんだって言っても、元が違うんだ。だから……
訴えるように顔をあげた。志歩のまっすぐな目とぶつかる。
「直哉君、自分のせいにしない。怖いのは仕方ないし、君のせいじゃない。君と僕は違わない」
ぴたりと震えが止まった。驚いたのだ。思わず志歩の手を探したが、ちゃんと二つとも彼の身体の横にあった。ぽけっと口が開くと、志歩はくすりと笑った。
「まさか心を読んだと思った? 君の顔を見てればわかるよ」
その言葉に返事をする前に、志歩は懐かしいものを見るように優しく言ってくれた。
「僕も苦労したって言ったろ。大丈夫、行こう。僕の後ろを歩けば、そんなに人にぶつかることもないよ」
言い終わる前に半ば歩きだす。慌てて付いていくと、思ったより簡単に身体は動き出した。それでも志歩の一歩一歩の方が大きい。背の違いもあるだろうが、直哉にはそれが志歩の強さのように思えた。
――いいなぁ……
堂々と歩けて。自分も、こんなふうになれるのだろうか。こんなおかしな病気を克服して、志歩みたいに颯爽と人の間を渡ることができるのだろうか――できれば、なりたい。
志歩の後ろ姿が、うらやましかった。
続きます。今回はちょっと短いですが、確かこの後もっと短い回もあったはず笑。
大体原稿用紙2~5枚あたり、文字数でいえば1000~3000ぐらいを一回量と思ってますが、話の展開や当時書いてたときのスピードとかで変わってます。