第八話 早すぎる来客
※この作品にヤマユリが出てくるのですが、作者がうっかりしておりまして、開花時期とか何も考えずに使っております。
気がついたのもかなり執筆が進んだ後でして、ほかの花に変えようかとも思ったのですが、花言葉的にも、山の植物的にも、全く代替案が思いつかなかったので、このままごり押させて頂きます。ここはファンタジー、ここはファンタジーと唱え、細かいことはふわっと丸めてお進みください。
メルロー子爵家の人々は、貴族の家柄ではとても珍しく、朝日が昇ると同時に目を覚ますのが日課だ。
熱から復活した次の日、ミランダはいつもと同じように朝の日差しが淡く差し込んだ部屋で、起きてすぐベッドから抜け出し、手早く朝の支度を整える。
そうしてミランダが向かうのはキッチン。彼女が朝食の準備をしている間、同じように部屋を出たダニエルが玄関などの簡単な掃除と、一頭だけいるメルロー家の馬、ユリウスの世話をしてくれる。
ちなみに昨夜もこの屋敷に泊まってくれたハンナは、こういった場合いつもミランダに代わって洗濯をしてくれている。
アルフレッドはというと、彼に限っては家事全般何も出来ないので、屋敷の周りにある植物の世話を担当してもらっている。美的センスがなかなかにいいらしい彼は、意外にも、庭師に負けず劣らずな腕前で、屋敷の周りを美しく整えている。
ミランダが朝食を作り終わる頃には皆が食堂の席につき、夕食の時と同じように揃って朝食をいただく。
今日のメニューは昨日のポトフの残りをアレンジしたミネストローネに、パンが2つ、男性陣はそのほかにオムレツとソーセージが付いている。
「今日はお兄様は商会へいらっしゃいますか?」
「ん?ん〜…そうだね。ミラも大丈夫そうだし。そうしようかな」
「僕はいつも通り家でお仕事するよっ!」
「そうでしょうね…私もそろそろ食材を買い足しに城下町に行きたいのですが、」
「それなら僕が帰りに買ってくるよ。まだウチの可愛い子に無理させたくないからね。欲しいものを後でメモしてくれる?」
「…わかりました」
そうして食事を終えると、アルフレッドはそのまま書斎へ、ダニエルはすぐ出かける準備をし、馬に乗ってベネズット商会のある王都へと出かけていく。
ミランダはそれを見送り、普段なら洗濯、残る屋敷の掃除に取り掛かるのだが、この日はそこで思いがけない来客があった。
「…もう起きていていいのか?」
なんとなく窓の汚れが気になり、ギシギシときしむ脚立に登って外から屋敷の窓を拭いていたミランダ。突然かけられたその声に、彼女はとても驚いた。
慌てて振り返ると、真っ黒な軍馬の手綱を引き、屋敷の前にたたずむ男。王太子ブライアンの姿がそこにあった。
全身黒で統一された普段着と思われるラフな格好。その片手には見覚えのあるユリの花が握られている。
ちなみに現在朝の8時を過ぎたあたり。普通の貴族ならまだ起きたばかりか、もしくは寝ていても可笑しくはない時間だ。
「殿下っ、し、失礼しました」
慌てて脚立の上からピョンと飛び降りたミランダ。裾の長いスカートが少しふわりと持ち上がったのも気にせず、身軽な動作で着地し、そのままブライアンの元へ小走りでやってくる彼女の姿に、彼は驚いたように目を見開いた。しかし特にそのことに対して言及することはなく、自分の方へとミランダが近づいてくる様子を眺め、大人しくその場で待っていた。
「…手紙を見た。平気か?」
「あっ、はい。お騒がせ致しました。そして、先日も来て頂いていたのにお会いできず、心苦しく思います。申し訳ありません」
そう言って頭を下げようとしたミランダを押し留めるように、ブライアンは手に持っていたユリをミランダの目の前にさっと差し出した。
「…朝駆けのついでだ。むしろ、勝手に寄っている」
ブライアンの言葉少なでわかりづらい言葉。しかし、その内容と彼の手にするもの、そして今の状況から考えるに、彼が毎朝、このように訪ねてはユリを届けてくれていたのだろうとミランダは推測し、目を見張った。
ーなぜ父様も兄様もそれを伝えてくれてないのっ!?『お気持ちだけで大丈夫ですよ』ってやんわり止めてくださるところでは?
内心冷や汗をかきながらも、引きつりそうになる顔の筋肉を動かして必死に微笑むと、ミランダは「そうだったのですね。素敵なお花ありがとうございます」と返した。
しかし、その心臓はバクバクとあの時の夜会同様、激しく鼓動を刻んでいる。
「ヤマユリだ」
「そうなのですね。殿下自ら?」
「あぁ。良いと思ってな」
なんとか無難に会話を続けながらもミランダは、この後どうしたら良いのかと頭を悩ませていた。
普通なら客間に案内し、おもてなしするのだろうが、いかんせん相手は殿下。そしてここは貧乏なメルロー子爵家のオブラートに包めばかなり質素、実際にはかなりのボロな屋敷だ。そんなところに高貴な方をお通しして大丈夫なのか、むしろお通ししてもてなそうにも、殿下はお忙しい方なのだからかえって迷惑にならないか。
ぐるぐると回りすぎた思考がこんがらがり、ミランダから正常な判断を奪っていく。
そこへ、
「あっ、ミラ。出てくれてたの?ブライアン殿下、おはようございます。この通りミラも回復しましたし、お時間あるようでしたらお茶でもいかがですか?」
「…少しだが邪魔をする」
まるでわかっていたかのようにひょっこりと顔を出したアルフレッド。彼はいつも通りの気負いない様子でそんな言葉をブライアンにかけると、あっさりと応接室へと誘ってしまった。
それに対し、ブライアンもあっさりと承諾の言葉を返している。
ー案内してよかったのね……でも、大丈夫なのかしら?我が家で。
1人父親の反応に戦々恐々としてしまうミランダ。そんなミランダに、アルフレッドの案内でメルロー子爵家へと足を踏み入れかけたブライアンがふと視線を戻す。
鋭い切れ長のブルーグレーの瞳と目が合い、ぞくりっとミランダの背が震えた。
「…入らないのか?」
「あ、いえ…こちらのユリを生けさせて頂いたらすぐ参ります」
喉が渇き、貼りつきそうになる声をなんとか発し、ミランダはにこりと笑みを返す。
ブライアンはそれを一瞥すると、何も言わずにそのまま屋敷の中へと入っていった。
ーまただわ…
ブライアンに見つめられたときに起こる、理解できない謎の感覚に、ミランダは人知れず胸の上で手を握りしめ、そっと息を吐き出した。
キッチンの下の棚に収納されていた余った花瓶にブライアンから送られたユリの花を生けると、ミランダは少し考え、それを玄関入ってすぐのところにある台の上に飾った。
それから借りていたブライアンの上着を取りに私室に寄り、その後に応接室へと足を運ぶ。入室を告げようと右手を扉へ近づけたまま自身の姿が気になり、ミランダはゆっくりと視線を下ろす。
ー私、こんな格好で殿下の前に出てたのね。
掃除する気満々であったため、今ミランダが来ているのは動きやすさ重視、汚れても気にならない黒のワンピースだ。
化粧も一切しておらず、髪だって適当に三つ編みで1つに纏められているだけ。
ー着替えるべきかしら?
一瞬考えを巡らせ、でもなにか吹っ切れたようにミランダは笑うと、扉を叩く。
ーもう見られているのだし。それで私に失望してくだされば、殿下も思い直すに違いないわ。…きっと。
「ミランダです」
「入りなさい」
打算的な思惑も含みながら、胸が軋むような僅かな違和感を無視し、ミランダは「失礼します」と声かけをしながら目の前の扉を潜るのであった。