ろく
主人公に戻ります。
遠目から確認できた通り、家の中はきれいだった。たった一部屋を除いて。
「それは、どういうことですか?」
私の多少低くなってしまった声にこたえるのは殿下。
「迎えに行かなくてもよかったね。よかったじゃないか、君の仕事が減った。」
今現在、私は少し怒っている。その理由は少し前にさかのぼる。
二階の一番奥の部屋、私が使おうと旅の荷物を運んでドアを開けると、腐海状態の客室があった。床は見えず、インクの滲んだ紙が丸められて床に散乱している。茎のだいぶ太い蔓植物がすくすくと育って毒々しい紫の花を咲かせている。背後のドアを見ると、がちがちに蔦が絡まっている。そうか、こいつのせいでドアが開けにくかったのか。
そう、そこまではまだよかった。
その部屋には明らかに人がいた痕跡が残っていた、が、生きた人間の気配は感じられなくて、私はきっと油断していた。だから、寝室を覗いた時に足を掴まれ寝具の上まで引きずり込まれたのは、本当に不可抗力だった。両手首をつかまれ両足は私をここに連れてきたであろう人物に乗っかられて拘束された。あげようとした声はその人物の口に吸い込まれた。まあ、要するに口づけである(もちろん軽い方)。その行為に衝撃を受けた私の耳元に囁くようにかけられる声は、男性のものだけど、声変わりしてまだ何年もたっていないだろうと思われるもの。
「っ!!」
「ごめんね。いま、かくれんぼの最中なんだ。君も僕が見つからないよう音を立てないでね。」
目の前にあるのは、肩まで切り揃えられ、金細工の髪留めでまとめられている透き通った紫の髪。これは、今代の皇帝を輩出した家の者特有の色彩だったはず。帝国でよくみられる褐色の肌が見える。じっと髪を見つめていると、ふいと顔がこちらに向けられる。
髪と同色の瞳はきれいなアーモンド形。美人、と言われるのもおかしくはないであろう顔の造りだ。これで男だなんてもったいない。それにしても、若い。王太子殿下は16くらいだから、大体同年齢だろう。
「君、美しいね。銀髪いいなあ。あとその水晶の瞳も素敵だ。無属性の色彩だね。いい魔法使いになる。僕のものになる気ない?僕と君の子供ならきっと鑑賞に適した見目で魔法に優れているだろうなあ。君の銀髪を受け継いでほしいけど、うちの家系は皆紫なんだよね。うーん。」
いきなりのプロポーズ、もどき。これは、相手が皇族だから断ったら首が飛ぶんだろうか。いや、そんなことは置いておく。廊下に複数人の足音が響いた。殿下とクロードだろう、走ってこの部屋に向かってきているから見つかるのも時間の問題だ。
あの二人にこの姿を見られるのはいろいろ思うところがある。羞恥心も少しは仕事をしているじゃないか。そっちの感情が動いていることに少し感動。いや、これもちょっと置いておいて。
「離してもらえませんか。もうすぐ見つかってしまいますよ?」
紫のは私の思惑を知ってか知らずか、くすっと笑って顔を寄せてくる。いや、これはわざとだ。絶対狙ってる。また耳元で囁かれてちょっとくすぐったいんだけど。
「どうせ見つかるなら、いけないことしてからのほうが、いいよね?」
え、よくないよくない。
耳に生暖かいもの―舌だと思われる―が這い、水音が響く。
どうやってこれを撃退しようかを必死に考えて暴れたい衝動を抑える。相手は皇族。ここで感情に目をくらませるなら、次に見るこれの姿は惨死体かもしれない。衝動を抑えるために生じた震えをどうとったのか、紫のの口角が上がったのが視界に入った。
頭の中で力加減を誤りこの男を12回ほど殺してしまった。13回目に突入するかと思われたとき、私の体にのしかかっていた重量はなくなり目に入り込んできたのは王太子殿下の淡い金髪と青紫。
「遅い!」
思わず低い声で抗議してしまったのは悪くないはず。それに対して殿下は
「ごめんね。まだ食べられてない?」
と返してきた。関心はそっちにむいているのか、さすが思春期男子。
「まあ、そこまでになったら退治しますよ。で、あの方は誰です?」
「あ、初対面だったね。彼が皇帝。」
あんな好色気味なら、奥さんとの仲がお悪いのも納得ですね!
そうして事態は最初へと戻る。