第一話 ミランダは王子様に憧れない
あらすじにある注意書きを確認されてない方は必ず一読されてからお進みください。
パチっパチっと、暖炉が暖かな火を灯している居間にはその日、この屋敷に住むメルロー子爵親子が寛いでいた。
「お父様、」
子爵領特産の香り高いヒツギという木で作られたロッキングチェアに座り、編み物をしながら静かな夜によく馴染む声を発したのは、ミランダ メルロー。
昨年16歳となり、見事に社交界デビューを果たしたメルロー子爵家の次女である。
彼女はロッキングチェアを揺らすことなく、お行儀よくそこに座りながら、その深緑を思わせるエメラルドの瞳を静かに手元へ集中させている。
「なっ、なんだい、ミランダ?」
そんな娘に、座っていたソファで所在なさげにどもりながらそう答えたのはこの子爵家現当主である彼女の父、アルフレッド メルロー。
白髪が混じって色が淡くなったアッシュブラウンのくせ毛に、ミランダそっくりの色をした瞳が印象的な、あっさりとした顔立ちをした人の良さそうな紳士だ。
「その、今見てらっしゃる事業の件、わかってますよね?」
平坦にそう紡がれたミランダの言葉に、アルフレッドは視線をキョロキョロと左右に彷徨わせる。
「だっ、だって、」
「…お父様、メルロー子爵領の主な産物は小麦やワインを中心とする農作物とあの山を利用した林業、そして木材から作る工芸品です。その中で交易向きなのはワインと工芸品…ですが、今現在の我が領の技術ではワインは大量生産はできませんし、無理に作らせて質を落としたらそれこそ大打撃、工芸品に至っても繊細な作りのものが多く、荷馬車で大量に運ぶのは難しい代物です」
「う、うん」
「まさか、それをわかっていて今ある公道以外の道を作るとは言いませんよね?」
「しかし、そこが通れるようになれば王都への道のりも早くなるし、観光としてメルロー領を訪れる人が増えるかも…」
「早くなるかもしれませんが、今の道のりでも十分なはずです。そして、メルロー領は長閑でだだ広い風景しかありませんので、圧倒的に観光には向きませんし、ほとんど観光客が来ることはありませんから問題ありません」
「……」
「何かしら新たな事業を発掘し、盛り立てれば話は別かもしれませんが、お父様にはその素養がありません。自分の手に余られることをわざわざ始めるべきではないと思うのです」
「ミランダ、あまりにも言い方キツくないかい?僕だってやればできるんだよ??」
はぁーと重い溜息を吐き、ミランダが漸くその編み物を続ける手を止めると顔を上げた。
ダークブロンドの艶やかでまっすぐな髪に暖炉の暖かな光が写り、赤銅色にキラリと輝く。
はっきりとした意思を見せるまっすぐな眼差しは、睨まれていることを一瞬忘れてしまうほどにとても美しい。
「…7年前、事業を失敗して、危うく爵位を返上しなければいけない危機に陥ったのはどこの家ですか?」
その言葉にとうとうアルフレッドはしょんぼり顔で押し黙った。
それもそうだろう。7年前のことはアルフレッドからしても、自分のせいで家族に迷惑をかけた後ろめたい出来事なのだから。
この居間にある破れたところを繕ったソファを覆ったパッチワークカバーも、父の自作の絵があるくらいで飾り気のない壁も、明らかに手作りなテーブルをはじめとするインテリアも、あの時の名残を強く感じさせる。
「ようやく3年前の冷害の被害から作物も立ち直ってきたのです。今まで通りの無理ない、身の丈にあった領地経営を行っていけば十分にやっていけるのですから、欲など出すものではありません」
「でも、そうするとお前のドレスとか、結婚の持参金とかが…」
「ドレスや装飾品は今あるものを上手く使えば問題ありません。持参金も、同格以下の貴族に嫁ぐのであれば問題はないではありませんか」
「でもでもでもっ!お前はあのヴァレンティナの娘なのだよ?もっと上の爵位の方に見初められる可能性だって十分に…」
「お父様、」
子供が癇癪を起こすように、聞き分けのないことを言い始め、手足をジタバタと動かすアルフレッドを、ミランダの鋭く大きな声が遮った。
普段声を荒げることのない娘のその大声に、アルフレッドはビクリと身体を震わせ、動きを止める。
「身の丈に合わない生き方ほど、幸せに遠ざかるものはない。忘れてはいけません…」
ミランダはそう低く強い意思を持って告げた後、唇を固く引き結び、視線を落とした。
ー"白馬の王子様"なんて、憧れるだけ無駄なのだから…
煌びやかなシャンデリアに照らし出されるのは、人々の声と演奏団の奏でる音楽に包まれた華やかな王宮舞踏会。
「ミラは誰か気になるお相手がいないのかい?」
「いません。ですので、出来るだけ"釣り合いの取れた"利のある家柄の方へ政略結婚を取り付けてくださいね、兄様」
「相変わらずだなあ〜ミラは」
ミランダはこの日、兄のダニエルにエスコートされ、会場へと足を踏み入れていた。
絶対参加の行事とも言えるこの舞台は、やはりどの貴族のものより豪勢で煌びやかで、ほぼ王国にいる全ての貴族が集まっているから華やかなのだが、決して社交好きではないミランダには居心地の悪さを運んでくる。
ファーストダンスを踊り終え、役目は果たしたとばかりにグラスを傾け、喉を潤すミランダを、彼女の兄、ダニエルは肩を竦めて見ている。
「あっ、事業の話、父さんから聞いたよ。止めてくれてありがとね〜」
紺色のテールコートに身を包んだダニエルが、自分より頭1つ小さな妹のミランダに思い出したようにニカッと笑った。
ダニエルもアッシュブラウンのサラサラとした髪に、蒼い瞳をした爽やかな雰囲気を漂わせるなかなかの好青年だ。
昔はかなり真面目だったダニエルが、すっかりおちゃらけた印象の事なかれ主義になったのは、ミランダにとって父親の次に頭の痛い事実である。
「…お父様もいい加減懲りてくれると私も苦労が少ないのですけど、」
「父さんは相変わらず変に前向きで無鉄砲だからね。あれはもう治んないと思うよ〜」
そう言って他人事のようにケラケラと笑うダニエルを、ミランダは恨みがましいジト目で睨みつける。
「ほ〜ら、そんな顔しないで?せっかく今日はおめかししてるのに、その可憐な姿がメドゥーサのように歪んでしまうよ?」
兄のそんな態とらしい喜劇のようなセリフに、今度こそミランダは深いため息をつく。
今日のミランダは水色のシンプルなAラインドレスに、腰回りに太めの紺のリボンを結んだだけのシンプルな装いであった。
首元と耳を飾るのは母の形見で唯一残った、使い勝手のいい小ぶりで華奢なデザインのダイヤモンドのアクセサリー達。
後毛を残しつつも緩やかに結い上げられたダークブロンドの髪には、庭に咲いていた濃いブルーの小さな生花が飾られている。
「こんなシンプルな装いしかしない女性を美しいという奇特な男性がいるならお会いしたいものだわ」
「何を言ってるんだい、ミラっ!シンプルな装いだからこそミラの美しさが引き立つし、シンプルな装いなのに光り輝くのはミラの美しさあってこそだよ?」
心外だと言うようにオーバーリアクションする兄の言葉に、ミランダは思い切り眉をしかめる。
確かにミランダは美しい。
絶世の美女と名高い母と姉、2人と揃いの艶やかなダークブロンドの髪、森の中を思わせる深いエメラルドの瞳はとても神秘的で、視線を合わせた者は引き込まれてしまいそうな感覚に陥いり、目が離せなるとか。
母の派手な顔立ちと父の爽やかな顔立ちを上手く組み合わせた顔の作りは、どちらかというと綺麗な人形、森の精霊のようなものを連想させる。
姉ほどではないが出るとこ出て、引っ込むところ引っ込んでいる女性らしい丸みを帯びた体のラインもとてもバランスが良い。
兄のダニエルが言うように、どんなシンプルな装いをしても目を惹く容姿をミランダはしていると言えるだろう。
しかし、ミランダは知っていた。
自分が"人間の心を持たない、冷たく気取った女"だと言われていることを。
事の発端は昨年のデビュタントのとき、ミランダが発したある言葉が原因であった。
『私は、恋や愛といったものに一切憧れておりません。結婚も、我が家に利のある、釣り合った方と政略結婚を結ぶことを希望しております』
ミランダの美貌に惹かれ、声をかけてきた社交界でも有名な美貌の伯爵に、ミランダは一切表情を動かすことなくそうそでなく言い切った。
その伯爵が気に入らなかっただけなのではないか?そんな擁護の声も最初はあったが、それが何度も何度も続けばそれは否定しようのない事実となり、さらに勝手な憶測や噂が飛ぶ。『ミランダ嬢は心を持たない、超現実主義であり利己主義である』、『大の男嫌いで、愛想笑いの1つもできない生意気な令嬢』、『どんなに地位が高くとも、彼女にとって利がなければ冷たくあしらわれる』、『姉の華やかな美貌や優しい性根と比べられ育ったから、色々歪んでいる』…
他にも数えきれない噂があったが、中でも1番酷かったのは『ミランダが嫉妬のあまり"姉を殺した"のではないか』というものだった。
"デゼーラ湖の女神"と謳われた彼女の姉、アメリアの病死は、当時もかなり社交界を震撼させた話題であった。
「もういっそ、我が家の利になるなら、商人でいいかもしれません。むしろ面倒な貴族よりよっぽど…」
そんなタチの悪く面倒な噂の数々を思い出しながら、ミランダは素っ気なく聞こえる平坦な声で独り言のように小さく呟いた。
しかし、流石にそれはすぐ隣のダニエルに聞こえたようで秀麗な眉が機嫌悪そうに上げられる。
「ミ〜ラ?」
「…失礼しました。でも、候補としては悪くないように思うのですが、」
メルロー子爵家が領地経営していく上で唯一の問題は自然災害による農作物の不作だ。
数年に一度起こる冷害は特に被害が酷く、それを補う上で世の情勢を睨み、安定した利益を得ている商人と縁づくのは相性の良い事のようにミランダには思えた。
幸い、ミランダは女性には珍しく王国立学園になんと特待生枠で入り込んだ秀才であり、頭も悪くない。
父、アルフレッドのように不器用でもないので商人の妻としてもなんとかやっていけるだろう。
「…お前にはきちんとした嫁ぎ先を僕が見つけてくるから、安心しなさい」
あの頃を思わせる、生真面目な兄の言葉に、ミランダもそれ以上何も言えずに大人しく小さく頷くのであった。
そんなミランダの元にとんでもない求婚者が現れたのはその王宮舞踏会から3週間後のことだった…
ヒツギ
ヒノキ、マツ、スギを絶妙に掛け合わせた針葉樹の類をイメージした創作物で、メルロー領の山に生えている樹木です。火で燻すとほんのり甘い匂いがします。




