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第三話 心躍るひととき


「ぜひ、喜んで」


ミランダは意識して、最大限柔らかな微笑みを作りながら、ブライアンに手を引かれるようにしてホールの真ん中へと歩いていく。

しかし、ブライアンにだけは確実にバレていただろう。

ミランダの手が、声が、話していた時よりも重い、恐怖にすら程近いの極限の緊張のせいで常に小さく震え続けていることを。


遠目にもよく目立つ王太子殿下とホールの中央へと進んでいけば、嫌でも無数の視線がミランダの全身に突き刺さってくる。


「…ダンスは苦手か?」


曲の切れ間に滑り込み、ホールドを組みながらブライアンがミランダに小さく問いかけた。


「人並み程度の嗜みはございます」


無難な答えを返しながら、ミランダも彼の二の腕へとそっと手を添える。


流れ出した曲は幸運なことに、どの夜会、舞踏会でも使われる、とても有名なワルツだった。

ゆったりとして優美に流れていく、軽やかな曲。これなら今日の重たいドレスでも、十分に対応できるだろう。

そのことにミランダはほんの少し胸を撫で下ろしながらも、慣れたメロディーに耳を傾け、ブライアンのリードに身を預けながら、最初のステップを踏み出した。

その可憐な小鳥の囀りを思わせるワルツの調べに身体が馴染んでいくように、ミランダとブライアンは美しい弧を描きながら、ホールの中心で回り始める。


ーすごくお上手…踊りやすいわ。


踊り出してすぐに、ミランダはブライアンのリードの匠さに舌を巻いた。

きっちりとホールドされた自身の身体は、まるで羽が生えたように軽やかで、重たかったはずのドレスの存在を忘れかけてしまうほどだ。

次にどこに足を出せばいいのか考える間もなく流れていく、そんな感覚は初めて踊る相手だと思えぬほどに心地が良い。


まさに自分たちが音楽の一部にでもなってしまったかのような、そんな陶酔にも似た感覚は、ミランダは先程までの爆発寸前だったはずの緊張を忘れさせ、高まる興奮からその微笑みの仮面を大きく崩させた。

まるで魔法に魅せられてしまった少女のような、そんな綻ぶ笑顔。

それを目にしたブライアンの鋭い瞳は大きく見開き、そして微笑む。初めて目にしたブライアンの笑みを正面から受け止め、ミランダの顔がカッと赤らむ。


「…下は見るな」


「あっ、ごめんなさい」


視線を下げそうになるのをブライアンに咎められ、ミランダは慌てて自分の視線をブライアンの首元あたりで留め置く。


ーこんな楽しいダンスなら、ずっと続けてられるのに。


気恥ずかしさとは裏腹に、そんなことを思っていたミランダと同じように、そう思ったのは彼女だけではなかった。


「…続けるぞ」


あっという間に終わってしまった1曲目。

余韻でぼぉーっとしていたミランダの細いウエストを、次の曲が始まったのを告げるようにブライアンが力強くリードする。


「えっ…殿下っ!」


咄嗟に発したミランダの制止の声。

それが聞こえたはずなのに、ブライアンは構わず次の早い曲調に合わせ、ミランダを引っ張っていく。


ー2曲目、しかもなんでこの曲!?


冷静さを取り戻せていないミランダの耳に聞こえるのは所謂、超難解曲。

クイックワルツと呼ばれるアップテンポでステップを刻み続けなければならない、先程のワルツより一層華やかさと技術が引き立つワルツだ。

例えダンスに不向きなドレスを着ていなくとも、普段のミランダなら決して踊らない曲。

細かに絶え間無く刻まれていく音符に沿うように、必死に足を動かしながら、ミランダの脳内はかつてないほどに大パニックを起こしていた。


ミランダは、はっきり言ってダンスが得意な方では決してないないからだ。


落ちぶれ寸前とも呼ばれるメルロー子爵家には、ダンス講師を常時雇い続けるようなお金の余裕はなかった。

幼い頃からミランダのデビュー前までは、基本をみっちり叩き込み終わるまで週に1回だけダンス講師に教わっていたが、デビュー後は舞踏会でダニエルやどうしても断れない男性と申し訳程度に踊るくらいで、数としては殆ど踊らないに等しい状態であった。

非常事態に踊れないのは困ると、一応月に1度、動きをさらう程度はしていたが…それもベーシックなワルツ、ポルカ、カドリーユなど。

こんな超難易度のクイックワルツなんて、ダンス講師のレッスンで、思いがけない事態のための"経験"として。3回ほどしかステップを踏んだことがない。


ーでも、こんな人前で、殿下に恥をかかせるわけにはいかないわ。


ひたすらに打ち寄せるような音の波に飲まれそうになりながら、ミランダはそれだけを思い、慣れないステップを音に重ね、動き続けた。

笑みなど浮かべる余裕もなく、ブライアンのホールドとリードに任せっきりの状態になっているとわかっていても、足元のステップを踏み外さないよう集中することしかミランダには出来ない。

世間一般、ダンスが上手くいかなかった時、非難されるのは男性の方だ。そんな不名誉を王族に負わせるわけにはいかないのだ。


ミランダの必死な様子がブライアンには痛いほど伝わってしまったのだろう。

先のワルツより明らかに動きの硬いミランダとの距離を、先程までよりグッと引き寄せることで足元に集中できるように助けてくれる。

それが周囲からは親密度が上がったように見えるのに、ミランダは気がつくことはない。


ターンをするたび、重いドレスの遠心力で振られそうになるミランダの細い身体。


ーブライアン様じゃなかったら、今頃大変なことになってるわね。


足を挫くなり、体勢を崩して転けるなり、そんな想像をしてしまい、ミランダは1人身震いをする。

そんな余計なことを一瞬でも考えてしまったからか、ほんの半拍、互いの動きがズレた。

途端、音に合わせかなりのスピードで振られたミランダの身体が遠心力に負けぐらりっと大きく傾いた。


ー倒れるっ。


そんな恐怖から身を強張らせたミランダの細い腰を、ブライアンの男らしい腕が引き寄せ、グイッと体勢を立て直し、そして抱きこまれた。

示し合わせたように音楽が終わり、代わりに聞き慣れない力強く脈打つ鼓動と深い森を思わせる爽やかで落ち着きのある男物の香水を感じ取り、ダンスで熱った体をより熱くする。


「…無理をさせた」


「いえ…」


そのまま、すっかり足がガクガクな状態になってしまったミランダを支え、ブライアンはホールの端までミランダを誘導する。

紅潮し、息もかなり乱れてしまっているミランダとは違い、ブライアンはまるで軽い運動だったと言わんばかりに平然としている。


「…少し休むべきだろうな」


そう言いながらブライアンはミランダの頬へと手を伸ばし、落ちてきてしまったらしいダークブロンドの髪の束をそっと耳の後ろへとかけた。

そんなブライアンの仕草により一層、ミランダの顔色は赤く染まっていく。


ー乱れてしまったのね。


激しい踊りに、素人に毛が生えた程度のミランダの髪結いでは耐えきれなかったのだろう。

今日だけで、普段ではあり得ない失態数々を繰り広げていることを思い起こし、ミランダの瞳は羞恥から少しずつ潤み始める。

それをしっかりと見て取ったブライアンが、僅かに眉間に皺を寄せながら、ミランダを自身の大きな体の影に隠すようにしてエスコートし始める。


「あの…」


「少し出よう」


「ですが、」


「会場から見えるところならそう問題はない」


そんなブライアンの言葉に押され、まだ思考が停止したままだったミランダは、促されるままに外へ、庭園へと繋がるガラス扉を潜ったのだった。


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