心の中の“悪人”を消したい~“悪人”の目的~
“悪人”の目的とは何か。
前回のエッセイ、『心の中の“悪人”を消したい』を書いたことで、様々な人から意見を戴いた。それを受けて、僕の中でも意外な気づきがあった。
僕は今まで、“悪人”は自己中心的な存在で、自分のことしか考えていないものだと考えていた。そしてその“悪人”を作り出した僕自身もまた、自己中心的な人間であると思っていた。
だが実際には、“悪人”は常に他人の目を気にしていて、他人に興味を持っている。そして僕自身も、他人に興味を持っている人間であると気づいた。
考えてみれば、僕は昔から他人の目を常に気にしていたし、自分が何をやりたいのかという意思が希薄だった。そういう人間が“悪人”を想像すると、やはり他人の目を気にする存在になっていくのだろう。僕自身にそういう要素があるのだから。
僕の今の境遇の話になるが、僕はとある会社の社員として働いている。なので役所に提出する書類などを書くときには職業欄に『会社員』と書くことになる。
実を言うと、僕にとってはこれがものすごく重大な意味を持つ。
職業欄に『会社員』と書く。別にそう書いたからといって賞金がもらえるわけでもなく、賞賛を受けるわけでもない。書類を受け取った側も、特に何も思わないだろう。
だが僕にとって職業を『会社員』と書けることはものすごく重大なのだ。なぜなら僕の周りにいる人間は『会社員』だからだ。
詳しいことは伏せるが、僕は『会社員』でない時期が長かった。数年前まではアルバイトしか経験していなかった。みんなが当たり前のように就職しているのに、僕はそれが出来なかった。そんな中で、僕はネットでこういった意見を見てしまう。
そう、『新卒で就職できなければ一生バイト』という意見である。
これを見たのは某匿名掲示板だったと思う。つまり何の根拠もないただの意見だ。だが当時の僕にはそれがものすごくダメージとなった。
そもそも僕は働くにあたって『どういう仕事がしたい』という目的がなかった。だけど『就職しなければならない』という焦りだけはあった。その理由は、『みんなは就職しているから』である。
仮にこの国の8割の人間がアルバイトという雇用形態で働いていたのなら、僕はアルバイトとして働いていただろう。当時もそう思っていたし、今でもそう言い切れる。
だが現実には、僕の周りの人間は『正社員』として働いていた。つまりアルバイトではないのである。なので僕も『正社員』にこだわった。なぜなら『みんなはそうだから』である。
ここで“悪人”の話に戻るが、前回のエッセイでも触れたように、“悪人”は『自分がされて嫌なことを他人にしたい』という願望を持っている。ここでいう『自分がされて嫌なこと』とは当然のことながら僕自身がされて嫌なことである。
当時の僕は、某匿名掲示板のまとめサイトを見て回っていた。特に就職や転職関連の記事を見て回っていたと思う。今思えば、それは『自分がされて嫌なこと』を探していたのだろう。
まとめサイトには、『僕が言われたら嫌な意見』が溢れかえっていた。つまり“悪人”にエサを与えるためにはうってつけの場所である。そうすることで、僕の中の“悪人”は強固になっていった。
そうすることで、“悪人”は『僕が言われたら嫌な意見』を常に言う存在となった。僕はそれがもちろん苦しかったが、同時に『“悪人”が行っていることを他人にしたら、ものすごく楽しいんだろうな』という予想をしていた。
アルバイトだった僕にとって、まとめサイトに書かれている意見は堪えた。『正社員でなければ人間と扱われない』という思いすらあった。もちろん“悪人”もそう言っていた。
だが逆に、『正社員でさえあれば、逆に他人を虐げる立場になれる』という思いがあった。つまり『自分がされて嫌なことを他人にしたい』という願望である。“悪人”が行っていることは、内心では僕がやりたいことなのである。
しかし、僕は“悪人”は『自分がされて嫌なことを他人にする存在』と設定している。つまりその願望は僕の中では“悪いこと”なのである。そして僕には“悪いこと”をしてもそこまで気分はよくないだろうという思いもあった。なので僕の中には『自分がされて嫌なことを他人にしたら気分がいいのだろうな』という考えと、『実際にそれをやっても大して気分はよくならないだろう』という考えがある。
結果的に紆余曲折を経て、僕は今の会社に就職して『正社員』として働いている。しかし匿名掲示板でアルバイトという働き方をこき下ろすようなことはしていない。やったところで大して気分が晴れるわけではないという予感があるからである。
だが、“悪人”はまだ僕の中に存在しているので『会社員』という立場を手放すのは怖い。そうなれば“悪人”が瞬時に暴れ出すからである。なので職業欄に『会社員』と書けるのは重大なのである。
ここまで書いたが、僕自身が他人の目をすごく気にする人間であることはわかってもらえたと思う。それを踏まえたうえで、“悪人”の目的について考えてみる。
冒頭で“悪人”は他人に興味を持っていると書いた。なぜそうなったのか。それは“悪人”の要素がネットで見た嫌な意見から多く取り入れられていることに関連していると思う。
ネット掲示板という匿名性の高い空間では、自分の素性を隠すのが一般的である。だが一方で、自分が優れた人間であると示したいという願望を持つ人もいる。そういった人たちがネット掲示板で自分の優秀さを示すにはどうするか。
一番手っ取り早いのは、『他人の間違いを指摘する』ことである。
他人が間違っていることを指摘すること、間違いに気づけたことそれ自体を、自分の優秀さの証明として利用するのである。そうすれば自分の素性を隠したまま、自分が優秀であることを示せる。少なくとも本人の中では優越感がある。
この要素が僕の考える“悪人”が持つ『他人が不正解を掴むことを望む』という部分に深く関わっている。つまり“悪人”は自分のことを知られたくないが、自分が優秀であることは示したいのである。
これらのことから、僕の頭に浮かんでくる“悪人”の言葉は他人(あるいは僕)がいかにダメか、他人(あるいは僕)がいかに価値がないかというのを指摘するような内容になっている。そうすることで“悪人”自身がいかに優れているかを間接的に示そうとしている。
そしてもちろん、“悪人”は僕が頭の中で考えた存在なので、僕の中にもそういった願望がある。これは僕が他人の目を気にしている人間であることに由来しているのだと思う。
つまり“悪人”にも僕にも、自分が優れていると示したい願望がある。だがその願望を他人を介して叶えようとしている。それはなぜか。
おそらくは、自分の中に優秀さを裏付ける何か、つまり『自信』がないのだと思う。
だからいつまでも他人の目を気にしているし、他人からの評価を気にして『会社員』という立場にこだわっている。なので“悪人”も他人を攻撃する存在となっている。
ここで前回のエッセイで出した、『“悪人”と逆の行動をすれば弱まるのでないか』という結論を思い返してみる。
前回ではこれらの行動が“悪人”と逆の行動ではないかと書いた。
・なるべくイライラしない
・他人や自分の長所を見つける
・正解を探す
・自分や他人の幸福を祝う
これらの行動について考えてみると、おそらくこれを行いたいのは心の中に『余裕』というか『自信』が欲しいからではないかと思う。『自分の長所を見つける』などはまさに自信をつけるための行動である。
つまり“悪人”の目的は自分の中に自信がないことを誤魔化すことであり、“悪人”を想像して攻撃を受けている僕もまた自信がないのである。
なのでまずは、先ほどの行動の中でも『自分の長所を見つける』と『自分の幸福を祝う』の要素を重点的に行っていきたい。おそらくはそれが、“悪人”を弱めることに繋がっていく。
もちろん、それが上手く行けば、他人の幸福も祝えるようになっていくと思う。自分が満たされているのであれば、他人の間違いを指摘してまで優秀さを示す必要がない。
最後になるが、これを見た誰かの心の中にも、安息が訪れることを願っている。




