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トリグラフの楔  作者: 端山 玄冬
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紆余曲折の原因は大体俺の行動だよな。

疾走する。森の風景はどんどん追い越され、ようやく目的地が見えてきた。しかし、そこは男が知る光景にしてはあまりに凄惨な地に様変わりしていた。

白亜の豪奢な邸宅は、今や燃え盛る炎に包まれ、その威容を失っている。ぼうぼうという炎熱の轟音と焼かれ倒壊する家屋の音に呑まれ、夜とは思えないほど賑やかだ。

「おいおい……これまた派手にやったな、あの馬鹿」

黒いアンダーシャツと黒いズボンに包まれた高身長、筋骨隆々な姿が炎の明かりに映し出される。発見されることを拒むように男は再び木々に身を隠した。白髪のまじる黒髪が枝に引っかかるのを煩わしそうに頭を揺らし対処する。初老の落ち着き払った表情も予想外の光景に苛立ちを隠せないでいた。

「予定にはなかったことをしてくれるなよ。どうすんだ、これ」と胸中で悪態をつく。男は目当ての人物を探そうと再び、炎上する屋敷に視線を送る。と同時に。

「マードック、迎えにきてくれたのか」と背後から声をかけられる。

またも予想外。男は咄嗟に跳ね、距離を取り、ナイフを懐から取り出し構える。が、その正体に気づき脱力する。

「あのよ、気配殺して近づくなよな。間違って殺しちまうだろ」

心底驚いた顔の男にまだ幼さの残る若い青年が満足そうに笑いかける。

「そしたら、俺が羽交い締めにしてやったさ」

そう得意げに語るのは彼の弟子、オズワルド=ネイチャーだった。短い黒髪に黒い瞳。服装は男と同じく隠密に適した黒いアンダーシャツを身につけていた。吸着するタイプのトップスを通して、オズワルドの肉体は細身ながらも鍛え上げられている様子がよく分かる。黒いズボンを黒いベルトで締めあげる姿も男と同じく、さすがは弟子といった風貌だ。

「馬鹿。師匠が弟子にやられるかよ」

「とか言って、背後がら空きだったな」

「うっせえ!お前を心配しててよ、油断……!!」

と男は口にする途中、自分の言葉の真意を理解し、押し黙る。心配してたのも、それで惚けて油断していたのも弟子に悟られるとあっては師匠の風上にも置けない。

赤面するマードックに青年は堪えきれずハハッと失笑する。

「心配してもらえるのは嬉しい。けど、それで油断はダサいって」

「あーーもう。うっせえうっせえ。んで、依頼は達成したのかよ」

赤面を気取られまいと踵を返したマードックは話題を逸らす。

「それならバッチリだ」

ニカッと笑みを作って見せた青年は依頼達成の証を右手で掲げてみせる。右手には黄金に輝く首飾りが握られていた。

それによし、と頷くマードック。

「さすがだせ、オズワルド。んじゃ、ずらかるか」

オズワルドと呼ばれた青年は「おう」と応えるとマードックと共に夜の森に駆け出した。

「ところでよ、ターゲットはどうした」

走り出して数分。森を駆けるだけの作業に飽きたのか、マードックがそんな疑問をふと零した。

しかし、オズワルドは返事をせず、ひたすら走ることに集中していた。

マードックはため息をつくと「そうかい」と呟いて何かを悟ったように視線を落とす。

「あのな、オズワルド。依頼と感情は切り離せって何度も教えてきたはずなんだけどな」

「別に依頼が達成できたんだからいいだろ。それに私怨で今後、襲撃されるかもしれないんだ。その芽を摘んだだけだよ」

「そうかい。でもな、そんな首飾りやつらにとっては端金だ。別にそいつが盗まれたからって躍起になって俺らを追うとも考えづらい。むしろ、それが分かってたからお前の提案を呑んだんだ。なのに、ターゲットを殺しちまうなんてよ。そっちの方がよっぽど私怨を強めることになるとは考えないのか」

「そんなこと言ったって、あいつは……あいつは!」

「おかしい、と思ってたんだよ。なんでこんな話もってきたのかって。だから、少し調べさせてもらった」

表情を驚愕に変えたオズワルドがマードックを見る。

「きな臭い噂の絶えない野郎だったが、特に曰く付きだったのが奴隷売買だもんな。それも子どもを誘拐して商品にするって話だ。趣味が悪いよな。信憑性は十二分。確かめられたか」

マードックの質問にオズワルドは顔を歪める。

「ああ、死んで正解だよ。あの野郎は」

「そうか。止めればよかったな。別にお前が裁かなくても、いずれは誰かに捌かれてさ。何もお前が背負う必要は」

「違う!!俺は!!」

まさか逃避行の間際に冷静さを失い、叫ぶとは思わなかったのだろう。声を荒げるオズワルドにビクッとなるマードック。

その様子を見て、オズワルドは我に変える。

「……ごめん」

それが何に対して謝ったものなのか。隠密の任務中に自身の居場所を知られる恐れのある愚行に対するものか。依頼をややこしいものにしたことか。はたまた、感情もまともに抑えられない弟子の不肖か。マードックにも分からない。

「まだまだガキだな、オズワルド。この世界に大正解なんてないのさ。それでも、最適解ってのはある。追手を差し向けられたらどうする。お前だけならまだしも、家のチビたちまで巻き込むことになるんだぞ。後先考えないとな」

「そしたら一緒に逃げればいいだろ。俺の本職は行商人だ。根無し草なんだから」

「最近、学校が楽しいってフェリチが笑ってたな。マルクもそんな姉を見習って勉強するって。ご近所からこの前、商売のいろはを教えてもらってたぞ。シンもようやっと立って歩けるようになってきた。オズワルド、お前はそんな日々を終わらせることも覚悟して、ターゲットを殺害、屋敷に火をつけた、ってことでいいな」

マードックの言葉の真意を悟り、オズワルドの反抗的な態度はあっという間に萎む。それでも、納得がいかないとなおも食い下がる。

「でも……俺は……救えるチャンスがあるなら、救いたいって思うんだ。俺が殺さなきゃあいつはもっともっと大勢の子どもを俺みたいに不幸に」

マードックは気迫を込め、オズワルドと強く呼ぶことで弟子の言い訳を制する。

「あのな。救うって言うのは最後まで面倒をみることだ。俺らは所詮、手助けや手伝いはできても救うことはできないのさ。自分を救えるのは自分だけだ。それを曲げてでも救うと言うなら最後まで責任を持たないといけないんだよ。お前にはそう教えてきた。それでも師匠の言葉を無下にしてまで救うと決めた命が三つ、家で帰りを待ってる。そいつらを幸せにすることがお前に今できる救うことだ。それ以上を求めるにはお前はまだまだ未熟すぎる」

家で待つ三人の子どもたち。オズワルドが一人また一人と家族となる子どもたちを"救う"たびにマードックは説教をしてきた。それでも最後はやれやれと力を貸してくれて今に至る。そんなマードックもオズワルドのような考えなしに危険事に足を突っ込む子どもを弟子にしたのだからそれはそれは師匠、弟子ともに生粋の考えなしなのだ。それでも、初老まで盗賊稼業で生き延びてきたマードックは弟子の何倍も引き際を熟知している。今回ばかりは弟子の考えを正してやりたいと強く思いをぶつけ続ける。

「俺もお前の気持ちは分かるよ。でもな、色んな視点に立って考えることが大事だ。正義だと思って振りかざしたものが他人から見たら悪だなんて話、この世界には腐るほどある。身近なとこだけで我慢しとけ。これ以上は望みすぎだ」

「師匠は確かに正しいと思う。でも、俺は……やっぱり許せない」

「この先もそうやって許せないものに全部喧嘩売ってくのか。許せないと思うものは許さなくていいさ。でも、存在することを許容しようと思えないといけない。そうなって初めて大人だ」

「師匠の言ってることが俺には分からないよ」

「あのだな。お前が許せないと思うのと同じくらいお前を許せないと思ってるやつがいるかもしれない、って考えたことあるか。そいつがある日、お前の幸せを壊しに来るんだ。許せないってな」

「そしたら、そいつをぶっ倒せばいい」

「それが、お前が殺した悪党の家族でもか」

オズワルドは「何のことだ」とマードックに目を向ける。

「お前が殺した奴隷商人にも家族がいるってことだよ」

オズワルドは一瞬、泣きそうな顔になる。それでも首を横に振り自分の頭に浮かんだ想像をかき消す。

「だからなんだよ。奴隷商人って知ってて家族になったんだろ。そんな奴らも最低じゃないか。焼け死んで当然なんだよ」

「ターゲットの娘は5歳の子どもだぞ。父親の悪逆を理解してると思うか」

オズワルドにトドメが刺された。押し黙る彼の顔には悲痛と後悔が漂う。

「俺は……どうすればよかったんだよ」

「それはな、オズワルド、っとこの話はまた後でな」

とマードックは話を中断し、「お早い到着だな。いくらなんでも早すぎるだろ」と苦虫を噛み潰したように前方を見やる。

急に足を止めた師匠にオズワルドも自身の体にブレーキをかける。

「どうし……」

「逃走中に失礼します」

唐突に師弟の会話に割り込む低い男の声。暗闇の中で声の発信源が何者かは分からない。しかし、重厚な気配を漂わせるそれに、オズワルドは反射的に腰のナイフを抜いた。

「やめろ」とマードックが弟子の今後の行動を予測し、手で押し留める。

「賢明ですね、マードック殿」

「おいおい、冗談だろ。やめてくれよな」

マードックは苦笑する。しかし、額から伝う汗がその余裕のなさを伝える。

なんでマードックの名前を、とオズワルドが思案すると同時に「オズワルド君も踏みとどまってくれてありがとうございます」という声が聞こえてくる。

なぜ俺の名前まで。

森の一角に緊張が張り詰めた。それを最初に破ったのは他ならぬ未確認の声の主だった。

「オズワルド君にお願いがあってきたのです」

指名されたオズワルドは「首を差し出せって言うならごめんだぜ」と笑い飛ばす。「まさか。交渉をしにきたのです」とつられて笑う男の声がした。

それにギョッとするオズワルドとマードック。

ターゲットの男の仲間じゃないのか。

状況が呑み込まないうちにさらに厄介事が顔を出す。声の主の方からガサゴソと森をかき分ける異音が一つ、また一つと増えていく。みるみると増した複数の人の気配。気配から察するに優に十人以上はいるだろう。緊張がさらに高まる。

「お願い、ってのは何。痛くない系なら大歓迎なんだけど」

「はは、では歓迎してください。盗みの仕事です。代わりと言ってはなんですが、前払いとしてあなたが今回しでかしたサンメール伯の殺害と邸宅への放火の罪、隠匿して差し上げましょう」

オズワルドとマードックの驚愕が二人の間抜けな声に現れる。

「えっ」「おい」「それって」「本当か」と息のあった二人の確認に、「さすがは師弟、阿吽の呼吸ですか」と低い声が響く。

「申し上げた通りです。ただし、こちらのお願いを聞いてくださることが条件ですが」

「一体何を盗めばいいんだ」と食いついたのはマードックだった。

「私が話しているのはオズワルド君ですよ。どうですオズワルド君、盗む出して欲しいものを聞くこと自体が交渉の決定とみなします。聞くかどうかあなたが覚悟を持って決めてください」

覚悟、という言い回しに難易度の高い窃盗の依頼であろうとオズワルドは身構える。

「その依頼、失敗したらサンメール伯殺害と邸宅放火の罪はどうなる」

「ご安心を。前払いですので、お願いの成否にかかわらず叶えましょう。成功の暁にはもちろん追加の報酬もお支払いしますよ。お願いの成就のための資金繰りもこちらでさせていただきます。破格の依頼だと自負しておりますがいかがでしょうか」

明らかにきな臭い。この声の主の言うように破格だ。故に依頼に指定されるターゲットの難易度が最高クラスであることは明白だった。しかし、オズワルドが返答に迷う時間は残されていなかった。

「こっちだ。こっちにいるぞ」

遥か背後から大声が響いた。それは屋敷の警備をしていた兵隊のものに違いない。また、人ならざる速度で森をかき分ける荒い動きが接近してくるのも分かった。遠方からでも狩猟犬であろう息遣いが近づいてくる。

「まずいぞ、オズワルド」

マードックが焦りを浮かべ、判断を急がせる。

オズワルドは決断した。真剣な眼差しを前に向けると。

「その依頼、受ける」

「英断ですよ、オズワルド君。では、詳しい依頼内容は後日とさせていただきます。私の部下があなたの家を訪ね、依頼する日取りを伝えますので。またお会いできることを楽しみにしていますよ。それでは」と黒子のように存在感の薄い声の主が「お行きなさい。我が手足達よ」と命令する。と同時に声の主の周囲に溢れていた気配が霧散。オズワルドとマードックを迂回するように背後に十数の人影が回り、さらにその先へと向かう。軽やかに駆けていく靴音と接近する狩猟犬や警備兵の断末魔が響いた。

「おい、お前、何者なんだ。まだ交渉の場は教えてないし、何もまだお互いに分からないだろう」

この場を立ち去ろうとする依頼主にオズワルドが語りかける。それに反応し、影が振り返ったように見えた。

「私のことはエドワードとお呼びください。後、ご安心を。すでにオズワルド君の隠れ家はおさえていますので」

もう何がなんだか分からない。

オズワルドは軽いめまいに襲われ、依頼主が闇に溶けるように霧散するのを見送る。

「余計やばいことになった気がするな」

「まあ、身から出た錆だな。今回は高い授業料ってことで諦めるしかねえな。しっかし……俺らの名前も居場所も筒抜けとはな。とりあえず、ずらかるぞ、オズワルド」

困惑するオズワルドの肩に手を乗せ、マードックが宥める。そして、二人で顔を見合わせ頷き合うと駆け出した。

背後から響く追手とエドワードと名乗る男の部下たちが交戦する音が遠のいていく。


こうして俺は飛び込んでしまったんだ。取り返しのつかない事情と世界の命運ってやつに。

オズワルドは一応若い設定なんですけど、読者には何歳くらいに映るのでしょうかね。

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