雪解け水 3章の7
前回のあらすじ:もう少しこのままでいる
直哉の前に、湯沢先生という人物が正式に紹介された。
「川島先生からお話は聞きましたか?」
「あ、いえ……。志歩さんから、少し、聞きました……」
口ごもりながら本当のことを答える。湯沢先生はわずかに目を丸くして志歩に視線を移す。小さく数回頷いた。
「知り合いのお子さんだったかな……」
「会社の上司の」
志歩が短く答えると、また湯沢先生は頷いた。話を聞くときの癖なのだろう。
「……会社か。大人になったな、志歩」
思ったより優しい声をしていた。はじめの印象で言えば、川島先生よりはるかに話しやすい印象を与えるだろう。けれど志歩は、それ以上言葉を交わすことは無く固く閉ざしたままでいた。
「私は接触性感受症候群を研究しています。アメリカを拠点としていますが、日本でも研究を行っています」
小さくうなづくがどこかぎこちない。直哉は自分が緊張しているのだとわかった。
「感受症候群は二〇〇〇年代以降はっきりとした症例が報告されている病気です。現在も数は少ないですが、患者さんは確実に存在しています。身体的には問題はみられませんが、患者さんの多くは日常生活になんらかの不自由を抱えることになります。私は患者さんの日常生活を改善できるよう、その症状を受け身の姿勢ではなく、積極的に活用していく方向も考えた上での研究を行っています」
志歩の表情が微かに動いた気がした。湯沢先生も、志歩の様子を見ながら喋っているようだったが黙っているので話を続けた。
「川島先生に治療経過を聞きましたが、だいぶ精神的な不安は緩和されているようですね。落ち着く薬も処方されていないようですし」
「はい。今は、飲んでいません」
それは事実だった。薬自体は常に携帯しているが、飲まなければ不安や恐怖に押しつぶされるといったほどではない。先生は大きくうなづいた。
「それは良かった。志歩と一緒にいることも、大きいですかね」
先生は言いながら志歩の方を向く。けれど、やはり志歩は何も答えなかった。代わりという訳ではなかったが、直哉は「はい」と大きく返事をしてしまった。そのときになって、志歩の無表示が今日初めて少しだけ崩れた。湯沢先生の斜め後ろで控えていた川島先生も、少しだけ口元をゆるめる。
「同じ気持ちをわかちあえることは、人間にとって大きな支えになります。志歩は、私たちの患者さんでもありましたが、教え子のような存在でもありました。今はもう、そこから離れていますが……私たちは、選択肢の一つとして、村上さんにも私たちの研究への参加を提案します」
直哉は、小さく息を呑んだ。今言われたことは、大体予想がついていたことだから、何か言おうとは思っていたのに、いざ言われると言葉が出ない。
「どうですか?」
促されて視線を下に泳がせる。手袋をした志歩の手を探した。
「そう……ですね……ちょっと、そういうことは考えてこなかったっていうか……」
湯沢先生は小さくうなづく。
「……親にも話してないんで……」
「可能な限り御両親には事情を説明した方が良いです。この病気はプライバシーを大きく不安定にさせる為、簡単なことではないでしょうが……」
その通りで直哉は言葉が継げない。少しの無言を、湯沢先生がやぶった。
「ご両親は、まったく病気のことをご存知ないんですよね」
「……はい」
「話すつもりや、その予定はありますか?」
「え、いえ……」
次々と言われて心が揺れる。少し脈があがっているようだった。
話す。
確かに自分はそれを望んでいる。胸の重荷を捨てて、いつかは誰に負い目を感じることなく生きたい。だけど。
「長い目で見たとき、周囲の理解は村上さんにとって大きな支えになると思います」
はっきりと心臓の音が大きくなる。わかってる。それは誰よりも自分が理解している。だけど怖い。信じられない。自分が相手の思うような人間でないことを話すことが。本当の自分を話すことが――
「どうでしょうか。これを機に、一度ご両親に――」
「わざわざ痛い思いをさせる必要はないでしょう」
これ以上喋らせないといったように志歩が口を挟んだ。
続きます。
KADOKAWA、ニコニコの流れなのか、なろうもサイバー攻撃?されてた模様なんですね。8日確かにアクセス数が激減でおお~……となりました。犯人早く捕まるといいし、攻撃された各所が早く復旧されるといいです。
明日の投稿は11時30分ごろにします




