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第四話 信じたくない求婚

マキューリオ伯爵が愛する妻のために作らせたという、溢れんばかりの白薔薇が咲き誇る美しい庭園は、月明かりに照らし出され、幻想的な様相へとその姿を変えていた。

幼い頃の記憶とは違う、昼間とは全然違う静寂に包まれた夜の庭園は、どこかまだぼんやりとしたミランダをさらに夢の世界へと誘うようであった。


ー綺麗な色だわ。


月を背に浮かび上がる赤い髪は、豪華なシャンデリアに照らし出された時とはまた違い、暗闇にゆらゆらと揺れる鬼火のような妖しい美しさを備えていた。

そんな危険な光を帯びる赤とは対照的に、闇に沈んだ黒い衣装に覆われた背中は、がっしりとしていて頼もしく、後ろを歩くミランダに安心感を与えてくれる。


ー背を向けていればホッとするなんて、なんて失礼なことを思ってるのかしら私は。


そうして苦笑いを浮かべるミランダには気が付かず、ブライアンは次々と白い蔓薔薇のゲートを潜り、庭園の奥へと進んでいく。


ー今まで夜会の途中に外に出たことなかったけど、月夜のお庭も素敵…えっ、


慣れない踊りで上がった心拍数と体温が正常に戻り、頭がいつも通りに回転をし始めれば、今の状況を冷静に理解してしまう。

瞬間、ミランダの体温がみるみるうちに冷えていくようだった。


「で、殿下っ!ダメです。戻りましょうっ」


気がついたとにには既に、この大きな庭園の中心部だと記憶にしていた噴水の前。

突如足を止め、顔を青ざめさせては震えた声を上げたミランダに、ブライアンは振り返り首を傾げる。


「殿下、ホールに、皆様のところへ戻りましょう」


必死な様子でなおも言い募るミランダを前に、ブライアンはゆっくりと瞬きをした後、何かに気がついたように眉を上げた。


「そうか……すまない。気がつかなかった」


そうして、自らの着ていた上着をさっと脱ぐと、ミランダの華奢な肩の上からふわりとそれを被せる。仄かに香った先程と同じ、ブライアンの香水の匂い。

それを心地よく感じ、束の間うっとりとしかけながらも、肝心なことが何一つ伝わっていない状況に気がついたミランダは、より一層慌てふためく。


「殿下っ、違います!」


「…寒かったのでは?」


「婚約者でもないのに、私が、殿下と、2人で人気のない庭に出られたと噂になれば、問題になります。早く戻らなければっ」


自分たちがホールを出てどれほどの時間が経っているか、ハッキリと覚えていないが、短いに越したことはない。

ゴシップ好きな貴族たちの格好のネタになったら最後、悪意ある噂が増えるどころか、容赦ない社交界の洗礼に晒されることになれば…そこまで考えを巡らせ、ミランダはその身を震わせた。


ー今でも自分の噂でで父や兄にも迷惑を掛けているのに、それに加えてこの国の王太子を巻き込んだ日には…


そうして顔を真っ青に染め上げていったミランダは、この時、ブライアンのことが全くと言っていいほど目に入っていなかった。

最悪の事態を想定し、憂いるあまりに、今の現状から少し意識が飛んでいたというのが正確だろう。


だからブライアンが、ミランダの言葉を真剣な表情で聞いたのち、次いで何かを思い付いたかのように彼女と繋いでいた手を両の手で包み直し、その場に跪いたその瞬間を見逃したのだ。


「では、ミランダ嬢、」


気がついたのは、ミランダを現実へと引き戻したのはブライアンの身体の芯を震わすような低い声で呼びかけられたから。

そうして目の前に飛び込んできた光景を視認したミランダは、それまでの比ではなく体を強張らせ、その顔色を一層具合悪く変化させる。


「貴女を、私の妻に迎え入れたいと思っている。…如何だろうか」


そんなブライアンから放たれた死刑宣告(ことば)を、ミランダはこれか夢であって欲しいと切実に願わずにはいられなかった。

寒さではない、別の感情から、ミランダの体は生まれたばかりの子鹿よろしく、かわいそうなほど震え始める。


「たっ、たわむれは、よして頂けませんか?」


ミランダの血の気を失った唇から、言葉遊びでもなんでもなく、本心からその言葉だけが滑り落ちた。

それほどまでにミランダは今宵の、許容量を超える出来事(ハプニング)のオンパレードに、その精神を追い詰められていたのだ。


ーいっそなにかの悪ふざけであってくれたら…


しかしそんな淡い期待を打ち砕くのはブルーグレーの瞳の奥底に見えてしまった熱情。

思わず後退り、離れようとするミランダの小さな手を、ブライアンは逃がさないというようにグッと握りこむ。


「戯れではない。私は君を望んでいる」


温度感のないながら真剣さを伝えてくるブライアンの声。

威厳にさえ満ちたその声に圧されそうになる身体をなんとか踏ん張り、ミランダは懸命に震える唇を動かした。


「しかし、わたしは、し、子爵の家の者です。釣り合いが取れて、いません」


「貴女にはこの国の王の妃となる素養が十分にある。それに貴女の母君は亡国の王族。何も問題はない」


「しかし…」


ーなぜ今さっき会った私なの?それにブライアン様は王太子で、違う世界の人で…


そこまで考えてずきりっと胸の奥の何かが蠢いた。脳裏に過ぎるのは忘れもしない、最愛の姉の最期の姿…


ーダメよ。ここは何がなんでもブライアン様に思い直して頂いて。いや、そもそもこの方は、ただ未婚の令嬢と2人きりになってしまった責任感からこう言い出してるだけ。きっとそうだわ。だから…


延々と出口の見えない場所からなんとか逃げ出そうとするように、視線を彷徨わせるミランダの様子に、ブライアンはなぜそのような態度を取るのかわからず眉をしかめる。


「なぜだ?身分の高いものに見初められるなど、貴族令嬢としてはこれほど良いことはないだろう?」


混乱のあまり平静さを失っていたミランダに投げられた、あまりに無遠慮で不躾なブライアンの発言。


『流石アメリアっ!侯爵家に見染められるなんてっ!!』

『彼と一緒になれるなんて、私はなんて幸運なのかしらっ』


『期待してたのに失望させたのはアメリアだ。…所詮は見た目が美しかったから気に入っただけ。こんなことならーーーーーーーーー…』


ミランダの中で耐えられない何かが一気に膨れ上がり、そして…弾けた。


「わたくしはっ!身の丈にあった方と政略結婚したいのですっ!!釣り合わない方に嫁いで苦労するより、穏やかに平穏な暮らしをした方がよっぽどマシです。私のことなど、捨て置いて下さいませっ!!」


何も考えていなかった。

考えられなかった。

気がついたときには思い切りブライアンを突き飛ばしたミランダは、その場から逃げ出すように走り去っていった。

なんでなのかはわからない。でも、止めることのできない涙が次々とこみ上げ、混乱の境地にいるミランダの視界を覆っていった。


はしたなくスカートが翻るのも構わず走り去るミランダの背を、ひとり尻餅をついたブライアンが茫然と見つめていた。


「身の丈にあった……?」


ブライアンのどこか茫然としたその声は、彼を1人その場へ取り残し、静かな夜空に溶けていった。




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