雪解け水 最終章
前回のあらすじ:これから
「やっぱり、僕、湯沢先生たちと一緒にやってみようと思って……感受症候群の症状は現状消せないし、だったら、それを持ちながら自分にできることを探して見ようかなって」
直哉の言葉を画面の向こうのイーディは優しい顔で聞いていた。
「うん、良いと思う。志歩は?」
「応援してくれるって。君が進む道なら、僕もサポートするって」
イーディは嬉しそうに顔をほころばせた。彼女には伝えてないが志歩はもう一人サポートする人を作った。
千星。
彼女はもう一度、直哉に直接会いたいと言ってくれた。場所ははじめてあった公園。冬の木には春の兆しが少し見えていた。その木の下で千星は教えてくれた。
「……お兄ちゃんに、学校もう少しがんばれって言われたんです。僕もできることは応援するからって……」
千星のうるむ瞳もその表情も、待ち焦がれた陽の光を受けたような小さな喜びに満ちている。
「あ、でもお兄ちゃん、兄には迷惑をかけるつもりはありません。それはもう、私たちがやらなくちゃいけないことだから」
本当はそれを兄に直接言いたかったのだろう。だけど志歩はまだ妹と簡単に会う気にはなれなかったようだ。
「あー、だけど看護学校って結構キツイんですよ。お兄ちゃんにそんなこと言われたら絶対留年なんてできない……」
それとも案外そんなものだろうか。異性の兄妹だし、そもそも自分に兄弟はいないからあまりよくわからない。何が普通で、何が普通じゃないのか。でも、控えめに笑う千星に同じように笑顔を返していいと思った……。
思い出を辿りながら口を開く。千星と会う前、志歩から告げられた話。
「……だから志歩さんも、こっちに戻ってくるって。僕らと一緒にやってみるって。何の仕事につくとかは、もう一度考えてみるってことだけど……」
「え」
淡い目が驚きに見開かれる。イーディは画面に顔を近づけた。
「ホント? 志歩、戻ってきてくれるの?」
「う、うん。でもとにかくもう一度、ちゃんと考えたいって言ってたから、実際どうなるかわかんないけど、いちおう……」
「えぇ、嬉しいっ!」
イーディは喜びを爆発させた。少女のような振る舞いは、父と母がみたら驚くかもしれない。両親が語るイーディの姿は、かなりしっかりとした大人の女性という感じだった。でも、目の前にいる彼女はクラスの女子といった感じだ。
「あたし、やっぱり志歩に一緒にいてほしい。だって同じ病気の仲間だし、志歩が好きだから」
どきっとした。だけどイーディはお構いなく続けた。
「直哉も好き。それに川島先生も、湯沢先生も、ともるも……」
立て続けに伝えた瞳が下を向く。
「あたしはこの病気になって、あたしを支えてくれた人、出会った人を嫌ってない。でも、それは運が良かったというしかないんだよね」
花を愛でるような優しい笑顔だった。きっと、そんな風に彼女は幸福を探してきたのだろう。でも、その裏で彼女が抱えてきたものを直哉は知らない。知る必要はないけれど。 ふいに、イーディに会ってみたくなった。画面越しじゃなくて、直接。
「……イーディ、すぐにってわけじゃないけど、僕たちいつか、できるだけ近いうちに会ってみない? 志歩さんも、なんていうかわからないけど、良いって言ってくれたら連れてくるから」
春の花が咲く如く、頬が染まった。イーディは力強くうなづいた。
「うん! 会おう! 会いたい! あたしもそれまでにがんばるから」
直哉は笑って約束した。平日、朝。外は晴れ。冬はもう、次の季節に向かっていた。
「ちょっとさ、帰り、川に寄っててもいい?」
定期診察の帰り、志歩がそう言った。感受症候群のことを父と母が知ることとなって、保護者同伴の診察は一度すませた。今日志歩と一緒に来たのは、同じ感受症候群の人間の診察の日を合わせて来たというだけだ。隠し事はもうない。直哉は軽く答えた。
「川? いいですけど……あぁ、柿田川?」
「の、マイナーな方」
「へぇ。わかりました。いいですよ」
志歩は以前よりも砕けた口調で喋るようになった。直哉もそれに合わせて軽やかに答える。
もともと、記憶の中で見た志歩は、今の志歩よりもラフな感じがあった。それが本当の志歩だろうし、様々な出来事を経て、今隣にいる志歩も本当の彼だろう。
これから志歩の新しい姿を知る。志歩も、直哉の新しい姿を知るだろう。その過程の中で、うんざりする日も来るかもしれない。あるいは修復できないほどに道を違えることもあるかもしれない。それでも今、ここで同じ時間を共有していることに満たされている。
「うわ、すごい音」
「上の方とは流れが違うんだ」
病院がある街の隣には、短いけれど一級河川がある。観光名所になっている公園から少し下って志歩は小さな駐車場に車を止めた。有名なのは公園の方だが、こっちのほうが川が間近で見れておもしろいからということだった。急勾配の階段を降りて出迎えてくれた川は音を鳴らし、しぶきをあげ、春に移り変わる陽に輝いていた。
直哉は更に川べりに近づく。まだ冬草に囲まれてると思ったが、どことなく新しい芽も多い。
「もう冬も終わりですね」
「そうだね。だいぶ暖かくなってきたし」
その言葉を聞いて直哉は手袋を外した。これなら水に触れる。
「お……そんな冷たくない?」
首を傾げると、後ろから来た志歩が清流の音に負けないよう声を張って言った。
「この川、山の湧水含んでるから温度が一定なんだって。冬は意外と温かく感じるみたいだよ」
「へぇ」
頷いて水面に目をやる。澄んだ水は川底の砂の一つ一つまで姿をうつし出し、直哉の好奇心を引き起こした。
「え、入るの?」
志歩が驚いたので直哉は大きくうなづいた。
「だって、あんまりやる機会ないし」
靴を持ち上げて一緒に来るかと誘ったが、志歩は笑ったまま首を振った。直哉は一人で川の中に入った。
「あー! でもやっぱ冷たい!」
「転ばないでくれよ」
「でもこの川の水、すっごい綺麗!」
志歩は笑って腰を下ろした。直哉は驚くほど澄んだ水に、しばし冷たさも忘れて見入っていた。
背に当たる日差しが暖かい。夏はきっと、気持ち良いだろう。また夏に来てみたい。そのときは何が変わっているだろう。何も変わっていないかもしれないけど、またここに……ふいに、呼ばれた気がして振り向いた。
志歩は手袋を外し、右手だけを水の流れに晒していた。
「……父さんの意識、良くなっているって言われた」
まるで木漏れ日が揺れるように記憶が入れ替わって見える。自分と同じ年頃の志歩、今とそう変わらない志歩、志歩の父、母、千星さん……この場所に、志歩は昔も来ていた。
「そう言う話は聞いたことがある。感受症候群の人間は神経を直接刺激するから、医療的なアプローチも可能だろうって……」
画面越しの少年が笑う……ともるさん……彼が目指して見失った世界……音を成さない志歩の心の声が聞こえた。
もし、あのとき自分も一緒に行けば……ともるも……父さんも……
直哉は歩きだした。選ぶ道が違えば、今は変わっていたかもしれない。だけどそれは、ありもしない例え話だ。長い月日、閉じこもったままの雪は今、姿を変えて自分たちの間を流れていく。
志歩が少し顔をあげる。直哉は手を伸ばし、そっと触れて抱き寄せた。
声が聞こえる。雪解け水が流れていく。花は今、小さく芽吹いている。
〈了〉
これにて終りです!雪解け水、最後まで読んでくれた方々ありがとうございました!
今読むと、地味な話だなって思うんですが、そういう地味な、人によっては「大したことない」というものや簡単に捨てられるものを、そうじゃないんだとじっくり書いてみたかったんだなーと思います。
完成にまで3年かかりましたが、創作ではじめて「完結」という形を迎えたお話なのでこれからのお話作りへの課題含めて思い出深いお話です。
今は次のお話書いておりますので、またどこかであったらよろしくです!ではまた!




