雪解け水 5章の2
前回のあらすじ:夜を越える前の電話
息を呑む音が聞こえた。
「だってこのままじゃ……」
「村上さん、無理しないで。私たちは平気。だって、今までずっとそうだったんだし、今更戻ろうとちょっとでも期待したことが……」
「期待しちゃダメなんですか?」
千星の声が止まる。直哉は待たずに続けた。
「良くなろうって変わろうとすることが、そんなに悪いことだとは僕には思えない。でも志歩さんは……」
この部屋で初めて本当のことを告げた日を思いだす。あのとき志歩は、閉じこもっていた自分に力を貸すと言ってくれた。立ち止まるのではなく、少しでも前に進むように背中を押してくれた。
でも今は、変わらないことを願っている。ずっとこのまま、降り積もり静かに整えられた世界の中で生きていくこと願っている。自分は違う。その先の世界を見たい。
千星はしばらく黙って、そして殊更優しく言った。
「……変わりたくない人の気持ちもあると思うの……」
どちらに寄り添っているのかわからない言い方だった。直哉は小さく頭を振り払った。
「……わかってます」
わかってない。自分でもそう思う。だからこんな駄々をこねるのだ。手を離せば行ってしまいそうな志歩の心をなんとか繋ぎ止めるための浅い言葉だ。幼い自分を認めるのが怖い。千星は返事をしない。きっと、自分に話してしまったことを後悔してるだろう。
「……いいなぁ」
「え?」
直哉が聞き返すと千星は小さく笑った。
「村上さん、すごく真っ直ぐでうらやましい。あたしはこういうとき、負けちゃうし、負けている。お兄ちゃんに、自分の気持ちを伝えるのが怖い」
「それは僕だって……」
自分を低く評価する千星につられて言いかける。けれど、千星は直哉の言葉を待たず話した。
「ううん、あなたは違う。だってあたし、村上さんの着信履歴、消せなかった……」
言われてはたと気づく。
「お兄ちゃんに会わない覚悟は出来てるって言ったくせに、心のどこかで期待してた。お兄ちゃんに今、一番近い村上さんの電話番号……。会わないって、会っちゃダメだって、そう思っても、どうしても消せなかった……」
携帯を持つ手を意識する。千星の気持ちはもうわかってる。ただ、こうすることでその心が味わってきた孤独や寂しさが見える気がした。
「……志歩さんに、会いたいですよね」
千星は鼻をぐずらせた。
「許してくれるならね。お兄ちゃんが、あたしやお父さんたちに会っても辛くないって思ってくれるなら会いたい。お兄ちゃんにとっては許せない家族かもしれないけど、あたしは未だにお兄ちゃんとみんなと一緒に暮らしたい。でも、それがお兄ちゃんを苦しめるんなら、あたしは我慢する。ごめんね、村上さんに言っていいことじゃないのに……」
「いえ……」
千星の震える声は母を思い出させた。本当のことを知らず、振り回され、次第に涙を零す母をどうすることもできなかった。
志歩もそうなのだろうか。だとしたら、どちらも同じように苦しいのだろうと思った。
――やっかいな病気だよね
かつて、そう言って笑ってくれた。
きっと、これは運命なのだろう。志歩の心に触れることができるのは、同じ病気の自分しかいない。結果がどうであろうと、そうして生きる必要があるのだ。
続きます。
前回で章が切り替わったのですが、章前のあらすじっているんでしょうか?
ここまで読んでくれている方々にはいらないのでは?と思う反面、途中から目にした人が……と思ったりする反面、私自身はネタバレ禁なタイプなのであらすじ別に……と思うのでこれもやめどきがわからずやっています。まぁ…いいか……
次回の更新は14時30分ごろにします。