3 リーザの能力(★)
リーザは最後のお客を見送ると、『close』の看板を戸にかけた。
肩をトントン叩き、大きく伸びをすると、棚から小瓶をひとつ選びバスルームへ向かう。
小瓶のラベルには『お風呂用パープルハーブ』と書かれてある。
それはリーザが調合したテスト品である。
何もない浴槽に小瓶を傾けると、白い砂が零れ落ちる。
しばらくするとブクブクと紫色のお湯が沸き上がり、浴槽三分の二の高さでピタっと止まる。
「ジャスト! 狙い通り」
パチンと指を鳴らすリーザ。
バスルームに生まれたさわやかなグレープの香りをめいっぱい全身に吸い込むとニッコリと笑い、天井を見上げる。
--シン、お風呂沸いたよ! 先に入る? とまで言いかけたリーザだったが、どうせ今日も「お風呂、嫌い」と駄々をこねて入らないに決まっている。
昼間の説教で随分とカロリーを使い少々疲れていた。
「後にするか、あいつのことは」と独り言を漏らし、テキパキと服を脱いで綺麗にたたむと、ちゃぽんと湯船に入る。
「うーん。お湯加減もバッチリ! この商品、大ヒット間違いなし!」
ふぁーと大きく伸びをして足を延ばす。
しばらくの間、ぼーとしていたリーザだったが、ふとシンのことを思い出す。
「あいつ、風呂が嫌いって逃げ回るから、結局まだ一回も入ってないんだよね。今日は屋根裏にいたくらいだし、不潔とかいう前に、健康面とか大丈夫!?
ちょっ、あいつ、変な病気にかかっていないでしょうね?」
慌ててリーザはステータスウィンドを開いた。
氏名:リサ
レベル:14
HP:86
MP:0
クラス:管理栄養士
アルケミストと名乗っているが、彼女の本当のクラスは管理栄養士だった。
かつて保育園に管理栄養士として、勤務していたことがあった。その時の能力がこの世界で開花したのである。
リーザはステータスウィンドを指でタップし、スキル一覧を表示させた。
そして『栄養素チェック』をポンと押す。
食べ物はもちろんのこと、鉱物や木材といった素材まで調査できる。
射程距離はリーザを中心に半径14メートルまで。
周りにある様々な素材が、ブルーの板に候補として表示されていく。
【ヨクソウ】【タイル】【ミズ】【タオル】……
「いたっ、これか?」
【ヒト】
ヒトの文字をポチっと押すと、ヒトを構成している栄養素が表示されていく。
「……エネルギー……やや低め。脂質……やや低め、たんぱく質……やや低め、ビタミン、ミネラル……異常なし……」
全体的に低い数値ではあるが、健康面において主だった問題ないことが分かると、リーザは大きく溜息をはいた。
「ふー。最初の時よりかは、随分マシになった。栄養素もだけど、今日はちゃんと目を合わせてごめんなさいも言えたね。随分進歩したね、シン。って……子どもか!」
ここに来て初めてリーザは、我に返った。
冷静に考えてみたら、大人の男性を家に上げ、世話をしてあげているのだ。しかも、今、奴はどこにいるのか分からない。天井裏から覗いている可能性だって否めないのである。あまりにも無防備な自分に、ようやく自覚できた。
「キャー!」
リーザは顔を真っ赤にして胸元を隠した。
だけどシンの顔を思い浮かべると、どういう訳か羞恥心がなくなってしまうのだ。
「うん? 何なんだろう? この感覚……」
拾ってきた小さな子犬に裸を見られて、果たして恥ずかしい気持ちになるのだろうか。
それに近いような……、
いや、もっと別の、なんとも心に迫る愛くるしい生き物……。
大衆浴場などで時折見かける、2足歩行を覚えてなんとか片言の言葉が話せるようになった幼児のような……
「分かった! シンは保育園で栄養士時代に毎日泣いていた年少組の寛太君、良子ちゃん、勇気君、あの辺だ!!!! そういえば寛太君もニンジンが食べられなくて泣いてたっけ。そして悲しいことがあったらいつも……」
*
天井裏では。
シンは正座をしたままお皿を見つめている。
今夜のメニューは肉じゃが。
1時間前までホクホクとおいしそうな湯気が立っていたのだが、もうすっかり冷めている。そして例によってニンジンを残している。
食べないときっとリーザに怒られるだろう。それを思うと、また悲しくなる。
「ちゅー」
シンの傍に一匹の丸々太ったねずみがやってきた。
「やぁ、お兄さん」
ねずみはきょとんと首を傾げたまま、おとなしくしている。
シンはネズミの頬を指の腹で撫でた。
ねずみは気持ちよさそうに目を細める。
シンはこのねずみに『お兄さん』という名前をつけて毎日愚痴っていた。
「今日もリーザさんに説教されたんだ、俺だって色々考えているんだよ!」という具合に。
実は前の世界でも似たようなことをしていた。
かつて両親には毎日のように『お兄ちゃんなんだから、もっとしっかりしないとダメでしょう!』と言われ続けるも、妹の方が何十倍もしっかりしていたので、比較されるたびに落ち込んでいた。
だからこそ、無意識の中で『兄』という存在に憧れていたのかもしれない。
もし何でも聞いてくれる強くて優しくて頼りがいのある兄がいたら……
「お兄さん。どうしよう、このニンジン?」
ねずみは「ちゅーちゅー」鳴きながら、ニンジンをかぷりと噛んだ。
「え? 俺の代わりに食べてくれるの? まずいし苦いよ? 大丈夫? 俺なんてマズ過ぎてHPが減っちまうくらいだよ?」
ねずみは何ともおいしそうに、ニンジンの山を平らげていった。
「ありがとう。お兄さんのおかげで明日はリーザさんに怒られないよ! 堂々とお皿を返せるよ! やったあああー!!」
ねずみはどこかに走っていくと、何かを口にくわえて帰ってきた。
「なんだい、その眼鏡? 俺にくれるのか?」
「ちゅー」
それは牛乳瓶の底のような厚底眼鏡だった。
この世界に来てからは、日に日に視力が落ちているような気がしていた。
捕獲されて身動きすらとれないスライムベイビーがハッキリと見えず、こん棒をぶんぶん振り回してもかすりもしなかった。まぁ、実のところ見えたところで、どだい活躍なんて無理だから誰にも告げずにいた。
それなのにどういう訳か、暗い場所だとよく見えてしまう。なんとも皮肉なニートの定めってやつなのだろうか。――という訳で、いつも天井裏や壁の隙間で生活をしていた。
眼鏡を手に取ると、足元に空いている穴を覗いてみた。
何も見えない。シンの視界は真っ白に曇っている。それでも目を細めてじっと見つめた。なんか見える。人影のようだ。うん……?
……リーザっ??
思わずシンは立ち上がり、天井に頭をぶつけてそのまま気を失った。
*
「な、何? さっきゴンって音しなかった? ねずみ? ……ま、いっか。どうせシンが転んだだけでしょ」
リーザはステータスウィンドをポンポンと叩いて、スキル『栄養素チェック』を発動させた。
【ヒト】の栄養素に変化があるのを確認しると、ふぅと肩で笑う。
「案の定、シンが転んだようね。2ポイントのダメージか。痛そう。まぁ、自業自得よね。いくら注意しても暗いとこばかりにいるから。本当にねずみの友達とか、いたりして。
……そういえば寛太君、悲しいことがあったら、いつも木とか小動物に話しかけていっけ。可愛かったな……。
え?? え?? えええ? も、もしよ? そこまで一致してたら、ど、どうしよ?? ちょっとヤバイくない。超萌え……」
リーザは頭をかかえ、「い、いや、今日の私、どうかしているわ。だってあいつはあれでも一応れっきとした大人。きっと私、疲れているんだわ。明日もニンジン残していたら説教10倍」と呟いた。




